四人で
四日目の朝、夜明けの一刻前に、村を出た。
ドッジは、俺とセイルで運んだ。
丸太を二本並べて、縄で板を渡した担架に乗せた。前を俺が、後ろをセイルが持った。
「……重い」
セイルが、後ろでつぶやいた。
「昨日の夜、芋を多めに食ったからな」
ドッジが、担架の上で、胸を張った。
「作戦どおりだ」
「作戦に書いたのは、お前だろうが」
「エルナが書いた」
「お前が言った」
セイルは、それ以上何も言わなかった。でも、担架の後ろが、一度も下がらなかった。
ガルドは、少し離れて、ついてきた。手を貸そうとはしなかった。
切れ目に着いたのは、まだ暗いうちだった。
二つの大岩の間の、細い道。一番狭いところに、ドッジを下ろした。背中を岩につけて、座らせた。左の脛の添え木が、まっすぐ前に投げ出された。
ドッジは、盾を、左腕に通した。右手を、縁に添えた。
「右に、少しだけ」
俺が言うと、ドッジは、盾の角度を、指一本分だけ変えた。
「これで、いいか」
「いい」
「熊が来たら、俺は、どうすればいい」
「動くな」
「それだけか」
「それだけだ。お前は、壁だ」
ドッジは、うなずいた。
それから、急に、俺の袖をつかんだ。
「リオ」
「ん」
「……すり抜けるとき、俺の脚、踏むなよ」
「踏まない」
「絶対だぞ。折れてるほうだぞ」
「分かってる」
エルナは、切れ目の上の岩に、もう登っていた。腹ばいになって、弓を横に置いていた。暗くて、ほとんど見えなかった。
セイルは、切れ目の出口の、岩陰にしゃがんだ。剣は、まだ抜いていなかった。
俺は、一人で、沢へ下りた。
◇
沢の岩陰で、待った。
空が、少しずつ白くなっていった。水の音しか、聞こえなかった。
手のひらに、石を三つ握っていた。
いつもの時刻に、熊が来た。
切れ目を抜けて、沢へ下りてきた。右の前足をかばって、体を左に傾けながら。鼻の横の矢は、まだ刺さったままだった。
水際で、頭を下げた。
水を、飲み始めた。
俺は、立ち上がった。
石を、投げた。
熊の肩に、当たった。熊が、顔を上げた。俺を見た。
二つ目を投げた。鼻面に当たった。
熊が、吠えた。
沢の岩が、震えるくらいの声だった。
熊は、俺に向かってきた。
俺は、走った。
沢から、切れ目へ。熊の巣へ続く、ただ一本の道へ。足は、勝手に動いた。石も、苔も、濡れた岩も、全部、足が覚えていた。この三日間、何度も、目で歩いた道だった。
後ろで、熊の息が聞こえた。
近かった。
思っていたより、ずっと速かった。右の前足をかばっているはずなのに。
切れ目の入り口が、見えた。
その奥に、灰色の盾が、見えた。
熊の息が、背中に当たった。
俺は、切れ目に、飛び込んだ。
ドッジの盾と、岩の壁の間の、わずかな隙間に、体をねじ込んだ。ドッジの肩に、膝が当たった。ドッジの脚は、踏まなかった。
背中に、熱いものが走った。
熊の爪が、俺の背中を、かすめていた。
熊が、盾に、ぶつかった。
岩が、鳴った。
ドッジは、動かなかった。
盾に、熊の右の肩がめり込んだ。熊の体が、左に傾いた。盾の面が、ほんの少しだけ、右を向いていた。熊の重さが、盾の上を滑った。
滑って、岩の壁に、ぶつかった。
熊が、吠えた。頭を振った。立ち上がった。
二本足で、切れ目いっぱいに、立ち上がった。
頭の上から、ひゅっ、と音がした。
熊の左の目に、矢が、刺さっていた。
熊が、のけぞった。叫んだ。前足で、顔をかきむしった。もう、何も見えていなかった。右の目は、腫れてふさがっていた。左の目には、矢が立っていた。
熊の左側から、影が、走り込んできた。
セイルだった。
剣が、下から上へ、一度だけ、振り上げられた。
熊の顎の下。喉に。
一太刀だった。
熊は、立ったまま、しばらく動かなかった。
それから、ゆっくりと、前に倒れた。
ドッジの盾の上に。
「――重っ、重い重い重い」
盾の下から、ドッジの悲鳴が聞こえた。
◇
三人がかりで、熊の死体を、ドッジの上からどかした。
ドッジは、盾の下で、平べったくなっていた。
「……死ぬかと思った」
「熊は、死んだ」
「俺も、死ぬかと思った。熊に殺されるんじゃなくて、熊に潰されて」
「脚は」
「踏まれてない。熊にも、お前にも」
ドッジは、空を見上げて、大きく息を吐いた。
「壁、できた」
「できたな」
「できたぞ、リオ」
ドッジは、笑った。顔じゅう、熊の血と泥で、まだらになっていた。
エルナが、岩の上から下りてきた。
まっすぐ俺のところに来て、俺の体を、くるりと回した。背中を見た。
「……浅い」
「何が」
「爪。浅い。縫わなくていい」
エルナは、腰の袋から薬草を出して、背中に押しつけた。染みた。思わず声が出た。
「痛いか」
ドッジが、さっきの俺と同じことを訊いた。
「痛くない」
「顔が、真っ青だぞ」
「……痛いけど、痛くない」
ドッジは、うれしそうに笑った。
巣の大岩の陰から、子熊が二頭、顔を出していた。
倒れた母熊のほうを、じっと見ていた。
それから、二頭そろって、背を向けた。岩場を駆け上がって、山の奥の、木々の間に消えていった。
ずっと下の、沢のほとりで、猟師の爺さんが煙管をくわえて、こっちを見ていた。爺さんは、子熊の消えたほうを見て、小さくうなずいた。
追わなかった。
セイルは、剣を拭いていた。
谷の待ち伏せのときみたいに、何度も、何度もではなかった。一度だけ、拭いた。それで、鞘に収めた。
それから、倒れた熊を、見下ろした。
「……悪くない作戦だった」
俺は、聞き間違いかと思った。
セイルは、続けた。
「熊がな」
「……熊が?」
「熊が、お前の作戦どおりに動いた。よくできた熊だった」
セイルは、それ以上、何も言わなかった。
ドッジが、盾の下から、吹き出した。
エルナが、うつむいて、肩を震わせていた。笑っていたのだと思う。初めて見た。
ガルドが、切れ目の入り口に立っていた。
いつから見ていたのか、分からなかった。たぶん、最初から全部だ。
「三日で、足りたな」
「……はい」
「誰も、死んでない」
「はい」
「なら、上出来だ」
ガルドは、それだけ言って、熊の死体を見に行った。
熊の喉の傷を、指でなぞって、ほう、と小さく声を漏らした。
◇
帰りは、ドッジの担架を、ガルドとセイルが持った。
俺とエルナは、後ろを歩いた。
村へ下りる道の途中に、崖沿いの細い道があった。片側が切り立った岩で、片側が谷になっている。来るときは暗くて、よく分からなかった。
前を歩くエルナの足元で、小石が、ぱらぱらと谷に落ちた。
朝の露で、岩が濡れていた。
「エルナ、そこ」
言ったときには、もう遅かった。
エルナの足が、滑った。
体が、谷のほうへ傾いた。俺は、手を伸ばした。エルナの右の手首を、つかんだ。
エルナの体が、崖の岩肌に、叩きつけられた。
左の肩から。
尖った岩の角が、エルナの服を、肩ごと、引き裂いた。
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