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片腕の教官

 ガルドは、左手で匙を持つのが、下手だった。

 煮込みをすくって、口まで運ぶ途中で、半分こぼした。もう一度すくって、また半分こぼした。三回目で、匙を椀の中に放り込んだ。

「……くそ」

「俺が食わせます」

 ドッジが、寝床の横に、椅子を持ってきた。

「いらん」

「隊長、さっきから一口も入ってません」

「入ってる。半分ずつ入ってる」

「半分の半分です」

 ドッジは、ガルドの椀と匙を取り上げた。煮込みを、たっぷりすくった。たっぷりすぎた。

 ガルドの口に、突っ込んだ。

 入りきらなかった分が、ガルドの顎を伝って、胸に垂れた。

「……熱い」

「すみません」

「多い」

「すみません。隊長、いつも少ししか食べないから、今日は多めにと思って」

「食えん量を口に入れるのは、食わせるとは言わん。詰め込むと言う」

 ガルドは、口の中のものを飲み込むと、そのまま説教を始めた。

 食わせ方の話から、傷病兵の世話の話になった。傷病兵の世話の話から、騎士団の見習いのころに、先輩の騎士の世話をした話になった。先輩の騎士の話から、その騎士の馬の話になって、馬の話から、馬の餌の話になった。

「――だから、餌は、少しずつだ。一度にやると、馬は腹を壊す。人間も同じだ。分かったか」

「はい」

「やってみろ」

 ドッジは、匙に、ほんの少しだけ煮込みをすくった。豆が三粒だった。

 ガルドの口に、そっと入れた。

「……少なすぎる」

「すみません」

 ガルドの説教は、それから、いつもの三倍の長さになった。

 ドッジは、豆を三粒ずつ、匙で運び続けた。


         ◇


 五日目に、ガルドは、寝床の上に起き上がれるようになった。

 熱は、下がっていた。右の肩の先の傷も、エルナが毎日布を替えていて、膿んではいなかった。

 その日の夕方、エルナが布を替えているときに、ガルドが言った。

「エルナ」

「……はい」

「礼を言う」

 エルナの手が、止まった。

 俺は、部屋の戸口にいた。ガルドに呼ばれて、来たところだった。

「腕を切ったのは、お前の判断だ。あのまま待っていたら、俺は死んでいた」

「……はい」

「それと」

 ガルドは、天井を見た。

「谷の入り口で、何があったかは、俺は覚えていない」

 エルナが、ガルドを見た。

「ドッジの背中で、揺られてた。目の前が、真っ白だった。何も見ていない」

 ガルドは、閉じた左目を、指で叩いた。

「片目だからな。見えるものも、半分だ」

 エルナは、しばらくガルドを見ていた。

 それから、黙って、布を巻く手を、また動かし始めた。

 手つきが、いつもより、ずっと丁寧だった。


 エルナが部屋を出ていくと、ガルドが、俺を手招きした。

「話があるって顔だな」

「……はい」

「座れ」

 寝床の横の椅子に、座った。ドッジが、豆を三粒ずつ運んでいた椅子だった。

 話した。

 黒鴉の岩の上で見た、顔のこと。右の眉の上の、白い傷のこと。ミラのこと。真夏でも長袖だったこと。一か月前に村に来た、灰色の外套の男のこと。

 ガルドは、途中で一度も口を挟まなかった。

 話し終わると、長い間、黙っていた。

「……一人だけか、と訊いたな」

「はい。灰の中で」

「あのとき、変だと思った。村を焼く野盗は、子どもを攫うとき、一人じゃ済まさない。売れるものは全部持っていく。なのに、一人だけだった」

 ガルドは、窓の外を見た。

「最初から、その子だけが目当てだった。刻印持ちの子だけが」

「黒鴉は、ミラを、魔法使いにするために」

「たぶんな。王国が魔法使いを抱えてるように、黒鴉も抱えたかったんだろう。傭兵団に魔法があれば、どの戦でも、高く売れる」

 ガルドは、俺を見た。

「だが、分からんことがある」

「……何ですか」

「黒鴉は、どうやって、その子のことを知った」


 俺は、答えられなかった。

 ガルドは、左手の指を一本、立てた。

「刻印持ちは、千人に一人だ。どこの村の、どの家に、刻印を隠した子がいるかなんて、外から分かるはずがない。その子は、真夏でも長袖を着て、隠してたんだろう」

「……はい」

「隠してた子を、国境の向こうの傭兵団が、どうやって見つける。わざわざ二十騎も出して、山を越えて、迷わずその村だけを焼いて、その子一人だけを連れていく」

 ガルドは、指を下ろした。

「誰かが、教えたんだ」

 部屋の中が、静かになった。

「その子の腕を見た誰かが」

 灰色の外套が、頭の中に浮かんだ。

 村長の家の前に、子どもたちを並ばせた男。一人ずつ、肩と腕を見ていった男。

 誰もいなかった、と言って帰っていった男。

「……隊長」

「言うな」

 ガルドが、さえぎった。

「まだ、言うな。証拠がない。証拠のないことを口に出すと、口に出したやつが死ぬ。この国では、特にな」

 ガルドの片方だけの目が、俺を見ていた。

 怒っているのではなかった。

 何かを、恐れているように見えた。

 ガルドの顔に、そういう色が浮かぶのを、俺は初めて見た。


         ◇


 次の朝、物見台の番だった。

 百二十段を上りきって、南の街道を見た。いつもの形だった。三つ目の曲がり角に、昼過ぎには鹿が出る。荷車が、のろのろと通る。

 日が少し高くなったころ、街道の向こうに、馬が見えた。

 六頭。

 隊商ではなかった。荷車を引いていなかった。まっすぐ、砦のほうへ向かってきていた。速くもなく、遅くもなく、揃った歩き方だった。

 俺は、目を凝らした。

 先頭の馬に乗っている男の、着ているもの。

 灰色だった。

 外套だった。

 二頭目も。三頭目も。後ろの三頭は、槍を持った兵士だった。兵士の鎧の胸に、白い塔の印があった。

 旗竿を、握った。

 一回振れば、人。

 振ろうとして、手が止まった。

 灰色の外套の一行は、丘を登ってきた。砦の門の前で、止まった。

 先頭の男が、馬を降りた。門番に、何か言った。

 門番が、慌てて、中庭のほうへ走っていくのが見えた。

 俺は、旗竿を握ったまま、動けなかった。

 見えていた。

 全部、見えていた。

 あの男の、顔までは、まだ見えなかった。


 門が、開いた。

 灰色の外套の一行が、砦の中に入ってきた。

 魔導院だった。

お読みいただき、ありがとうございます。

毎日、朝7時と夜21時に更新します。

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