鉄札
団長の部屋は、相変わらず、帳簿の山だった。
ヘルガは、その向こうで、四人を眺めていた。ドッジは、自分で作った杖をついて立っていた。鍛冶屋の息子らしく、先に鉄の輪がはめてあった。
「普通はね」
ヘルガは言った。
「木札から鉄札まで、半年かかる。早くて四か月。あんたらは、入って、まだひと月だ」
ヘルガは、指を折った。
「塩の隊商で、待ち伏せを見破った。ロク村の熊を、四人で倒した。死んだ者なし。ロク村の婆さんから、礼状が来た。班長さんによろしく、だってさ」
ドッジが、杖にすがったまま、小さくなった。
「それと、ブルーノのところから、話が来た」
「……ブルーノ?」
俺が訊き返した。
「あの目のいい小僧を、うちによこさないかって。給金を出すってさ」
ヘルガは、にっこり笑った。
怖かった。
「冗談じゃないよ。飯代を貸してるのは、こっちだ。引き抜かれてたまるかい」
ヘルガは、机の引き出しを開けた。
中から、四枚の札を取り出した。
鉄の札だった。木札と同じ形で、同じように狼の頭が刻んであった。でも、重さが違った。首にかけると、胸の上で、ずしりと沈んだ。
「鉄札は、一人前の印だ。給金が出る。戦場にも立てる」
ヘルガは、四人の首から、木札を外していった。
「出したくないけどね。出さないと、ブルーノみたいなのに持っていかれる」
給金は、銀貨二枚だった。
ヘルガは、四人の手のひらに、一枚ずつ、二枚ずつ載せていった。俺の番になると、一枚載せて、手を止めた。
「あんたは、飯代が残ってる」
「……はい」
「トマスのおかげで、少し返した。でも、まだ残ってる」
ヘルガは、しばらく俺の顔を見た。
それから、もう一枚、載せた。
「来月から引くよ」
「……ありがとうございます」
「礼を言うことじゃない。来月、二枚とも引くかもしれないんだから」
ヘルガは、帳簿に目を戻した。
「今日は休みだ。町にでも行ってきな。死ぬんじゃないよ」
◇
リンデの町は、砦から、丘を下って半刻だった。
四人で行くのは、初めてだった。ドッジは杖をついて、それでも誰よりも速く歩いた。目的地が、はっきりしていたからだ。
市場の、屋台の通りだった。
「串焼き。二本」
最初の屋台で、ドッジは、銅貨を出した。
「芋の揚げたの。一皿」
二軒目。
「腸詰め。三本」
三軒目。
「待て、ドッジ」
俺は言った。
「まだ、市場の入り口だぞ」
「入り口から、順番に食べていくんだ。一軒も、飛ばさない」
「全部で、何軒あるんだ」
「四十二軒」
「……数えたのか」
「子どものころから、ずっと夢だった。給金が出たら、一軒目から四十二軒目まで、全部食うって」
ドッジの目は、輝いていた。
止められなかった。
セイルは、市場の外れで、立ち止まった。
通りの角に、大きな店があった。窓に、色ガラスがはまっていた。扉の横に、仕立てのいい服を着た男が立っていた。中から、茶の香りがした。
貴族や、金持ちの商人が使う、茶店らしかった。
セイルは、扉に向かって歩いていった。
「お客様」
扉の男が、セイルの前に立った。
「申し訳ございません。傭兵の方は、ご遠慮いただいております」
「……俺は」
セイルは、言いかけた。
ヴェルナー家の、と言いかけたのだと思う。口が、その形に動いた。
でも、言わなかった。
セイルは、首から下げた鉄札を、見下ろした。
それから、黙って、扉の前から離れた。
戻ってきたセイルは、何事もなかったような顔をしていた。
「……茶が、飲みたかったのか」
「飲みたくない」
「じゃあ、なんで」
「匙を使う店かどうか、確かめたかっただけだ」
「確かめられたか」
「確かめられなかった」
セイルは、それきり、口を閉じた。
ドッジが、両手に串焼きを持って、戻ってきた。
「セイル、腸詰め、一本やる」
「要らない」
「十一軒目の腸詰めは、うまいぞ」
「……要らない」
セイルは、それを、受け取った。
