1. はじめまして、見知らぬ顔をした私
遅くなりましたが、フィオナサイドのお話です。
「えぇっ!? な、だ、誰…!?」
――水面に映った顔ははじめましての姿をしていた。
数時間前確かに自室のベッドに潜り込んだはずなのに、目を覚ましてみればそこは木々が生い茂る森の中。理解が及ばなかったが、じっとはしていられない。どのあたりの森かは定かではないが、魔物が住む場所も多いのだから。
まだ使えもしない転移魔法がなんらかの弾みで発動してしまったのだろうかと困惑しながらも遠くに聞こえる水の音を辿った。
川の流れに沿って歩けばどこかしら人のいるところに出られるだろうと思ってのことだったのだが。
「ちょ、え、顔が、ち、違う…!?」
辿り着いた川で口を潤すため、水面に顔を近づけると黒々とした瞳がこちらを見返していた。髪も瞳と同じ色をしていて、記憶にある自分の顔や色彩とまるで違う。ぺたぺたと顔を触ってみると、水面に映った姿も動きを真似して顔を触る仕草をする。着ている服も水面に映るまるで同じ…………そこで自分が今なにを身に纏っているのか、漸く気付いたのだ。
男性物に似た形のシャツに胸元を飾る小さなリボン、そして…………太腿剥き出しの短いスカート。
「きゃあああああああ!」
どれだけ貧しくても着飾ることがなくてもフィオナは貴族の令嬢である。
みだりに肌を晒してはならないという淑女の掟は、優しくも厳しい母より幼い頃から言い聞かされてすっかり身に染みついていた。それなのに最早手首足首どころではない、四肢の大部分がむき出しの状態で外に出ている事実に、頭が真っ白になってしまう。
咄嗟にしゃがみ込み、なんとか身体を隠そうと両腕で抱きしめてみても気休めにもならない。恥ずかしさで一歩も動けなくなってしまったフィオナは、なにか身体を覆えるものはないかと視線を走らせた。
ちょうどその時、フィオナの悲鳴を聞き駆けつけてくれたのか、少し息を切らして走り込んでくる老爺がひとり。剣を構えている辺り、悲鳴の主が恐らく森で魔物に襲われていると勘違いしたのだろう。
だが、駆け付けた先には魔物は一匹もおらず、川辺で蹲るフィオナがひとり驚いたような瞳を向けるだけ。呆気にとられたのも一瞬、紳士的な老爺は、状況を把握するよりも先に自分の上着を素早くフィオナにかけてくれる。
助けてくれた老爺は、チャドと名乗り、森の管理を生業とも教えてくれた。口数は多い方ではないようだが、取り乱していたフィオナを落ち着かせるためになんとか話題を捻りだしてくれるらしい。
随分昔冒険者をしていた縁で任された、ただの見回りだと大したことないふうに言うが、老いているとはとても思えない鍛え上げられた肉体と身のこなしからして謙遜であることはフィオナでも分かった。
なにより、ただの見回りであったとしても、フィオナが助けられた事実は変わらない。
「本当にありがとうございます、助かりました」
チャドに借りた上着を肩にかけ、大きな袋の底に穴を開けてすっぽりと腰下を覆う。チャドの気遣いも相俟って漸く冷静さが戻ってきたフィオナは、チャドに深く深く頭を下げた。
気にするなと軽く肩を竦めて見せるチャドに微笑む余裕すら戻ってきたフィオナだったが、現状なんとか解決したのは淑女としての体裁だけ。
フィオナに積み重なった問題はこれだけではない。
「あの……つかぬことをお聞きしますが、ここはどこでしょうか?」
チャドはフィオナの言葉に目を見張った。当然と言えば当然だ。
うら若き少女がひとり森の中にいることも滅多にないことだが、場所も分からず洋服も珍妙。人攫いか食い扶持減らしか、娼館から着のみ着のまま逃げ出したのか、いずれにしても事件性を勘ぐってしまうのも無理はない。
少し考えるような素振りをしながらも、チャドはここが王都にほど近い森の中であることを教えてくれた。王都はペンドリー男爵領から馬車で四日はかかる場所に位置している。
