二つ目の巣
ロク村は、砦から東へ、山道を半日のぼったところにあった。
斜面にへばりつくように、家が二十軒ほど並んでいた。段々の畑に、芋と豆が植わっていた。そのあちこちが、掘り返されて、めちゃくちゃになっていた。
村長は、腰の曲がった婆さんだった。
婆さんは、俺たち四人を見回して、迷わずドッジの前に立った。
「あんたが、班長さんかい」
「……え、俺?」
「一番、大きいからね」
「大きいのは、関係ないと思います」
「頼りにしてるよ、班長さん」
婆さんは、ドッジの手を両手で握った。
ドッジは、困った顔で、俺たちを振り返った。セイルが、露骨に不機嫌な顔をした。
その晩、村の家々から、ふかした芋が、ドッジのところにばかり集まってきた。ドッジは、困った顔のまま、全部食べた。
「班長は、つらい」
「つらそうに見えないぞ」
「つらいんだ。断れない」
セイルは、村の人が用意してくれた藁の寝床を見て、一言だけ言った。
「……砦より、ひどい」
俺は、砦のほうがひどいと思った。
ドッジの右腕は、まだ糸が抜けていなかった。
エルナが、出発前に傷を見て、言った。
「盾は、左。右は、添えるだけ」
「右で飯は」
「だめ」
ドッジは、左手で芋を食べていた。
◇
次の朝、畑の荒らされた跡を見て回った。
足跡が、いくつも残っていた。
大きかった。前足の幅が、俺の手のひら二つ分ある。爪の跡が、土に深く食い込んでいた。
俺は、しゃがみ込んで、足跡を一つずつ見ていった。
「前足と、後ろ足で、形が違う」
セイルが、上から言った。
「大きさが違うのは、そのせいだ」
「前と後ろは、もう見分けた」
俺は、地面を指さした。
「それとは、別に、二種類ある」
セイルの眉が、動いた。
「こっちの足跡は、前足が手のひら二つ分。こっちは、一つ半。爪の開き方も違う。歩幅も違う。大きいほうは、東の沢のほうへ帰ってる。小さいほうは、北の岩場のほうから来て、また北へ戻ってる」
「……二頭いる、と言いたいのか」
「巣が、二つある」
俺は、立ち上がった。
「たぶん、一頭は、子どもを連れてる。小さいほうの足跡のまわりに、もっと小さい跡が、二つ、くっついてた」
「子連れなら、なおさら弱っている」
セイルは言った。
「なら、一頭ずつ斬ればいい」
「一頭を斬ってる間に、もう一頭が来たら」
「来る前に、斬る」
セイルは、東の沢のほうへ、歩き出していた。
「待てよ」
「待っていたら、日が暮れる」
「隊長は、四人で行けって」
「四人で来た。だから、お前たちは後ろで見ていればいい」
ドッジが、困った顔で、俺とセイルを見比べた。エルナは、黙って、弓の弦の張り具合を確かめていた。
◇
東の沢は、岩だらけだった。
水の音がしていた。苔の生えた大きな岩が、ごろごろ転がっていて、その間を、細い流れが縫っていた。
岩背熊は、沢の真ん中で、水を飲んでいた。
でかかった。
四つ足で立っているのに、背中が、俺の頭より高い。背中から腰にかけて、灰色の、ごつごつした甲羅みたいなものが盛り上がっていた。本当に、岩に見えた。苔まで生えていた。
「……あれに、剣が通るのか」
ドッジが、ささやいた。
「通らない」
セイルが、剣を抜いた。
「だから、通るところを斬る」
俺は、熊ではなく、まわりの岩を見ていた。
沢の上手。岩の陰。茂み。
北の岩場は、ここから、そう遠くない。尾根を一つ挟んだだけだ。小さいほうの足跡は、北の岩場から来ていた。
「セイル、待て。もう一頭が」
セイルは、もう、岩を蹴っていた。
速かった。
熊が、顔を上げた。セイルは、熊の正面には行かなかった。右に回り込んで、熊が首を振り向ける、その瞬間に、肩口に斬りつけた。
剣が、岩みたいな背中に当たって、火花を散らした。
はね返された。
熊が、吠えた。立ち上がった。二本足で立つと、セイルの倍の高さがあった。前足を、振り下ろした。
セイルは、熊の懐に、飛び込んでいた。
