灰狼団
灰狼団の砦までは、馬で丸一日かかった。
俺は馬に乗れないので、太った男の後ろに乗せられた。男はボリスと名乗った。第三隊の古株で、隊で一番よく食べて、一番よくしゃべる男だった。
「落ちるなよ、坊主。落ちたら拾わねえぞ」
「はい」
「嘘だ。拾う。拾うけど、そのあと一日じゅう笑う」
ボリスの背中は広くて、汗と革の匂いがした。俺は、腰の鎌が馬の腹に当たらないように、ずっと手で押さえていた。
誰も、村のことは訊かなかった。
ガルドは先頭で、一度も振り返らなかった。
◇
砦は、灰谷の町リンデの北の丘の上にあった。
古い石の壁が、丘のてっぺんをぐるりと囲んでいた。ところどころ崩れていて、崩れたところを木の柵でふさいであった。壁の上に、灰色の狼を描いた旗が一本、だらりと垂れていた。
「昔は、王国の砦だったんだとよ」
ボリスが言った。
「百年くらい前にな。国境が北に動いて、いらなくなった。それを、うちの初代の団長が、二束三文で買った」
「二束三文で、砦が買えるんですか」
「買えるさ。直す金がなけりゃ、ただの石の山だ」
門をくぐると、中は思ったより広かった。真ん中に井戸があって、まわりに厩と、鍛冶場と、長い石の建物がいくつか並んでいた。あちこちで、男たちが剣を研いだり、鎧を繕ったり、寝転がったりしていた。女もいた。子どももいた。羊が三頭、勝手に歩き回っていた。
村より、人が多かった。
「団長に会わせる」
ガルドが、初めて俺に口をきいた。
連れていかれたのは、一番奥の建物の二階だった。机の上に帳簿が山になっていて、その向こうに、女が一人座っていた。
四十くらいだろうか。赤茶けた髪を、後ろで一つに縛っていた。首から、金色の札を下げていた。腕は、ボリスより太かった。
「拾いものかい、ガルド」
「セラ村だ。夜のうちに焼かれた。生き残りは、こいつ一人」
女は、帳簿から顔を上げずに言った。
「名前」
「リオです」
「歳」
「十七です」
「何ができる」
「……目が、いいです」
女は、そこで初めて顔を上げた。
「目」
「遠くのものが、よく見えます。鳥追いをしていました」
「目で、飯は食えないよ」
「……はい」
女は、俺を上から下まで見た。細い腕と、焼け焦げた服と、腰の鎌を見た。
それから、にっこり笑った。
怖かった。
笑っているのに、目がまったく笑っていなかった。狼が口を開けたら、たぶんこういう顔になる。
「あたしはヘルガ。灰狼団の団長だ」
ヘルガは、机の引き出しから、小さな木の札を一枚出した。紐が通してあった。表に、狼の頭が焼きつけてあった。
「見習いの札だ。木札っていう。木札のうちは、給金は出ない。飯と寝床だけだ」
札を、俺の首にかけた。軽かった。
「飯代は、働いて返しな」
「はい」
「返す前に死んだら、貸しっぱなしだ。だから死ぬんじゃないよ」
そう言って、ヘルガはまた帳簿に目を落とした。
話は、それで終わりだった。
◇
夕飯は、一番大きな建物の、食堂で食べた。
長い机が四列並んでいて、団員がみんな、そこで食べる。料理番はマーサという婆さんで、大鍋の前に陣取って、木の柄杓で一杯ずつ、煮込みをよそっていた。
「新入りかい」
「はい」
「なら、あっちの端だ。新入りの席だよ」
柄杓で指された机の端に、先客が三人いた。
俺と同じ週に入った、見習いたちだった。
一人目は、大男だった。
座っていても、俺より頭一つ大きい。肩幅が、俺の倍ある。丸い顔で、目が細くて、口のまわりに煮込みがついていた。
大男は、空になった椀を持って立ち上がると、大鍋の前に並んだ。
「マーサ婆ちゃん、おかわり」
「三杯目だよ、あんた」
「三杯目です」
「新入りは二杯までだ」
