前夜
夜のうちに、リンデの町に入った。
四十人。荷車に、槍と盾と矢を積んで。片腕のガルドは、荷車の上に座っていた。降りろと言っても、降りなかった。
「頭は、まだ二つある」
「頭は一つです」
「目が一つで、頭が一つ。足りないものは、口で補う」
ガルドは、荷車の上から、ずっと口を出していた。
リンデの町は、低い石の壁に囲まれていた。
大人の背の、一つ半くらいの高さ。古くて、ところどころ崩れかけていた。門は、北と南と東に一つずつ。北門は、砦へ続く丘の道。南門は、街道。東門は、川沿いの道だった。
町の真ん中に、広場があった。広場の北の端に、石造りの鐘楼が立っていた。町で一番高い建物だった。
広場に、人が集まっていた。
町の人たちだった。寝間着の上に外套を羽織った男たち。子どもの手を引いた女たち。年寄り。
その真ん中で、丸々と太った男が、木箱の上に立って、大声を張り上げていた。
「塩だ! 塩の袋を、全部出せ! わしの倉の分も、全部だ!」
トマスだった。
金の指輪を三つはめた手を、振り回していた。
「門の内側に、積み上げろ! 塩の袋は、矢を止める! 火も止める! 濡らせば、もっと止まる!」
「トマスさん、それ、売り物じゃ……」
「売り物は、町が残ってから売る!」
トマスは、俺たちを見つけて、木箱から転げ落ちそうになった。
「灰狼団! 来たか! 轍の小僧も!」
「トマスさん」
「塩は、あとで拾える。死んだら、拾えない」
トマスは、ガルドのほうを見て、にやりと笑った。
「谷で、あんたが言ったことだ。値切らずに使わせてもらうぞ」
ガルドは、荷車の上で、鼻を鳴らした。
◇
ヘルガが、鐘楼の下に、皆を集めた。
灰狼団の四十人と、町の若い衆が、五十人ほど。トマスが集めてきた男たちだった。鍬や、薪割りの斧や、物干し竿の先に包丁をくくりつけたものを持っていた。
「黒鴉は、東から来る」
ヘルガは、言った。
「東門を、塩の袋でふさぐ。北と南の門は、閉める。壁の上に、弓を並べる。黒鴉が壁に取りついたら、上から落とす。石でも、熱い湯でも、何でもいい」
「魔法は」
誰かが訊いた。
「魔法は、避けるしかない」
ヘルガは、俺を見た。
「だから、見張りがいる」
ヘルガは、鐘楼を指さした。
「リオ。あんたは、あそこだ。町じゅうが見える。黒鴉の動きも、魔法も、全部見て、鐘で知らせな」
「はい」
「ドッジ。あんたは、東門。塩の袋の後ろ。門が破られたら、あんたが門だ」
「おう」
「エルナは、東門の近くの屋根。弓だ。怪我人が出たら、下りて手当て」
エルナが、うなずいた。
「セイル」
ヘルガは、セイルを見て、それから、俺を見た。
「班長が、決めな」
俺は、セイルを見た。
ゆうべ、一晩じゅう考えた。答えは、一つしか出なかった。
「広場」
俺は、言った。
「セイルは、広場にいてくれ。どこか一つの門じゃなくて、真ん中に。どこが破られても、一番早く行ける場所に」
「……遊軍か」
「ヴォルグが入ってきたら、たぶん、まっすぐ広場に来る。町の真ん中を取れば、町が取れる。黒石原で、黒鴉は、まっすぐ灰狼団の真ん中を狙った」
セイルは、黙って聞いていた。
「ヴォルグが来たら、鐘を三回、鳴らす。三回鳴ったら、ドッジもエルナも、広場に来る。俺も下りる」
「それまで、俺は」
「待ってくれ」
俺は、言った。
「一人で、出ないでくれ」
セイルは、長い間、俺を見ていた。
それから、うなずいた。
「……分かった」
◇
夜半過ぎ、北門の外に、馬の蹄の音がした。
壁の上の見張りが、叫んだ。
「騎馬だ! 北から! 二十!」
灰狼団の団員たちが、槍をつかんで、北門に走った。
俺も、走った。
北門の上から見下ろすと、二十騎が、門の前で止まっていた。
鎧を着ていた。でも、胸の印が、見えなかった。全員、胸に、灰色の布を巻いていた。白い塔の印を、隠すように。
先頭の男が、兜を脱いだ。
黒い髪に、白いものが、少しだけ混じっていた。
「門を開けてくれ」
ベルントだった。
「……騎士団は、来ないんじゃなかったのか」
ヘルガが、門の上から言った。
「騎士団は、来ていない」
ベルントは、言った。
「我々は、リンデの町に、宿を取りに来た。二十人で。たまたま」
「たまたま」
「たまたまです。旅の者が、泊まった町で、火事が起きれば、桶を持って走る。それは、命令違反ではない」
ベルントは、胸の灰色の布を、指で叩いた。
「今夜の我々は、ただの宿泊客だ」
ヘルガは、しばらく、ベルントを見下ろしていた。
それから、にっこり笑った。
「宿代は、取るよ」
「……払います」
「値切らずにね」
門が、開いた。
荷車の上で、ガルドが、片方だけの目を、そっと閉じていた。
◇
夜明けまで、あと二刻だった。
鐘楼の下の広場で、マーサ婆さんが、大鍋で煮込みを作っていた。砦から、大鍋ごと荷車で運んできたのだ。
「戦の前は、食べるもんだよ」
マーサ婆さんは、四十人と、五十人と、二十人に、一杯ずつよそった。
第七班は、四人で、鐘楼の石段に座って食べた。
飯は、班で食う。
ドッジは、四杯食べた。
「……食いすぎだろ」
「明日の分も、食っとかないと」
「明日は、朝から戦だぞ。飯を食ってる暇なんかない」
「だから、今食うんだ」
ドッジは、四杯目を、きれいに平らげた。
「それに、親父に会ってきた」
「どうだった」
「盾を見せたら、怒った。盾を割るなって」
「やっぱり」
「怒って、それから、鍛冶場の奥から、別の盾を出してきた」
ドッジは、石段の横に立てかけた盾を、顎で指した。
見たこともない盾だった。分厚い鉄の板を、三枚重ねて、鋲で打ちつけてあった。縁に、細かい模様が刻んであった。持ち手の革が、新しかった。
「俺が傭兵になるって言った日から、作ってたんだって。渡しそびれてたって」
ドッジは、盾の縁を、指でなぞった。
「重いぞ、これ。前のの倍ある」
「持てるのか」
「持てる。親父の金床より、軽い」
エルナは、煮込みを半分食べて、残りを、ドッジの椀に移した。
ドッジは、何も言わずに、それも食べた。
セイルは、銀の匙で、煮込みを食べていた。
ゆっくりと。音を立てずに。最初に食堂で見たときと、同じ食べ方だった。
食べ終わると、セイルは、匙を布に包んで、懐にしまった。
それから、俺を見た。
「班長」
「ん」
「……背中を、頼む」
ドッジが、椀を持ったまま、固まった。
エルナが、顔を上げた。
セイルが、誰かに頼むのを、初めて聞いた。
俺は、セイルを見返した。
「頼まれた」
セイルは、うなずいた。
それ以上、何も言わなかった。
でも、その横顔は、銀の匙を見ていたときより、少しだけ、柔らかかった。
空の端が、まだ暗かった。
俺は、立ち上がった。
鐘楼の扉を開けて、石の階段を、上り始めた。
百二十段より、少し多かった。
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