最初の死
ガルムの軍勢は、二日後に戻ってきた。
前より、数が増えていた。
「懲りねえな」
ボリスが言った。
「懲りないんじゃない。向こうも、雇われてる諸侯の兵隊だ。帰ったら、領主に怒られる」
ガルドが言った。
「だから、一回は、本気で来る」
その朝、ドッジは、干し肉を二枚食べていた。
一枚は自分の分で、もう一枚は、二日前にエルナに押しつけた分だった。エルナは、結局、あれを食べずに、ドッジに返したのだった。
「食べないなら、俺が食う」
「最初から、そのつもりだったでしょ」
「……ちょっとだけ」
エルナは、呆れた顔をした。
二日前より、顔色が、少しだけよくなっていた。
ガルドは、俺を、灰狼団の陣の右の、小高い丘に上げた。
「今日は、ここで見ろ。お前の仕事は、斥候だ」
「はい」
「ドッジ。お前も、上がれ」
「俺も?」
「声だ」
ドッジは、ああ、と納得した顔をした。
「馬も、連れていけ。何か見えたら、ドッジが叫ぶ。叫んでも届かない相手には、お前が馬で走れ」
ガルドは、俺を見た。
「十四回落ちたんだ。十五回目は、落ちるなよ」
◇
丘の上から、平原が全部見えた。
王国軍の陣。白い天幕。騎士たちの列。真ん中に、あの小さな天幕。
ガルムの軍勢。前の日より、ずっと厚い列。
右手の奥に、黒い岩が並んだ、低い尾根があった。平原を斜めに横切って、王国軍の右の端、灰狼団の陣の、すぐ横まで伸びていた。
角笛が鳴った。
ガルムの列が、前に出始めた。王国軍の真ん中から、またあの馬が出ていくのが見えた。灰色の外套と、銀の輪の男の子。
みんなの目が、そっちを見ていた。
俺は、見なかった。
ガルドに、教わったことだった。みんなが見ている場所は、みんなが見ている。だから、お前は、みんなが見ていない場所を見ろ。
尾根を、見た。
黒い岩。まばらな草。その向こうの、空。
空に、土埃が上っていた。
薄い、茶色い靄だった。
風は、北から吹いていた。平原の土埃は、全部、南に流れていた。
尾根の向こうの土埃は、東に流れていた。
風に、逆らって。
何かが、土を蹴り上げながら、尾根の陰を、東に向かって動いていた。
速かった。人の足の速さではなかった。
「ドッジ」
「ん」
「騎馬だ。尾根の向こう。東に回ってる」
土埃の幅を見た。広かった。セラ村を焼いた二十騎の、何倍もあった。
「たぶん、百」
「百」
「尾根の端から、こっちに出てくる。灰狼団の、横に」
ドッジは、息を吸い込んだ。
腹の底まで。
「――右だああああああっ! 尾根の陰に、騎馬あああっ! 百いいいっ!」
平原じゅうに、響いた。
灰狼団の陣で、何十もの顔が、一斉に、こっちを見上げた。
ガルドが、剣を抜いて、何か叫ぶのが見えた。第三隊が、向きを変え始めた。槍を持った団員が、尾根のほうへ、列を組み直していく。
でも、王国軍の騎士たちは、動かなかった。
騎士たちは、平原の真ん中の、魔法の馬を見ていた。
ドッジの声は、あそこまでは届かなかった。
「リオ」
ドッジが言った。
「分かってる」
俺は、馬に飛び乗った。
丘を、駆け下りた。
背中を丸めるな。馬に、怖いのがばれる。
ボリスの声が、頭の中で鳴った。
背中を伸ばした。手綱を握った。馬の首に、体を伏せた。
灰狼団の陣の横を抜けた。石ころだらけの斜面を下った。王国軍の、騎士たちの列の、横に出た。
騎士たちが、驚いた顔で、俺を見た。
「ベルント隊長は!」
叫んだ。
「ベルント隊長はどこですか! 灰狼団の、斥候です!」
誰かが、列の中ほどを指さした。
そこに、ベルントがいた。馬の上で、平原の真ん中を見ていた。
俺は、馬をそこまで走らせた。
止まりきれなかった。馬が、ベルントの馬にぶつかりそうになって、棒立ちになった。
落ちなかった。
「騎馬が、来ます!」
息が、切れていた。
「右の尾根の陰を、東へ回ってます。たぶん、百。灰狼団の横に、出てきます。灰狼団は、五十しかいません」
ベルントが、俺を見た。
尾根のほうを見た。
土埃は、ここからは、ほとんど見えなかった。騎士たちの何人かが、首をひねった。
ベルントは、首をひねらなかった。
