隊商の護衛
出発の前の晩、ガルドに、剣を一本渡された。
本物の剣だった。
刃の長さは、腕の長さくらい。団の倉庫にあった、古い短めの剣だという。鞘は傷だらけで、柄に巻いた革が擦り切れていた。
「腰に下げとけ。丸腰の護衛は、雇い主が嫌がる」
「……はい」
受け取った。重かった。
部屋に戻って、寝床の上で、鞘から少しだけ抜いてみた。
ランプの明かりが、刃に映った。
燃える屋根の色だった。
手が、震えた。木の剣のときより、ずっとひどかった。刃が鞘に当たって、かちかちと鳴った。止めようとしても、止まらなかった。
俺は、剣を鞘に戻した。
部屋の隅で、ドッジが盾の革紐を直していた。セイルは、窓際で、自分の剣を研いでいた。毛布の向こうで、エルナが、薬草をすり潰す音がしていた。
誰も、俺のほうを見ていなかった。
と思っていた。
部屋を出て、井戸で顔を洗っていると、後ろにガルドが立っていた。
「抜けないか」
見られていたのだ。
「……抜けます。抜くだけなら」
「振れないか」
答えられなかった。
ガルドは、井戸の縁に腰を下ろした。
「剣は、抜かなくていい」
「え」
「お前は、見ろ」
ガルドの片方だけの目が、俺を見た。
「見て、言え。お前の仕事は、それだけだ」
「……でも、それじゃ」
「それじゃ、何だ」
「足手まといです」
「セイルに言われたか」
俺は、黙った。
ガルドは、鼻で笑った。
「剣を振れるやつは、団に五十人いる。お前みたいな目を持ってるやつは、一人もいない」
ガルドは立ち上がって、建物のほうへ歩いていった。
途中で、振り返らずに言った。
「明日は早い。寝ろ。寝不足の目は、使いものにならん」
◇
次の朝、リンデの町の南門で、隊商と落ち合った。
荷車が五台。それぞれに、塩の袋が山のように積んであった。御者が五人。それと、雇い主の商人が一人。
商人は、トマスといった。
丸々と太った男だった。ドッジより横幅があった。指に、金の指輪を三つはめていて、ひっきりなしに、焼き菓子を口に放り込んでいた。
トマスは、俺たち四人を見て、眉をひそめた。
「……子どもじゃないか」
「新入りだよ」
見送りに来ていたヘルガが、にっこり笑った。
「話が違うぞ、ヘルガ。わしは、灰狼団の護衛を頼んだんだ。見習いを四人も寄こされて、同じ値段が払えるか」
「同じ値段なんて言ってないよ」
「なら、半額だな」
「倍だよ」
トマスが、焼き菓子を喉に詰まらせた。
「ば、倍」
「見習い四人に、うちの第三隊長がつく。ガルドの値段は、普通の団員の三人分だ。足すと、倍」
「新入りの分を、引け」
「新入りは、給金をもらってない。引くもんがない」
「なら、隊長を外せ」
「外したら、見習い四人だけになるよ。いいのかい」
「……よくない」
「だろう」
トマスは、指輪の指で、顎の肉をつまんだ。
「八割だ」
「倍」
「九割」
「倍」
「……同じ値段」
「倍」
「ヘルガ、お前には、商人の心というものがないのか」
「あるよ。だから、倍って言ってる」
二人は、それから、日がすっかり昇るまでやり合った。
最後は、元の値段の一割増しで、手を打った。トマスは、町じゅうに聞こえるような声で、灰狼団は強盗だと叫んだ。ヘルガは、トマスの店の塩はしょっぱいと叫んだ。
塩は、しょっぱいものだと思う。
でも、二人とも、なんだか満足そうな顔をしていた。
「毎回、こうなんだよ」
ボリスが、俺の耳元でささやいた。ボリスは護衛には来ない。見送りに来ただけだった。
「十年、ずっとだ。あれが、二人の挨拶なんだ」
護衛は、俺たちだけではなかった。
トマスが、自分でも護衛を三人雇っていた。別の小さな傭兵団の男たちで、頭はブルーノという、髭の濃い男だった。
ブルーノは、俺たちを見て、鼻で笑った。
「灰狼団も、落ちたもんだな。赤ん坊の子守りまで引き受けるとは」
ガルドは、相手にしなかった。
セイルが、ブルーノを、じっと見ていた。剣の柄に、手が触れていた。
「やめとけ」
ガルドが、前を向いたまま言った。
「……何も、していません」
「する顔をしてた」
◇
一日目は、何も起きなかった。
隊商は、ゆっくり南へ進んだ。荷車の車輪が、ごとごと鳴った。
ガルドが先頭。ブルーノの三人が、真ん中の荷車のまわり。俺たち四人は、ガルドに言われて、ばらばらに散った。
セイルは、ガルドのすぐ後ろ。ドッジは、トマスの乗った荷車の横。エルナは、最後尾。
俺は、どこでもない場所だった。
「好きに動け。見えるところに」
ガルドは、そう言っただけだった。
だから俺は、隊商の前に行ったり、横の丘に上がったり、後ろに戻ったりしながら、ずっと道のまわりを見ていた。
トマスは、俺が丘を駆け上がるたびに、うさんくさそうな顔をした。
「あの小僧は、何をしてるんだ。散歩か」
「見てます」
ドッジが、まじめに答えた。
「何を」
「全部です」
トマスは、焼き菓子をかじって、首をひねった。
それから、横を歩くドッジを、ちらりと見た。ドッジの目が、トマスの焼き菓子の袋に、釘付けになっていた。
「……一つ、やろうか」
「いいんですか」
「一つだけだぞ」
ドッジは、その日の夕方までに、焼き菓子を九つもらっていた。どうやったのかは、分からない。
エルナは、最後尾を歩きながら、ときどきしゃがみ込んで、道ばたの草を摘んでいた。薬草なのだろう。腰の袋が、少しずつふくらんでいった。
夜は、街道沿いの野営地で、火を囲んだ。
セイルは、一人だけ、火から離れて座っていた。
◇
二日目の昼前に、街道は谷に入った。
両側から、低い丘が迫ってくる。丘の斜面には、背の高い木が茂っていた。林だった。道は、その林の間を、ゆるく曲がりながら抜けていく。
「ここを抜ければ、あとは平地だ」
トマスが、ほっとしたように言った。
「この谷さえ越えれば、宿場町まで、半日だ」
俺は、隊商の少し前を歩いていた。
前の晩に、雨が降っていた。夜中に少しだけ。道はまだ湿っていて、ところどころに、水たまりが残っていた。
その水たまりの横に、轍があった。
荷車の、車輪の跡だった。
街道だから、轍があるのは当たり前だった。毎日、何台も荷車が通る。
でも、その轍は、変だった。
縁が、尖っていた。
古い轍は、雨が降ると、縁が崩れて丸くなる。この轍は、崩れていなかった。くっきりと、刃物で切ったみたいに、泥が盛り上がっていた。
雨のあとに、できた轍だった。
夜中から、今朝までの間に。
俺は、轍を目で追った。
俺たちと、同じ方向に向かっていた。南へ。谷の奥へ。
なのに、前を見ても、荷車は一台も見えなかった。この谷の道は、ずっと先まで見通せる。半日先を行っている荷車なら、谷を抜けた先の平地に、点になって見えるはずだった。
何も、見えなかった。
もう一度、轍を見た。
轍は、道のゆるい曲がり角で、ふいに、道を外れていた。
林の中へ。
入っていった跡はあった。
出てきた跡は、どこにもなかった。
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