↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/34

二つ目の巣

 ロク村は、砦から東へ、山道を半日のぼったところにあった。

 斜面にへばりつくように、家が二十軒ほど並んでいた。段々の畑に、芋と豆が植わっていた。そのあちこちが、掘り返されて、めちゃくちゃになっていた。

 村長は、腰の曲がった婆さんだった。

 婆さんは、俺たち四人を見回して、迷わずドッジの前に立った。

「あんたが、班長さんかい」

「……え、俺?」

「一番、大きいからね」

「大きいのは、関係ないと思います」

「頼りにしてるよ、班長さん」

 婆さんは、ドッジの手を両手で握った。

 ドッジは、困った顔で、俺たちを振り返った。セイルが、露骨に不機嫌な顔をした。

 その晩、村の家々から、ふかした芋が、ドッジのところにばかり集まってきた。ドッジは、困った顔のまま、全部食べた。

「班長は、つらい」

「つらそうに見えないぞ」

「つらいんだ。断れない」

 セイルは、村の人が用意してくれた藁の寝床を見て、一言だけ言った。

「……砦より、ひどい」

 俺は、砦のほうがひどいと思った。


 ドッジの右腕は、まだ糸が抜けていなかった。

 エルナが、出発前に傷を見て、言った。

「盾は、左。右は、添えるだけ」

「右で飯は」

「だめ」

 ドッジは、左手で芋を食べていた。


         ◇


 次の朝、畑の荒らされた跡を見て回った。

 足跡が、いくつも残っていた。

 大きかった。前足の幅が、俺の手のひら二つ分ある。爪の跡が、土に深く食い込んでいた。

 俺は、しゃがみ込んで、足跡を一つずつ見ていった。

「前足と、後ろ足で、形が違う」

 セイルが、上から言った。

「大きさが違うのは、そのせいだ」

「前と後ろは、もう見分けた」

 俺は、地面を指さした。

「それとは、別に、二種類ある」

 セイルの眉が、動いた。

「こっちの足跡は、前足が手のひら二つ分。こっちは、一つ半。爪の開き方も違う。歩幅も違う。大きいほうは、東の沢のほうへ帰ってる。小さいほうは、北の岩場のほうから来て、また北へ戻ってる」

「……二頭いる、と言いたいのか」

「巣が、二つある」

 俺は、立ち上がった。

「たぶん、一頭は、子どもを連れてる。小さいほうの足跡のまわりに、もっと小さい跡が、二つ、くっついてた」

「子連れなら、なおさら弱っている」

 セイルは言った。

「なら、一頭ずつ斬ればいい」

「一頭を斬ってる間に、もう一頭が来たら」

「来る前に、斬る」

 セイルは、東の沢のほうへ、歩き出していた。

「待てよ」

「待っていたら、日が暮れる」

「隊長は、四人で行けって」

「四人で来た。だから、お前たちは後ろで見ていればいい」

 ドッジが、困った顔で、俺とセイルを見比べた。エルナは、黙って、弓の弦の張り具合を確かめていた。


         ◇


 東の沢は、岩だらけだった。

 水の音がしていた。苔の生えた大きな岩が、ごろごろ転がっていて、その間を、細い流れが縫っていた。

 岩背熊は、沢の真ん中で、水を飲んでいた。

 でかかった。

 四つ足で立っているのに、背中が、俺の頭より高い。背中から腰にかけて、灰色の、ごつごつした甲羅みたいなものが盛り上がっていた。本当に、岩に見えた。苔まで生えていた。