「……君は、ガルド隊長の班の子か」
「はい」
「隊長は、何と」
「何も。俺が見ました」
ベルントは、一瞬だけ、黙った。
それから、後ろを振り返って、叫んだ。
「第四小隊、第五小隊! 右へ回れ! 灰狼団の横につけ!」
◇
騎馬が、尾根の端から、飛び出してきた。
俺が、灰狼団の陣に戻ったのと、ほとんど同時だった。
百騎よりも、多かったかもしれない。土埃の中から、馬の列が、次から次へと湧き出てきた。槍を前に倒して、灰狼団の横腹に、まっすぐ向かってきた。
第三隊は、もう、向きを変え終わっていた。
槍の穂先を、ずらりと並べていた。その後ろに、盾。その後ろに、また槍。
ドッジが、丘から転がるように駆け下りてきて、盾の列に加わった。
騎馬が、槍の列に、ぶつかった。
音が、した。
鉄と、木と、骨と、馬の悲鳴が、全部まとめて砕けるような音だった。
槍の列が、たわんだ。
でも、崩れなかった。
崩れかけたところに、横から、王国軍の騎士たちが、なだれ込んできた。ベルントの、第四小隊と第五小隊だった。
ガルムの騎馬が、挟まれた。
それからは、早かった。
平原の真ん中で、また、白い光が走った。
ガルムの軍勢は、もう一度、北へ引いていった。
俺は、馬を降りて、第三隊の列のほうへ走った。
列は、もう、ばらばらになっていた。団員たちが、地面に座り込んでいた。倒れたまま、動かない者もいた。うめいている者もいた。
セイルが、剣を下げて、立っていた。鎧が、返り血で汚れていた。怪我は、していなかった。
ドッジが、盾を地面に置いて、膝をついていた。盾に、槍の穂先が、二本、折れて刺さっていた。
エルナが、倒れた団員の間を、走り回っていた。
ガルドが、列の一番前だったところに、しゃがんでいた。
その前に、誰かが、仰向けに倒れていた。
太っていた。
ボリスだった。
ボリスの脇腹に、槍が一本、刺さっていた。
穂先が、背中まで、抜けていた。
騎馬の最初の一騎を、ボリスが、正面から受け止めたのだと、あとで聞いた。第三隊の、一番前で。誰かが受けないと、列の真ん中に、穴が開くから。
ボリスの目は、開いていた。
俺が来たのを見て、口の端が、少しだけ、上がった。
「……坊主」
声が、ほとんど、息だった。
「戻って、きたか」
「……はい」
「馬」
「……」
「落ちな、かったか」
「落ちませんでした」
ボリスは、目を細めた。
「……そうか」
口の端から、赤いものが、一筋、流れた。
「拾って、やれなくて……つまんねえな」
笑おうとしたのだと思う。
笑う前に、ボリスの目から、何かが消えた。
空を、見ていた。
何かを言いかけたみたいに、口が、少しだけ開いていた。
ヤンと、同じだった。
ガルドは、何も言わなかった。
俺は、ボリスの目を、閉じた。
指が、震えていた。
でも、ヤンのときほどは、震えなかった。
それが、嫌だった。
ボリスの腰の袋から、干し肉の切れ端が、のぞいていた。
最初に会った朝、俺に放ってくれたのと、同じ干し肉だった。
◇
その日、灰狼団は、五人を失った。
ボリスと、第三隊の三人と、第一隊の一人。
ガルドは、夜、焚き火のそばで、俺に一度だけ言った。
「お前の目がなかったら、第三隊は、全部ボリスと同じだった」
「……分かってます」
ガルドは、俺を見た。
「分かってるか」
「勘定は、分かってます」
ガルドは、しばらく黙っていた。
「なら、いい」
それだけ言って、焚き火に、枝をくべた。
夜中、見張りの岩に、また上った。
眠れる気がしなかった。
平原は、暗かった。王国軍の陣の焚き火が、手前に並んでいた。その向こうの、ずっと北のほうに、ガルムの陣の焚き火が、まばらに見えた。
ガルムの陣の、一番東の端だった。
新しい焚き火が、いくつも、ともっていた。
昨日までは、なかった火だった。
その火の明かりの中に、旗が一本、立っていた。
風が吹いて、旗が、広がった。
黒い旗だった。
真ん中に、翼を広げた、鳥。
左の翼の先が、少しだけ、欠けていた。
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