前足の下をくぐって、熊の真下に。熊の顔が、真上にあった。
セイルは、剣を、真上に突き上げた。
熊の、目に。
熊が、凄まじい声を上げた。のけぞって、後ろに倒れた。沢の水が、大きく跳ね上がった。熊は、しばらく、もがいていた。
それから、動かなくなった。
セイルは、熊の横に立って、剣を引き抜いた。
息が、少しだけ上がっていた。
俺たちのほうを、振り返った。
「……一人で、十分だ」
そのとき、俺の目が、それを見た。
沢の上手の、茂みが、揺れた。
風じゃなかった。
「セイル、左!」
叫んだのと、茂みが割れたのが、同時だった。
二頭目だった。
一頭目より、一回り小さかった。でも、速かった。一頭目よりずっと。岩を飛び越えて、まっすぐ、セイルの左から突っ込んできた。
セイルは、振り向いた。
剣を、構え直そうとした。
間に合わなかった。
セイルの前に、灰色の壁が立った。
ドッジだった。
俺の横にいたはずのドッジが、いつの間にか、沢を走り抜けていた。左腕の盾を、熊とセイルの間に、突き出していた。
熊の体当たりが、盾に、まともにぶつかった。
ドッジは、一歩も下がらなかった。
下がらなかったまま、宙に浮いた。
盾ごと、吹っ飛んだ。
ドッジの大きな体が、沢の岩に叩きつけられた。鈍い音がした。何かが折れる音だった。ドッジは、岩の上で跳ねて、水の中に転がり落ちた。
動かなかった。
熊が、ドッジのほうへ向き直った。
頭を低くした。
俺は、足元の石をつかんでいた。
何も考えていなかった。剣は、抜けなかった。でも、石は、つかめた。鳥を追うときに、何千回も投げてきた。
投げた。
熊の鼻面に、当たった。
熊が、こっちを見た。
「こっちだ!」
叫んだ。ドッジほどの声は出なかった。それでも、叫んだ。もう一つ、石を投げた。
熊の鼻に、矢が刺さった。
エルナだった。岩の上で、二本目をつがえていた。
二本目が、熊の鼻の横に刺さった。
熊が、吠えた。頭を振った。俺と、エルナと、倒れたドッジを、順番に見た。
北の岩場のほうから、甲高い声がした。
小さな、きいきいという声だった。二つ。
熊が、そっちを向いた。
それから、身を翻した。岩を跳び越えて、茂みの向こうへ、消えていった。
追ってこなかった。
◇
ドッジは、息をしていた。
沢の水から引きずり上げると、ドッジは、うめいた。左の脛が、変な方向に曲がっていた。脇腹を押さえて、息をするたびに、顔をゆがめた。
「……リオ」
「しゃべるな」
「班長、やっぱり、つらい」
「しゃべるなって」
セイルは、熊の死体の横に、立ったままだった。
剣を握ったまま、ドッジを見ていた。顔が、真っ白だった。
「……なぜ、来た」
ドッジに、言ったのだと思う。
ドッジは、答えなかった。答えられなかった。
俺が、ドッジを背負った。
重かった。俺の倍は、あった。膝が、がくがく震えた。
それでも、立った。
「無理だ。俺が」
セイルが言いかけた。
「お前は、盾と剣を持て。あと、後ろを見ろ。あいつが戻ってきたら、教えろ」
俺は、山道を、下り始めた。
一歩ずつ。
倒れても起きる。それだけは、得意だった。
途中で、三回、膝をついた。三回とも、立った。エルナが前を歩いて、足場のいいところを、黙って指さしてくれた。セイルは、ドッジの盾を背負って、何度も後ろを振り返っていた。
日が暮れるころ、村に着いた。
村長の婆さんの家に、ドッジを寝かせた。
エルナが、ドッジの服を切り開いて、脇腹に手を当てた。指で、ゆっくり、押していった。
ドッジが、声にならない声を上げた。
エルナの手が、止まった。
しばらく、何も言わなかった。
ランプの火が、エルナの横顔を照らしていた。いつもの、何の表情もない顔だった。
でも、唇が、少しだけ震えていた。
「……骨が、刺さってる」
エルナは言った。
「今夜が、山」
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