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審問官

 物見台を駆け下りた。

 百二十段を、何段飛ばしで下りたのか、覚えていない。中庭に出ると、灰色の外套の一行が、井戸の前に立っていた。団員たちが、遠巻きに、それを見ていた。

 ヘルガが、団長の部屋から下りてきた。

 先頭の男が、ヘルガのほうを向いた。

 顔が、見えた。

 五十くらいの男だった。痩せていて、背が高かった。白髪まじりの髪を、きちんと後ろになでつけていた。指が、長かった。口元に、穏やかな笑みを浮かべていた。

 俺の足が、止まった。

 知っている顔だった。


 セラ村の、村長の家の前。

 子どもたちが、一列に並ばされていた。ミラも、その中にいた。俺は、もう十七で、列には入らなかった。少し離れて、見ていた。

 灰色の外套の男は、子どもを一人ずつ見ていった。袖をめくらせて、腕を見て、襟をずらさせて、肩を見た。

 ミラの番になった。

 ミラは、長袖をめくった。

 男は、ミラの腕を見た。

 ほかの子より、ほんの少しだけ、長く。

 それから、ミラの顔を見て、にっこり笑った。

 ――はい、いいですよ。

 最後の子まで見終わると、男は、村長に言った。

 ――この村には、誰もいませんね。

 そして、帰っていった。

 一か月後に、村が燃えた。


 あの男だった。

 指の長さも、髪のなでつけ方も、笑い方も、全部同じだった。

 俺の目は、忘れない。


「魔導院の、審問官をしております。オーベルと申します」

 男は、ヘルガに、丁寧に頭を下げた。

「お忙しいところ、申し訳ありません」

「何の用だい」

 ヘルガは、腕を組んだまま言った。

「王国軍の監督官から、報告がありましてね」

 オーベルは、穏やかに言った。

「黒石原の戦で、灰狼団の陣のそばの谷から、青い光が出た、と。王国の魔法使いが、それを見ております。魔法の光です」

 中庭が、ざわめいた。

「傭兵団に、刻印持ちがいる。それも、登録されていない野良が。そういうことになります」

 オーベルは、ヘルガに微笑みかけた。

「王国の法により、灰狼団の全団員の、肩と腕を、検めさせていただきます」


         ◇


 団員が、中庭に並ばされた。

 四十人ほどだった。黒石原から帰ってきた者と、砦に残っていた者と。怪我人も、寝床から引きずり出された。ガルドも、ドッジに肩を貸されて、列に入った。

 オーベルは、列の一番前から、一人ずつ見ていった。

 服を脱がせて、両腕を見た。背中を見た。肩を見た。長い指で、肌に触れて、ときどき、指先で強くこすった。

 時間が、かかった。

 オーベルは、急がなかった。


 俺は、列の真ん中あたりにいた。

 エルナは、俺の三人後ろにいた。顔色が、灰みたいだった。

 俺は、エルナの前に立っていた団員と、そっと場所を替わった。それから、また替わった。少しずつ、エルナを、列の後ろへ、後ろへと送っていった。

 セイルが、何も言わずに、同じことをした。

 エルナは、列の、一番最後になった。

 列の一番後ろは、食堂の壁際だった。食堂の窓が、開いていた。

 エルナが、窓の中に手を入れた。

 マーサ婆さんの、すり鉢があった。

 俺は、それを見ないようにした。


 エルナが、出がけに、早口で言ったのだ。

「焦げ茶の根と、赤い粉。すり潰して、塗る。乾くと、火傷の痕みたいに見える。昔、母さんが、背中に使ってた」

「どれくらいで乾く」

「半刻」

 半刻。

 オーベルが一人を見るのに、かかる時間を数えた。

 足りなかった。


 ドッジの番が来た。

 ドッジは、上着を脱いだ。大きな体が、日の光の下に出た。

 傷だらけだった。

 オーベルが、ドッジの右腕を見た。

「その傷は」

「谷の野盗です」

 ドッジは、言った。

「錆びた剣でした。リオをかばって。斬られた瞬間は、痛くなかったんです。でも、エルナが縫うとき、すごく痛くて。痛いけど痛くないって、そのとき、初めて言ったんです。それで、右で飯を食ったら縫い直すって言われて、三日、いや四日、左で食べました。左で食べると、こぼすんです。隊長も、最近、左で食べてて、すごくこぼしてます」

「……そうですか」

 オーベルは、ドッジの脇腹を見た。

「その傷は」

「熊です」

 ドッジは、うれしそうに言った。

「岩背熊。ロク村の。一頭目じゃなくて、二頭目です。一頭目はセイルが倒したんですけど、二頭目が横から来て、俺が盾で止めて、止めたけど吹っ飛ばされて、骨が刺さって、エルナが一晩じゅう――」

「なるほど」

「それと、これは」

 ドッジは、左の脛を指さした。

「熊で折れたやつです。添え木して、ひと月。でも、熊より治りが早いって言われて」

「熊より」

「熊より、です。それと、これが鍛冶場の火傷。五つのとき。これも鍛冶場。七つのとき。これは、八つのとき、親父の金床を落として――」

 ドッジは、体じゅうの傷を、一つずつ、指さしていった。

 一つずつ、全部の傷に、話があった。

 オーベルは、穏やかな顔のまま、聞いていた。

 中庭の団員たちの何人かが、下を向いて、肩を震わせていた。笑いをこらえているのだった。ドッジの話は、本当に、全部の傷の分あった。


 ドッジの番が終わると、セイルの番だった。

 セイルは、上着を脱ぐ前に、オーベルの前に片膝をついた。右手を胸に当てて、左手を背中に回した。

「審問官殿。ヴェルナー家の、セイルと申します」

 ゆっくりと、流れるような、あの礼だった。

「審問の儀に先立ち、家の名にかけて、身の潔白を申し上げます。古き作法に則り、まずは右の袖より――」

 セイルの作法は、長かった。

 上着を脱ぐのに、手順が七つあった。腕を見せるのに、手順が五つあった。一つずつ、口上がついていた。

 ドッジの傷の話と、同じくらい長かった。

 オーベルの笑みが、ほんの少しだけ、薄くなった。


 日が、傾いていた。

 俺の番が来た。俺は、服を脱いで、腕と肩を見せた。オーベルの長い指が、俺の肩に触れた。冷たかった。

 オーベルは、俺の顔を見なかった。

 俺の肩だけを、見ていた。

 セラ村で、ミラの腕を見たときと同じ目だった。

 物を、見る目だった。


 俺のあとは、八人だった。

 八人目が、終わった。

 中庭に、もう誰も残っていない、はずだった。

 オーベルが、顔を上げた。

 列の最後を、見た。

 食堂の壁際。窓の下。

 そこに、エルナが立っていた。

 左の肩を、服の上から、右手で押さえていた。

 半刻には、まだ少し、足りなかった。

 オーベルは、穏やかに、微笑んだ。

「最後の方が、残っていますね」

 長い指が、エルナを、まっすぐ指した。

 さっきから、列の中を、少しずつ後ろへ下がっていった娘を。

「そこの、薬師の娘。前へ」

お読みいただき、ありがとうございます。

毎日、朝7時と夜21時に更新します。

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