「じゃあ、二杯目の、おかわりです」
マーサ婆さんは、何か言いかけて、やめた。黙って、椀に煮込みをよそった。大男は、満面の笑みで戻ってきた。
それから俺を見て、手を差し出した。
「ドッジだ。リンデの鍛冶屋の三男」
「リオ。セラ村の、農家の三男」
「三男同士だな」
ドッジの手は、石みたいに硬かった。
「なんで、傭兵に」
「親父に言われたんだ。お前がいると、鉄より麦が早く減るって」
それは、たぶん、本当だった。
二人目は、ドッジの向かいに座っていた。
金色の髪の、きれいな顔をした男だった。歳は、俺と同じくらい。着ているのは、ほかの団員と同じ粗末な服なのに、背筋だけが、やけにまっすぐだった。
男は、布の包みを解いて、中から匙を一本取り出した。
銀の匙だった。
柄に、細かい模様が彫ってあった。
食堂の木の匙を脇にどけて、男はその銀の匙で、煮込みを一口すくった。音を立てずに、口に運んだ。
近くの机の団員たちが、にやにや笑いながら、こっちを見ていた。
「おい、お貴族様。匙が泣いてるぞ」
「芋が、銀の匙に恐れ入ってら」
男は、聞こえていないみたいに、二口目をすくった。
「……あんた、名前は」
俺が訊くと、男は、ちらりとこちらを見た。
「セイル」
「家の名前は」
「捨てた」
それだけ言って、また煮込みに目を戻した。
ドッジが、小声で教えてくれた。
「北のほうの、没落した貴族の家らしい。剣が、めちゃくちゃ強い。今朝、入団の腕試しで、第二隊の副長から一本取った」
「一本取ると、どうなるんだ」
「副長が、昼飯を食わずに寝込んだ」
三人目は、机の一番端にいた。
小柄な女の子だった。俺より、少し下に見えた。黒い髪を短く切っていて、膝の上に、弓を一張り抱えていた。体から、草の匂いがした。薬草の匂いだと、あとで分かった。
女の子は、黙って煮込みを食べていた。
一言も、しゃべらなかった。
「なあ、あんたの名前は」
ドッジが訊いた。
女の子は、匙を止めた。
しばらく、ドッジを見ていた。
それから、一言だけ言った。
「エルナ」
また、煮込みに戻った。
「……それだけ?」
「それだけ」
二言目だった。
ドッジは、なぜか嬉しそうに、俺のほうを向いた。
「しゃべったぞ」
「しゃべったな」
「今朝から、俺が話しかけて、初めてだ」
「何回話しかけたんだ」
「十一回」
エルナは、こっちを見なかった。でも、ほんの少しだけ、匙を持つ手が止まっていた。
俺は、煮込みを食べた。
芋と、豆と、何の肉か分からない肉が入っていた。塩が濃かった。
うまかった。
村が焼けてから、ちゃんとした飯を食べるのは、初めてだった。
椀が空になったとき、喉の奥が熱くなって、俺は慌てて、下を向いた。
誰も、何も言わなかった。
ドッジが、自分の三杯目を、半分だけ、俺の椀に移した。
◇
食べ終わるころ、食堂の入り口に、ガルドが立った。
食堂が、少しだけ静かになった。
ガルドは、まっすぐ俺たちの机の端まで歩いてきた。片方だけの目で、四人を順番に見た。
俺。ドッジ。セイル。エルナ。
「今週の新入りは、お前らで全部だ」
ガルドは言った。
「灰狼団じゃ、新入りは四人で一つの班にする。飯も、寝床も、仕事も、四人一緒だ。教えるのは俺だ」
セイルが、銀の匙を置いた。
「班は、要りません。俺は一人で」
「黙って聞け」
ガルドは、セイルを見もしなかった。
「お前ら四人で、第七班だ」
それから、机の上の、四つの空の椀を、指で一つずつ叩いた。
「一人しくじったら、四人とも、飯抜き」
ドッジの顔から、血の気が引いた。
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