強くなりたい
隊商を宿場町まで送り届けて、砦に戻ったのは、出発から七日目の夕方だった。
ヘルガは、トマスから預かった金の袋を、机の上で逆さにした。
銅貨と銀貨が、ざらざらと広がった。
ヘルガは、それを数えて、もう一度数えて、眉をひそめた。
「多い」
「多いのか」
ガルドが言った。
「一割増しのはずが、二割増しになってる。手紙がついてるよ」
ヘルガは、折りたたまれた紙を開いて、読み上げた。
「――轍を見た小僧の目の分。値切るな。トマス」
部屋の中が、しんとした。
「あのトマスが、値切るなって書いてきた。十年で、初めてだよ」
ヘルガは、俺を見て、にっこり笑った。
やっぱり、怖かった。
「飯代、少しだけ返したことにしてやる」
「……少しだけ、ですか」
「少しだけだよ。あんた、思ったより食うからね」
ドッジのせいだと思う。ドッジが、毎晩、俺の椀に自分の分を移してくるのだ。
◇
その夜、ガルドの部屋に、四人とも呼ばれた。
狭い部屋だった。寝台と、机と、壁に掛けた古い剣が一本。窓の外は、もう真っ暗だった。
ガルドは、机の上に、あの革袋を置いた。
鴉の焼き印が、ランプの明かりに浮かんでいた。
「黒鴉傭兵団」
ガルドは言った。
「北の山の向こう、ガルム諸侯連合の側にいる傭兵団だ。団員は、二百とも三百とも言われてる。金になれば、何でもやる。戦争。人攫い。村焼き。うちが断る仕事を、全部拾っていく連中だ」
「傭兵が、村を焼くんですか」
ドッジが訊いた。
「自分では焼かん。下請けにやらせる。食い詰めた野盗や、逃げた兵隊崩れに、前金を払ってな」
ガルドは、革袋を指で叩いた。
「黒鴉は、下請けに前金を渡すとき、自分の印の袋で渡す。仕事が済んだら、袋を返させて、残りを払う。この袋が、契約書の代わりだ」
「……じゃあ、あの谷の野盗も」
「黒鴉に雇われてた。塩の隊商が、あの日あの谷を通ると、誰かから聞いてたんだろう」
セイルが、腕を組んだまま、口を開いた。
「なら、セラ村も、黒鴉の仕事だったということですか」
俺は、セイルを見た。
セイルは、俺のほうを見なかった。でも、セイルが、俺の村の名前を覚えていたことに、少し驚いた。
「たぶんな」
ガルドは言った。
「ただ、分からんことがある」
「……何が、ですか」
俺が訊いた。
「収穫前の村を焼いても、取るものがない」
ガルドの片方だけの目が、ランプの火を見ていた。
「麦は、まだ畑にある。蓄えは、去年の残りが少しだけ。わざわざ二十騎も集めて、前金を払って、国境の山を越えてまで焼く村じゃない」
部屋の中が、静かになった。
「なのに、焼いた。そして、子どもを一人だけ、連れていった」
ガルドは、それ以上、何も言わなかった。
◇
「隊長」
俺は、言った。
「強く、なりたいです」
声が、思ったより大きく出た。
三人が、俺を見た。
「剣を、抜けるようになりたいです。あいつらを、追いかけられるように。ミラを」
言いかけて、詰まった。
ガルドは、しばらく俺を見ていた。
「強くなるな」
「……え」
「帰れるようになれ」
ガルドは、椅子の背にもたれた。
「いいか。強いやつは、死ぬ。強いやつは、自分ならやれると思う。やれると思ったやつは、引き際を間違える。俺は、二十年、傭兵をやってきた。強いやつから順番に、死んでいくのを見てきた」
ガルドは、指を一本立てた。
「俺が団に入ったばかりのころ、第一隊に、ハルトマンという男がいた。剣の腕は、団で一番だった。そいつがな」
話は、そこから長くなった。
