王国軍
ひと月で、ドッジの脚はつながった。
「早すぎる」
エルナは、添え木を外して、ドッジの脛を指で押しながら、首をかしげた。
「普通は、もうひと月かかる」
「よく食ったからな」
「そういう問題じゃない」
「そういう問題だろ」
「……熊より、治りが早い」
エルナは、本気で不思議そうな顔をしていた。ドッジは、杖を放り投げて、中庭を一周走ってみせた。三歩目で転んで、マーサ婆さんに怒鳴られた。
俺は、そのひと月で、馬に乗れるようになった。
戦場では、歩いていたら置いていかれる。斥候なら、なおさらだ。教えてくれたのは、ボリスだった。
「背中を丸めるな。馬に、怖いのがばれる」
「ばれると、どうなるんですか」
「馬が、お前を馬鹿にする」
最初の十日で、十四回落ちた。
ボリスは、十四回とも拾ってくれた。拾って、一日じゅう笑っていた。最初に約束したとおりに。
剣は、まだ、人に向けて振れなかった。
木の剣で、藁の人形を叩くことはできるようになった。でも、セイルが相手になって、剣を向けられると、やっぱり足が固まった。
ガルドは、それについて、何も言わなかった。
◇
灰狼団は、五十人で、北へ向かった。
砦に残ったのは、ヘルガと、年寄りと、怪我人と、マーサ婆さんだけだった。
「死ぬんじゃないよ」
門の前で、ヘルガは、一人ずつの顔を見て言った。
「死んだら、給金は、払わないからね」
団員たちが、笑った。毎回、同じことを言うのだとボリスが教えてくれた。
三日、北へ進んだ。
山道を上って、峠を一つ越えると、急に、視界が開けた。
平原だった。
黒い石が、あちこちに転がっていた。草が、まばらにしか生えていない。その向こうに、灰色の山並みが、壁みたいに立っていた。山の向こうが、ガルム諸侯連合の領地だった。
「黒石原だ」
ガルドが言った。
「二十年、ここで、行ったり来たりしてる」
平原の手前に、王国軍の陣があった。
見たこともないくらい、大きかった。白い天幕が、何百も並んでいた。真ん中に、青地に白い塔の旗が、何本も立っていた。馬が、千頭はいた。兵隊は、その何倍もいた。
騎士たちの鎧は、磨かれて、日の光を跳ね返していた。
灰狼団の陣は、その端の、石ころだらけの斜面に割り当てられた。
「端っこだな」
ドッジが言った。
「傭兵は、いつも端っこだ」
ボリスが、荷を下ろしながら言った。
「真ん中は、騎士様の場所だ。俺たちは、横から来るのを止める。横は、一番死ぬ」
陣を張っていると、騎士が何人か、通りかかった。
俺たちを見て、口元をゆがめた。
「金で戦う犬が、来たぞ」
「犬は、骨をやれば、どこにでも走る」
団員たちは、聞こえないふりをした。慣れているらしかった。
セイルだけが、手を止めていた。
◇
夕方、王国軍の騎士が一人、灰狼団の陣に来た。
三十代の後半くらいの男だった。背が高くて、短く刈った黒い髪に、白いものが少しだけ混じっていた。鎧の胸に、隊長の印がついていた。
男は、陣の中を見回して、ガルドを見つけると、まっすぐ歩いてきた。
ガルドの前で、止まった。
かかとを、揃えた。
右の拳を、胸に当てた。
「ガルド隊長」
まわりで陣を張っていた団員たちが、手を止めた。
騎士が、傭兵に、礼をしていた。
ガルドは、顔をしかめた。
「隊長は、やめろ、ベルント」
「では、何とお呼びすれば」
「ガルドでいい。今は、お前のほうが隊長だろうが」
「私にとっては、今でも隊長です」
ベルントと呼ばれた騎士は、拳を胸から下ろさなかった。
「十年ぶりです」
「十二年だ」
「……十二年ぶりです。お変わりなく」
「変わったさ。目が一つ減った」
ガルドは、自分の閉じた左目を、指で叩いた。
ベルントは、何か言いかけて、やめた。
俺は、ボリスの袖を引いた。
「隊長は、騎士だったんですか」
「昔な」
ボリスは、小声で言った。