「……あれに、剣が通るのか」

 ドッジが、ささやいた。

「通らない」

 セイルが、剣を抜いた。

「だから、通るところを斬る」

 俺は、熊ではなく、まわりの岩を見ていた。

 沢の上手。岩の陰。茂み。

 北の岩場は、ここから、そう遠くない。尾根を一つ挟んだだけだ。小さいほうの足跡は、北の岩場から来ていた。

「セイル、待て。もう一頭が」

 セイルは、もう、岩を蹴っていた。


 速かった。

 熊が、顔を上げた。セイルは、熊の正面には行かなかった。右に回り込んで、熊が首を振り向ける、その瞬間に、肩口に斬りつけた。

 剣が、岩みたいな背中に当たって、火花を散らした。

 はね返された。

 熊が、吠えた。立ち上がった。二本足で立つと、セイルの倍の高さがあった。前足を、振り下ろした。

 セイルは、熊の懐に、飛び込んでいた。

 前足の下をくぐって、熊の真下に。熊の顔が、真上にあった。

 セイルは、剣を、真上に突き上げた。

 熊の、目に。

 熊が、凄まじい声を上げた。のけぞって、後ろに倒れた。沢の水が、大きく跳ね上がった。熊は、しばらく、もがいていた。

 それから、動かなくなった。

 セイルは、熊の横に立って、剣を引き抜いた。

 息が、少しだけ上がっていた。

 俺たちのほうを、振り返った。

「……一人で、十分だ」


 そのとき、俺の目が、それを見た。

 沢の上手の、茂みが、揺れた。

 風じゃなかった。

「セイル、左!」

 叫んだのと、茂みが割れたのが、同時だった。

 二頭目だった。

 一頭目より、一回り小さかった。でも、速かった。一頭目よりずっと。岩を飛び越えて、まっすぐ、セイルの左から突っ込んできた。

 セイルは、振り向いた。

 剣を、構え直そうとした。

 間に合わなかった。


 セイルの前に、灰色の壁が立った。

 ドッジだった。

 俺の横にいたはずのドッジが、いつの間にか、沢を走り抜けていた。左腕の盾を、熊とセイルの間に、突き出していた。

 熊の体当たりが、盾に、まともにぶつかった。

 ドッジは、一歩も下がらなかった。

 下がらなかったまま、宙に浮いた。

 盾ごと、吹っ飛んだ。

 ドッジの大きな体が、沢の岩に叩きつけられた。鈍い音がした。何かが折れる音だった。ドッジは、岩の上で跳ねて、水の中に転がり落ちた。

 動かなかった。


 熊が、ドッジのほうへ向き直った。

 頭を低くした。

 俺は、足元の石をつかんでいた。

 何も考えていなかった。剣は、抜けなかった。でも、石は、つかめた。鳥を追うときに、何千回も投げてきた。

 投げた。

 熊の鼻面に、当たった。

 熊が、こっちを見た。

「こっちだ!」

 叫んだ。ドッジほどの声は出なかった。それでも、叫んだ。もう一つ、石を投げた。

 熊の鼻に、矢が刺さった。

 エルナだった。岩の上で、二本目をつがえていた。

 二本目が、熊の鼻の横に刺さった。

 熊が、吠えた。頭を振った。俺と、エルナと、倒れたドッジを、順番に見た。

 北の岩場のほうから、甲高い声がした。

 小さな、きいきいという声だった。二つ。

 熊が、そっちを向いた。

 それから、身を翻した。岩を跳び越えて、茂みの向こうへ、消えていった。

 追ってこなかった。


         ◇


 ドッジは、息をしていた。

 沢の水から引きずり上げると、ドッジは、うめいた。左の脛が、変な方向に曲がっていた。脇腹を押さえて、息をするたびに、顔をゆがめた。

「……リオ」

「しゃべるな」

「班長、やっぱり、つらい」

「しゃべるなって」

 セイルは、熊の死体の横に、立ったままだった。

 剣を握ったまま、ドッジを見ていた。顔が、真っ白だった。

「……なぜ、来た」

 ドッジに、言ったのだと思う。

 ドッジは、答えなかった。答えられなかった。


 俺が、ドッジを背負った。

 重かった。俺の倍は、あった。膝が、がくがく震えた。

 それでも、立った。

「無理だ。俺が」

 セイルが言いかけた。

「お前は、盾と剣を持て。あと、後ろを見ろ。あいつが戻ってきたら、教えろ」

 俺は、山道を、下り始めた。

 一歩ずつ。

 倒れても起きる。それだけは、得意だった。

 途中で、三回、膝をついた。三回とも、立った。エルナが前を歩いて、足場のいいところを、黙って指さしてくれた。セイルは、ドッジの盾を背負って、何度も後ろを振り返っていた。

 日が暮れるころ、村に着いた。


 村長の婆さんの家に、ドッジを寝かせた。

 エルナが、ドッジの服を切り開いて、脇腹に手を当てた。指で、ゆっくり、押していった。

 ドッジが、声にならない声を上げた。

 エルナの手が、止まった。

 しばらく、何も言わなかった。

 ランプの火が、エルナの横顔を照らしていた。いつもの、何の表情もない顔だった。

 でも、唇が、少しだけ震えていた。

「……骨が、刺さってる」

 エルナは言った。

「今夜が、山」

お読みいただき、ありがとうございます。

毎日、朝7時と夜21時に更新します。

続きが気になると思っていただけたら、ブックマークと、ページ下の「評価」の★で応援していただけると、第七班の飯が一品増えます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。