抜けない
「――伏せろおおっ!」
声が出たのは、最初の矢が飛んだのと、ほとんど同時だった。
矢は、十本以上あった。林の中から、斜めに、隊商の左側に降ってきた。
御者たちが、荷車の右に飛び降りた。ガルドに言われたとおりに。荷車の陰に、転がり込んだ。
矢が、塩袋に刺さった。荷車の板に刺さった。地面に刺さった。
ドッジの盾に、三本、刺さった。
ドッジは、盾を左に構えたまま、一歩も動かなかった。その陰で、トマスが、焼き菓子の袋を抱えて丸くなっていた。
荷車の間が詰まっていたから、矢の多くは、荷車と荷車の隙間に落ちた。人のいる場所には、半分も届かなかった。
半分は、届いた。
一番前の荷車で、馬が悲鳴を上げて、棒立ちになった。首に、矢が刺さっていた。荷車が、大きく傾いた。
御者台から、ヤンが、転げ落ちるのが見えた。
左側に。
林の側に。
◇
林の中から、男たちが飛び出してきた。
十五人くらい。斧や、錆びた剣や、棍棒を持っていた。顔に、布を巻いていた。叫び声を上げながら、斜面を駆け下りてくる。
最初にぶつかったのは、セイルだった。
セイルは、馬から飛び降りて、剣を抜いた。一番前を走ってきた男が、斧を振り上げた。
振り下ろす前に、男は倒れていた。
セイルの剣が、男の脇の下を抜けていた。見えなかった。丘の上から見下ろしていても、剣の動きが、ほとんど見えなかった。
二人目が、横から来た。セイルは、半歩だけ下がって、相手の剣を空振りさせた。それから、首を斬った。
三人目。四人目。
セイルは、一人で、四人に囲まれていた。囲まれているのに、囲まれているようには見えなかった。セイルが動くたびに、男が一人ずつ、地面に崩れていった。
五人目が倒れたとき、セイルは、息ひとつ乱していなかった。
剣先から、赤いものが、ぽたぽたと落ちていた。
きれいだった。
それが、怖かった。
ガルドは、馬上から、林の斜面を見ていた。
剣は抜いていなかった。斜面の上のほうで、弓を構え直している男が二人いた。ガルドは、それを指さして、叫んだ。
「エルナ! 上の二人!」
真ん中の荷車の、塩袋の上で、エルナが身を起こした。
弓を引いた。
放った。
斜面の上の、木の枝に乗っていた男が、弓を落として、枝から転がり落ちた。
もう一本。
二人目が、木の幹にしがみついて、ずるずると下に落ちていった。
エルナは、三本目をつがえたまま、次の的を探していた。顔は、いつもの顔だった。何の表情もなかった。
俺は、丘を駆け下りていた。
なぜ下りたのか、分からなかった。上で見ていろと、言われていたのに。
ヤンが、林の側に落ちたのが見えたからだった。
ヤンは、荷車の左の地面に、うつぶせに倒れていた。動いていなかった。
荷車の陰を回り込んで、ヤンのところへ走った。
その途中で、男と、目が合った。
布を巻いた顔の、細い目だった。手に、錆びた剣を持っていた。セイルを避けて、荷車の後ろから回り込んできたのだ。
男は、俺を見て、笑った。
布の下で、口が笑ったのが分かった。
剣を、振り上げた。
俺は、腰の剣に、手をかけた。
柄を、握った。
抜けなかった。
手が、動かなかった。柄を握った指が、凍りついたみたいに、固まっていた。抜こうとした。引いた。引いているつもりだった。剣は、鞘から指一本分も出なかった。
足も、動かなかった。
あの夜と、同じだった。
燃える屋根。馬。毛布から垂れた、細い腕。
男の剣が、振り下ろされた。
◇
目の前が、灰色になった。
盾だった。
俺と男の間に、ドッジが、飛び込んできていた。トマスの荷車の横から、ここまで、ひと息で。盾を、男の剣の前に、突き出していた。
剣が、盾の縁を叩いて、滑った。
滑った剣が、ドッジの右腕を、斬った。
ドッジが、うめいた。
それでも、ドッジは下がらなかった。盾ごと、男に体当たりした。男は、後ろに吹っ飛んで、荷車の車輪に頭をぶつけて、動かなくなった。
ドッジは、肩で息をしていた。右腕から、血が流れていた。
「……リオ」
「……」
「大丈夫か」
声が、出なかった。
大丈夫か、と訊かれるのは、俺じゃない。斬られたのは、ドッジだった。
俺は、まだ、剣の柄を握っていた。
まだ、抜けていなかった。
◇
野盗たちは、それで、崩れた。
十五人のうち、セイルが五人を斬り、エルナが二人を射落とし、ドッジが一人を倒した。ブルーノの三人が、右側から回り込んで、二人を倒した。
残りは、林の中に逃げていった。
ガルドは、追わなかった。
「追うな。林の中は、向こうの庭だ」
それから、ようやく馬を降りて、隊商のまわりを、ゆっくり歩いた。
矢の刺さった塩袋を、一つずつ、数えていた。
俺は、ヤンのところへ行った。
ヤンは、うつぶせのまま、動かなかった。
背中に、矢が一本、刺さっていた。
御者台から落ちたときには、もう刺さっていたのだと思う。林の側に落ちたのは、そのせいだった。右に飛び降りる前に、矢が来た。
一番前の荷車だった。一番、林に近かった。
俺は、ヤンを、仰向けにした。
目が、開いていた。
空を、見ていた。
何かを言いかけたみたいに、口が、少しだけ開いていた。
俺は、ヤンの目を、閉じた。
指が、震えていた。剣の柄を握ったときと、同じ震え方だった。
閉じても、閉じても、震えは止まらなかった。
ガルドが、俺の横に立った。
しばらく、何も言わなかった。
「お前が、轍を見つけた」
ガルドは言った。
「隊列を変えてなかったら、御者は、五人とも死んでた。トマスも死んでた。ドッジもだ」
「……でも、ヤンは」
「ああ」
「俺が、もっと早く、言ってれば」
「ああ」
ガルドは、否定しなかった。
「お前が見て、お前が言った。それで、四人が生きて、一人が死んだ」
ガルドは、林のほうを見た。
「傭兵の仕事は、そういう勘定だ。慣れろとは言わん」
そう言って、ガルドは、隊商のほうへ戻っていった。
俺は、ヤンの横に、座っていた。
ヤンの腰の袋から、小さな赤い布が、はみ出していた。
靴の形に切った、布だった。
妹の足の、大きさを測ったのだろう。
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