「王国騎士団の、隊長だった。あのベルントってのは、そのころの部下だろう。ガルドは、二十年ちょっと前に、騎士団を辞めて、灰狼団に来た」
「なんで、辞めたんですか」
「さあな。訊いても、言わねえ」
ボリスは、肩をすくめた。
「二十年、一緒にいて、一回も言わねえ」
ベルントとガルドは、陣の端で、しばらく話していた。
声は、聞こえなかった。ベルントの顔は、ずっと硬かった。
話が終わると、ベルントは、もう一度、拳を胸に当てた。それから、帰りかけて、俺たちのほうを見た。
セイルの顔で、目が止まった。
「……君は」
セイルが、まっすぐ立った。
それから、片膝をついた。
右手を胸に当てて、左手を背中に回した。頭を下げた。
ゆっくりと、流れるような動きだった。食堂で、銀の匙を使うときと、同じだった。
「お目にかかれて、光栄です、騎士殿」
まわりの団員たちが、ぽかんとしていた。
ベルントの後ろから、ついてきていた若い騎士が二人、それを見て、顔を見合わせた。
「……今の、見たか」
「ヴェルナー家の作法だ。北の、あの」
「ああ。二十人を、殺した家の」
セイルの背中が、凍りついた。
片膝をついたまま、動かなかった。
若い騎士たちは、笑っていた。声をひそめもせずに。
「傭兵に落ちて、まだ騎士の真似か」
「兄貴と同じで、身の程を知らんらしい」
セイルは、立ち上がらなかった。
頭を下げたまま、拳を、地面の上で握りしめていた。
俺の横で、ドッジが、動いた。
ドッジは、ずかずかとセイルの隣まで歩いていった。
それから、セイルの真似をして、片膝をついた。
右手を胸に当てた。左手を背中に回そうとして、届かなかった。腕が太すぎた。仕方なく、左手を、尻の上に置いた。
頭を下げようとして、体が傾いて、横に転がった。
石ころだらけの地面に、大男が、ごろんと転がった。
「……お目にかかれて、こうえいです、きしどの」
転がったまま、ドッジは言った。
若い騎士たちは、一瞬、ぽかんとした。
それから、腹を抱えて笑い出した。灰狼団の団員たちも、笑った。俺も、笑ってしまった。
さっきまでの笑いとは、違う笑いだった。
誰も、もう、セイルを見ていなかった。
ベルントが、若い騎士たちを振り返った。
「行くぞ」
短い声だった。二人の笑いが、ぴたりと止まった。
ベルントは、セイルに、軽く頭を下げた。それから、二人を連れて、自分の陣へ戻っていった。
セイルは、ゆっくり立ち上がった。
膝の土を、払った。
まだ地面に転がっているドッジを、見下ろした。
「……左手の位置が、違う」
「届かなかったんだ」
「腕が太すぎる」
「知ってる」
セイルは、手を差し出した。
ドッジは、その手をつかんで、起き上がった。
◇
日が沈むと、王国軍の陣に、火がともった。
何百もの焚き火が、平原の手前に、星みたいに並んでいた。
俺は、灰狼団の陣の一番高い岩の上に座って、それを見ていた。ガルドに言われて、夜の見張りについていた。
王国軍の陣の、真ん中あたり。
旗の立ち並ぶ一番大きな天幕の横に、小さな天幕が一つ、ぽつんと張られていた。
その前に、焚き火があった。
焚き火のそばに、子どもが一人、座っていた。
俺より、二つか三つ、年下に見えた。痩せた男の子だった。膝を抱えて、火を見ていた。まわりに、槍を持った兵士が四人、立っていた。
守っているようにも見えた。
見張っているようにも、見えた。
男の子の首に、何かが光っていた。
焚き火の明かりを受けて、銀色に。
輪だった。
首に、ぴったりとはまった、細い銀の輪。
「……あれは」
後ろで、足音がした。ガルドだった。
ガルドは、俺の視線の先を、片方だけの目で追った。
それから、低い声で、言った。
「王国の、魔法使いだ」
お読みいただき、ありがとうございます。
毎日、朝7時と夜21時に更新します。
続きが気になると思っていただけたら、ブックマークと、ページ下の「評価」の★で応援していただけると、第七班の飯が一品増えます。




