割れる
ドッジは、朝まで生きていた。
エルナは、一晩じゅう、ドッジの横に座っていた。脇腹に布を当てて、薬草を煎じて、少しずつ口に流し込んだ。ドッジの息が浅くなるたびに、背中の下に丸めた毛布を入れて、体の向きを変えた。
俺は、戸口の横で、膝を抱えていた。
何もできなかった。湯を沸かせと言われて沸かし、布を持ってこいと言われて持ってきた。それだけだった。
セイルは、外にいた。
村長の婆さんの家の前の、石段に座って、一晩じゅう、沢のほうを見ていた。
夜明けに、ドッジが目を開けた。
「……腹」
かすれた声だった。
「腹が、減った」
エルナが、長い息を吐いた。
初めて、エルナの肩から力が抜けるのを見た。
「骨は、刺さったまま。でも、肺には届いてない。たぶん」
「たぶん」
「動かなければ、たぶん、つながる」
エルナは、ドッジの額に手を当てた。熱があった。
「左の脛は、折れてる。添え木をした。ひと月は、まともに歩けない」
「ひと月」
ドッジの顔が、絶望に染まった。
「ひと月も、まともに食堂まで歩けないのか」
「運んでもらって」
「誰が、俺を運ぶんだ」
エルナは、黙って俺を見た。
俺は、昨日、ドッジを背負って山を下りた膝の痛みを思い出した。
◇
家の外に出ると、セイルが、まだ石段に座っていた。
剣を、膝の上に置いていた。
「ドッジ、助かるってさ。たぶん」
セイルは、何も言わなかった。
「腹が減ったって言ってた」
「……そうか」
セイルは、沢のほうを見たまま、言った。
「熊は、俺がやる」
「……は?」
「残りの一頭だ。鼻に矢が刺さってる。昨日より弱っている。俺一人で行く。今日中に片づける」
「一人で」
「お前たちは、ここにいろ」
セイルは、立ち上がった。
「待てよ」
「待たない」
「昨日、一人で行って、ドッジがああなったんだろ」
セイルの足が、止まった。
「俺は、一頭目を倒した」
「知ってる」
「二頭目も、来ると分かっていれば、倒せた。不意を突かれただけだ」
「俺は、言った。巣が二つあるって。もう一頭いるって。待てって」
「聞こえていた」
「なら、なんで」
「お前が言ったからだ」
セイルは、振り返った。
目が、赤かった。一晩じゅう、寝ていない目だった。
「剣も抜けないやつの言うことを聞いて、待って、それで何が変わる。どのみち、斬るのは俺だ。なら、斬れるときに、斬る」
「それで、ドッジが」
「俺一人なら、勝てた」
セイルは、言った。
「ドッジが来なければ、俺は自分でかわしていた。かわして、斬っていた」
嘘だった。
俺は、見ていた。あのとき、セイルは振り向いて、剣を構え直そうとして、間に合っていなかった。俺の目は、それを、はっきり見ていた。
セイルにも、分かっているはずだった。
気がついたら、セイルに殴りかかっていた。
拳は、届かなかった。
セイルは、半歩動いただけだった。俺の拳は、空を切った。次の瞬間、腹に、何かがめり込んだ。セイルの膝だった。
息が、できなくなった。
地面に、膝をついた。
それでも、立った。
また、殴りかかった。また、かわされた。今度は、頬を殴られた。口の中に、鉄の味が広がった。
立った。
殴りかかった。
セイルの拳が、また来た。
「――腹、減ったあああ」
家の中から、声がした。
ドッジだった。かすれているのに、やけに大きな声だった。
「誰か、何か、食わせてくれえ……喧嘩してる場合じゃないだろお……俺の腹のほうが、ずっと大変なんだぞお……」
セイルの拳が、止まった。
俺の拳も、止まっていた。
二人とも、家の戸口を見た。
戸口から、エルナが顔を出した。俺たちを見て、それから、手に持った木の椀を突き出した。
「どっちか。芋、つぶして」
俺とセイルは、顔を見合わせた。
セイルが、先に、目をそらした。
◇
昼前に、ガルドが来た。
村長の婆さんの孫が、夜のうちに山を下りて、砦まで走ってくれたのだという。十二歳の男の子だった。砦の門を叩いて、班長さんが死にそうだ、と叫んだらしい。
「班長さん」
ガルドは、寝床のドッジを見下ろして、言った。
「お前が、班長か」
「違います……婆ちゃんが、勝手に……」
「そうか」
ガルドは、エルナから怪我の様子を聞いた。黙ってうなずいて、それから、外に出た。
俺とセイルを、家の前に立たせた。
俺の頬は、腫れていた。セイルの拳の皮が、少しむけていた。ガルドは、それを見て、何も訊かなかった。
「何があった」
セイルが、まっすぐ立ったまま、答えた。
「二頭目の熊に、不意を突かれました。ドッジが、俺の前に入りました」
「リオは、何と言った」
「……巣が、二つあると」
「言われたのに、行ったのか」
「はい」
「なぜだ」
「一人で、斬れると思いました」
ガルドは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「一人で強いやつから、死ぬ」
低い声だった。
「三人なら、帰れる」
セイルの顔が、こわばった。
「俺は、そういう死に方を、山ほど見てきた。剣が一番うまいやつが、一番先に死ぬ。仲間の言うことを聞かないからだ。聞かないのは、自分のほうが強いと知ってるからだ。強いのは本当だ。だから、余計に、たちが悪い」
「……」
「一人の剣は、一人分しか斬れん。囲まれたら終わりだ。横から来たら終わりだ。後ろは、見えない」
ガルドは、俺を顎で指した。
「こいつは、剣を抜けん。だが、横から来るのが見える。ドッジは、剣が下手だ。だが、横から来たのを止められる。エルナは、一晩でドッジを生かした」
ガルドは、セイルを見た。
「お前は、一人で何ができる」
「熊を、斬れます」
「斬った後は」
セイルは、答えなかった。
「三人いれば、一人が見て、一人が止めて、一人が斬れる。だから帰れる。四人いれば、もう一人が、帰り道で倒れたやつを運べる」
ガルドは、それで話を終えた。
いつもの説教の、十分の一もなかった。
短いぶん、重かった。
セイルは、黙って、頭を下げた。
頭は下げたけれど、聞いてはいなかった。それは、俺にも分かった。セイルの拳は、まだ握られたままだった。
ガルドが、背を向けかけた。
「隊長」
俺は、言った。
ガルドが、振り返った。
「熊は、俺たちでやります」
「……」
「四人で」
セイルが、俺を見た。
家の中から、ドッジの声がした。
「……俺も、数に入ってるのか?」
「入ってる」
「歩けないぞ」
「歩かなくていい」
俺は言った。
まだ、何も考えていなかった。ただ、四人で、と言わないと、この班は、ここで終わってしまう気がした。
ガルドの片方だけの目が、俺を見ていた。
長い間、見ていた。
「……三日やる」
ガルドは言った。
「三日で、四人で倒す方法を考えろ。考えられなかったら、俺が斬る」
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