鴉の印
林の中の荷車は、すぐに見つかった。
曲がり角から、五十歩ほど入った、窪地に隠してあった。枝を被せて、上から見えないようにしてあった。
空っぽだった。
荷台には、縄の束と、空の麻袋が、山のように積んであった。
塩を詰め替えて、運ぶための袋だった。
「……薪拾いの荷車にしちゃ、ずいぶん袋が多いな」
ガルドが言った。
誰にともなく、言ったように聞こえた。
後ろで、ブルーノが、黙って立っていた。
◇
ヤンは、トマスの荷車に乗せた。
宿場町の先の村まで、連れて帰ることになった。トマスが、そう決めた。
「村の者を、林に置いていけるか」
トマスは、焼き菓子の袋を握りしめたまま、言った。指輪の指が、少し震えていた。
「あの子の母親には、わしから話す。給金は、満額出す。……満額の、倍だ」
「倍は、高いよ」
ガルドが言った。
「ヘルガの真似をするな」
トマスは、鼻をすすって、顔をそむけた。
ヤンの胸の上に、あの赤い布の切れ端を、置いた。
◇
ドッジの腕は、エルナが縫った。
荷車の陰に座らせて、袖を切り裂いて、傷口を水で洗った。腰の袋から、薬草を何種類も出して、すり潰して、塗った。それから、細い針と糸で、縫い始めた。
ドッジは、歯を食いしばっていた。
「痛いか」
俺が訊くと、ドッジは、首を横に振った。
「痛くない」
「顔が、真っ青だぞ」
「痛くない。……痛いけど、痛くない」
針が、もう一度、ドッジの腕を通った。ドッジは、うっ、と声を漏らした。
それから、急に、明るい顔をした。
「でも、斬られたのが、右腕でよかった」
「……なんでだ」
「飯は、左手でも食える」
エルナの手が、止まった。
「右で食べたら、縫い直す」
「えっ」
「傷が開く。だから、右は使わない。三日」
「三日も」
「四日」
「増えた」
「文句を言うと、増える」
ドッジは、口を閉じた。
エルナが、そんなにしゃべるのを、初めて聞いた。
数えようとして、途中で、やめた。
縫い終わると、ドッジは、俺を見た。
俺は、まだ、自分の剣の柄を、握っていた。抜けなかった剣だった。手を放そうとしても、うまく放れなかった。
「……ごめん」
俺は言った。
「何が」
「俺のせいで、斬られた」
「お前のせいじゃない。あの布の男のせいだ」
「俺が、抜けてれば」
「抜けてても、たぶん斬られてた。お前、剣、下手だし」
ドッジは、笑った。
「それに、お前が丘の上で叫ばなかったら、俺、トマスさんの荷車の左で、矢を食らってた。盾を構えたのは、隊長に言われたからだ。隊長が言ったのは、お前が轍を見たからだろ」
「……」
「だから、おあいこだ」
ドッジは、縫った腕を、そっと膝に置いた。
「それより、腹が減った」
トマスが、荷車の上から、焼き菓子の袋を放ってよこした。
中身は、三つしか残っていなかった。
「……誰かが、九つも食ったからな」
トマスは、ドッジを見て言った。
ドッジは、目をそらした。
◇
ブルーノが、俺の前に来た。
髭の濃い顔で、しばらく、何も言わずに立っていた。
「小僧」
「……はい」
「目は、いいな」
それだけ言って、背中を向けた。
部下の二人が、気まずそうに、ブルーノの後ろについていった。
セイルは、一人で、林の端に座っていた。
自分の剣を、布で拭いていた。何度も、何度も。もう、刃には、何もついていないのに。
俺は、セイルの近くを通った。
セイルが、顔を上げずに言った。
「剣を抜けないなら」
俺は、足を止めた。
「なぜ、傭兵になった」
答えられなかった。
食うためだ、とは、言えなかった。追いかけるためだ、とも、言えなかった。剣も抜けないやつが、何を追いかけるというのか。
セイルは、それ以上、何も訊かなかった。
剣を拭く手を、止めなかった。
◇
野盗の死体は、八つあった。
倒れたのは十人だったが、二人は、いつの間にか林の中へ這って逃げていた。
ガルドは、一つずつ、検めていった。布を剥いで顔を見て、腰の持ち物を探った。
ブルーノの部下が、嫌な顔をした。
「死体あさりかよ」
「誰に雇われたか、見てる」
「野盗だろ。雇い主なんか、いねえよ」
「いる」
ガルドは、短く言った。
「荷車を林に隠して、夜明け前から、ちょうど塩の隊商が通る日に待ってた。この谷を、今日、塩が通ると知ってたやつがいる」
ブルーノの部下は、黙った。
ガルドは、セイルが最初に斬った男の、腰の袋を外した。
革の袋だった。口を、紐で縛ってあった。中から、銅貨が何枚かこぼれた。
ガルドは、袋を裏返した。
手が、止まった。
俺は、ガルドの肩越しに、それを見た。
見えてしまった。
袋の革に、焼き印が押してあった。
翼を広げた、黒い鳥。
鴉だった。
あの夜、燃える屋根の明かりの中で、馬の尻に見た印と、同じだった。翼の角度も。くちばしの向きも。左の翼の先が、少しだけ欠けているところまで。
同じだった。
喉の奥で、何かが、ひっくり返った。
「……隊長」
声が、かすれた。
「それ。その、印」
ガルドが、振り返った。
俺の顔を見て、何かに気づいたみたいに、片方だけの目を、細めた。
「見たことがあるのか」
「村の、夜に」
ガルドは、しばらく黙っていた。
「……ミラを、連れていった馬の、尻に」
ガルドは、焼き印に、目を戻した。
その顔から、色が、すっと引いていった。
ガルドの顔が変わるのを、俺は初めて見た。灰の中の俺を見たときも、狼を見つけたときも、矢が降ってきたときも、ガルドの顔は、何ひとつ変わらなかった。
今は、違った。
ガルドは、袋を握りつぶすように、手の中に収めた。
「黒鴉だ」
低い声だった。
「……お前の村を焼いたのは、たぶん、こいつらの下請けだ」
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