やはり転移魔法の失敗か。しかし姿かたちが変わるという魔法はフィオナが色々と勉強した中でも聞いたことがなかった。
しがない男爵令嬢を利用するものがいるとは考えにくいが、不用意に状況を語るのは憚られ、続く言葉を出しあぐねているとチャドは話す必要はないと短く言葉を切ってくれる。仏頂面から飛び出る言葉は今のところ端的で愛想のひとつもないけれど、出会ってさほど時間を要しなくてもチャドが優しい男であることは手に取るようにわかった。
昔冒険者をしていたとき、様々な訳アリ人と会ったから慣れっこだとも話したチャドに出会えたのはやはり不幸中の幸いだったのだろう。家名は名乗らずただのフィオナとして再び深く深く頭を下げた。
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一先ず森を抜けるため、チャドに続いて歩きだしたフィオナはふと太腿横に違和感を感じる。
なんだろうと手で弄ると、珍妙なスカートは物を入れるポケットがついているらしい。
気が動転してきちんと確認できていなかったが、しっかりとした造りに縫い目も細かく職人の腕の良さが伺えた。奇抜なデザイン、頑丈ながら滑らかな素材、知れば知るほど謎は増えるばかりである。
突然の転移事故(仮)だけなら露知らず、この国では珍しい顔立ちと色彩への変異。さらには初めて触る材質で作られた服、考えても考えても解決の糸口すら掴めないフィオナの手が触れたのは、小さな手帳のようななにかであった。
手帳の表紙には”学生手帳”との表記が。王都の生徒のものだろうかと、中身を徐に開くと初めのページにフィオナは視線を落とした。
「……? …………ホンダ、……モモナ。……不思議な、響き。……っ、あ……この顔……」
氏名、学年、見慣れないはずなのに理解できる文字の羅列に視線を運んだ先で、水面に映った顔そっくりの写真が張り付いていた。恐らくこの顔の人物の持ち物なのだろう。
「ということは……私の姿かたちが変わったというより……私の魂がまるごとこの身体に入ったって、こと……? ……そんなまさか」
前を進むチャドに後れを取らないように足を止めることは無かったが、フィオナの脳内は大パニックだ。
姿かたちを変化させる魔法は存在しないが、例えば材料さえ入手できれば何者かにそっくりなマスクを作成し顔に貼り付けて偽装するなど知恵を絞れば似たようなことは可能だろう。
だが、魂を引っこ抜いて別の身体に移し替えるなど、いくら魔法と言えど人ができることの範疇を越えている。しかしこの瞬間がリアルな夢でないとするのなら、状況証拠に置いてはその可能性が最有力候補であることは否定できない。
顔を真っ青にしてただひたすらに歩き続けるフィオナの様子に気づいたチャドだったが、やはり一瞥するだけで特別フィオナに声をかけてはこない。
今はそれが何よりもありがたかった。
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「もうすぐ森を抜けるぞ」
草木を踏みわける足音と少し上がったフィオナの息だけが続いた沈黙を破ったのはチャドの低い声。その言葉の通りに段々とふたりに覆いかぶさる木々が減ってきているようだ。視線の先の光に向かって歩を進めること数分、高い位置で輝く太陽がフィオナに現在の大まかな時刻を知らせながら出迎えてくれた。
チャドが言ったように、確かにここは王都近くの森だったらしい。少し先にあっても存在感のある重厚な城壁がその場所の繁栄っぷりを表している。
風に乗って人々の活気が聞こえてきそうな明るく豊かな空気を纏う王都を、どこか別の世界の出来事のように見つめるフィオナの瞳は、自身のこれからを思って不安に揺れていた。
お読みいただきありがとうございました。