ハルトマンという男の話から、ハルトマンが死んだ戦の話になった。その戦の話から、その戦で使った城の話になった。城の話から、城の近くの村で食った、まずい羊の話になった。羊の話から、羊の毛で作った靴下の話になって、靴下の話から、靴の話になった。
「――だから、靴だけは、金をけちるな。靴が悪いと、足が死ぬ。足が死ぬと、帰れない。分かったか」
「……はい」
俺は答えた。
分かったのかどうか、自分でも分からなかった。
ガルドは、ドッジを見た。
「ドッジ。今の話を、言ってみろ」
返事がなかった。
ドッジは、壁際に立ったまま、目を閉じていた。
立ったまま、寝ていた。
小さく、ふいごの音がしていた。
エルナが、無言で、ドッジの脇腹をつついた。ドッジは、びくっと目を開けた。
「は、はいっ」
「今の話を、言ってみろ」
「……靴の、値段です」
ガルドは、長いため息をついた。
「最後だけ聞いてたのか」
「最後が、一番大事かと思って」
「……もういい。寝ろ。全員だ」
部屋を出るとき、ガルドが、俺だけを呼び止めた。
「リオ」
「はい」
「剣を抜けないのは、恥じゃない」
ガルドは、窓の外を見ていた。
「抜けないまま、それでも帰ってくるやつのほうが、俺は好きだ」
◇
眠れなかった。
寝床の中で、何度も寝返りを打った。ドッジのいびきが、いつもよりうるさく聞こえた。目を閉じると、鴉の印が浮かんだ。
強くなるな。帰れるようになれ。
意味は、分かる気がした。でも、それで、どうやってミラを追いかけるのか、分からなかった。
部屋を出て、中庭に下りた。
月が出ていた。
中庭の真ん中で、誰かが剣を振っていた。
セイルだった。
物見台の上から、何度も見た光景だった。夜明け前に、誰もいない中庭で、同じ型を、何百回も繰り返す。
でも、地面の高さから見るのは、初めてだった。
近くで見ると、剣の音が聞こえた。空気を斬る音。ひゅっ、と鋭く鳴って、ぴたりと止まる。止まった剣先が、月の光を受けて、少しも揺れない。
足の運び。肩の高さ。息を吸う間と、吐く間。
全部、同じだった。百回目も、二百回目も。
どれだけ振れば、ああなるのか、見当もつかなかった。
セイルが、剣を止めた。
「……見るな」
振り向かずに、言った。気づかれていた。
「見るのが、俺の仕事だ」
セイルは、ようやく振り向いた。
月明かりの中で、顔に、汗が光っていた。
「なんで、夜中にやるんだ」
「昼は、お前たちの相手で、稽古にならない」
「……悪かったな」
「悪いとは言っていない。事実を言った」
セイルは、剣を鞘に収めた。
「隊長は、強くなるなって言ってた」
「聞いていた」
「どう思う」
「あれは、弱いやつに言う言葉だ」
セイルは、俺の横を通り過ぎた。
「強くなければ、死ぬ。俺は、そう教わった」
そう言って、部屋に戻っていった。
誰に教わったのかは、言わなかった。
◇
次の朝、食堂で煮込みを食べていると、ヘルガが来た。
手に、一枚の紙を持っていた。
「第七班」
四人とも、匙を止めた。
「仕事だ。東の山の、ロク村から依頼が来た。畑を荒らす魔獣を、退治してほしいってさ」
「魔獣」
ドッジが、ごくりと喉を鳴らした。煮込みを飲み込んだのか、怖かったのかは、分からなかった。
「岩背熊だよ。背中が岩みたいに硬い熊だ。剣が通らない。でも、腹と目は柔らかい」
ヘルガは、紙を机の上に置いた。
「報酬は、安い。山の村だからね。だから、第七班だけで行きな」
「……隊長は」
俺が訊いた。
ヘルガの後ろから、ガルドが食堂に入ってきた。
「俺は、行かない」
ガルドは、自分の椀を取りに、大鍋のほうへ歩いていった。
「お前ら四人で、行ってこい」
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