立ったまま、食べた。匙は、使わなかった。
エルナは、薬屋にいた。
市場の奥の、薄暗い小さな店だった。棚に、乾いた草や、根っこや、得体の知れない干物が、所狭しと並んでいた。
エルナは、店の婆さんと、話していた。
話していた、というより、やり合っていた。
「この赤根は、去年の秋のもの。色が抜けてる。半分の値段」
「去年の秋だって、効き目は変わらないよ」
「変わる。赤根は、夏を越すと、苦みが三割落ちる。苦みが落ちると、熱冷ましに使えない。使えないものは、半分の値段」
「……あんた、どこの薬師だい」
「どこでもない」
「なら、七割だ」
「半分。それと、こっちの白い苔を、三つ。これは今年のもの。いい苔。ちゃんと払う。ただし、赤根と一緒に買うから、苔は一割引き」
婆さんは、しばらくエルナを見てから、笑い出した。
「負けたよ。半分と、一割引きだ」
エルナは、包みを受け取って、満足そうにうなずいた。
その間、エルナは、一度も黙らなかった。
店を出ると、エルナは、また、いつもの無口に戻った。
◇
俺は、父さんの鎌を、腰に下げてきていた。
あの夜から、ずっと手放さなかった。でも、刃が、ところどころ欠けていた。村が燃えた夜に、何かにぶつけたのかもしれない。
「研ぎ屋に行くのか」
ドッジが、六本目の串焼きをくわえながら、訊いた。
「ああ」
「研ぎ屋より、うちの親父のほうがうまいぞ」
ドッジの家の鍛冶場は、町の東の外れにあった。
物見台から見えた、一番黒い煙の、真下だった。
鍛冶場の中は、暑かった。炉の火が、赤く燃えていた。ドッジをそのまま年寄りにしたみたいな大男が、金床の前で、鎚を振っていた。
大男は、ドッジを見て、鎚を止めた。
杖を見た。添え木の脚を見た。首の鉄札を見た。
それから、言った。
「麦は、減らしてないか」
「……砦の芋なら、減らしてる」
「そうか」
大男は、それだけ言って、鎚を置いた。
俺の鎌を、見せた。
大男は、黙って受け取った。刃を、炉の明かりにかざした。欠けたところを、太い指でなぞった。
「……いい鎌だ」
大男は、言った。
「毎年、ちゃんと研いでた鎌だ。刃の減り方で分かる。大事に使ってたやつの、鎌だ」
「父さんの、です」
大男は、俺を見た。
それから、何も訊かずに、砥石の前に座った。
ドッジの家の鍛冶場で、父さんの鎌が、研がれていく音を、聞いていた。しゃっ、しゃっ、と、規則正しい音だった。
研ぎ終わった鎌は、刃が、夕日みたいに光っていた。
「金は」
「要らん」
大男は、鎌を俺の手に戻した。
「うちのを、熊の前に座らせてくれた礼だ」
ドッジが、杖の先で、床をこつこつ叩いた。顔を、真っ赤にしていた。
◇
砦に戻ったのは、日が沈むころだった。
ドッジの給金は、なくなっていた。四十二軒のうち、三十八軒で、尽きた。
「あと四軒だったのに」
「来月がある」
「来月は、三十九軒目から始める」
ドッジは、杖をつきながら、うなだれていた。腹は、ぱんぱんに膨れていた。
砦の門の前に、馬が一頭、止まっていた。
汗で、毛並みが黒く濡れていた。口から、白い泡を吹いていた。鞍の横に、旗が一本、差してあった。
青地に、白い塔。
王国軍の旗だった。
中庭に入ると、団員たちが、団長の部屋の窓の下に集まっていた。誰も、口をきいていなかった。
窓が、開いた。
ヘルガが、顔を出した。手に、封の切られた手紙を持っていた。
「全員、聞きな」
ヘルガは、笑っていなかった。
「王国軍から、召集だ。北の国境に、ガルムの諸侯が兵を集めてる。灰狼団は、王国軍に雇われて、国境へ出る」
中庭が、ざわめいた。
「ひと月後に、出発する。第一隊から第三隊まで、全員だ」
ヘルガは、窓の下を見回した。
その目が、俺たちのところで止まった。
「鉄札も、だ」
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