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悪役娘の巻き込まれ恋愛譚  作者: 天野きつね
【原作前】篇
23/23

side ルーカス 湖畔での邂逅

「おめでとう、というべきなのですかね」


 そんなことは全く思っていないような顔でヴィンスが言った言葉に、王族用に抑えてあるサロンで一息ついていたルーカスは意味が分からず「は?」と聞き返した。


「……まさか、知らないのですか? 学園中でひそひそと話題になっていますよ。あのエアルドット令嬢とあなたの婚約が決まった、とね」


 眉をひそめながら返ってきた答えに、やられた、と思わず舌打ちが漏れる。こんなに早く情報が学園にまわるとは。

 自分でさえ知ったのは先日だというのに早すぎる。どう考えても、エアルドットがわざと流したのだとしか思えなかった。遅かれ早かれ、噂は回るだろうと想定していたが、こんなに早いとは予想外だ。あれなりに外堀を埋めているつもりなのか……と考えてルーカスは首をふる。いや、ただたんに自慢したかっただけだとも考えられるだろう。あれはそういう性格だったはずだ。


 どういうことなのか、と視線で説明を求めるヴィンスに、ルーカスは苦い顔をしながら事情の説明を始める。昨日の嫌な記憶が思い出されて、自然声は低くなった。


◇◆◇◇◆◇◇◆◇



「―—父上。今、なんとおっしゃいましたか?」

「エアルドット侯爵の末の令嬢、ヴィヴィアン・エアルドットとお前の婚約が決まった」

「な……」


 あまり聞きたくない言葉に、ルーカスは思わず聞き返していた。父親であるルバートは、その言葉に淡々と同じ言葉を繰り返した。ルーカスは自分の耳が正しく機能していたことを確認して、それから言葉を吐き出す。


「なぜ、……なぜ、彼女なのですか?」


 自然と顔は嫌悪に歪んでいたが、ルバートはただ息を吐くだけにとどめて咎めず口を開く。


「いろいろな理由があるのだがな、ルーカス。こちらにとっての意味を一番わかりやすく言うと、エアルドット侯爵家の力を王家に取り込むためだ」


 エアルドット侯爵家には、令嬢が四人いる。貴族の中の発言力、人望、才能、財力。それらを合わせて国内に強い影響力を持つエアルドット家の力を王家に取り込むのであれば、確かに娘を取り込んでしまうのが一番早いだろう。オズワルド殿の才覚であれば、エアルドット家にとってもそれなりに利を得ることができるはずである。だが、令嬢のうち上の三人はもうすでに嫁いでおり、残っているのは末の娘であるヴィヴィアン・エアルドットだけ。

 それだけ聞けば選択肢がないのはうなずけるが、しかし無理に侯爵家の力を取り入れる必要があるほど、現在の王家に力がないわけではない。たとえより強い力を取り込む必要があったとしても、エアルドット侯爵家である必要もそれほどないように思う。

 

 そうルーカスが指摘すれば、ルバート王は「いろいろな理由がある、と言っただろう」とため息を吐いた。


「もちろんエアルドット侯爵が強く推してきたのもあるが。ルーカス、これは王子としての課題と思え。何故、エアルドット侯爵家の末の――いや、あのオズワルド殿が溺愛する娘をお前の婚約者にするのか。何故、あの娘の婚約者がお前になったのか。―—理由は一つではない。たった一つだけの理由で動けるほど、王族は身軽ではないのだ」

「……はい」


 完全に納得したとはいいがたいものの、ルーカスはうなずいた。できれば避けたい相手とはいえ、国王陛下の決定に否やを言うつもりはないのだ。ただ、ルーカスは自分が納得できる理由が欲しかった。


 ―—エアルドット侯爵が強く推してきたというのなら。あの優秀な人である侯爵の唯一といって欠点である、ヴィヴィアン(オヒメサマ)ルーカス(オウジサマ)の婚約者になりたい、とねだったのかもしれない。最近は多少おとなしいとはいえ、あの令嬢ならばお菓子をねだるのと同じようにそんなことをしかねないだろう。わがままで、内面がひどく醜悪な女なのだから。


 そんなことがあった次の日、さっそくルーカスはヴィヴィアン・エアルドットと顔合わせをするべく、ヴィトラ湖畔にあるエアルドット侯爵家の別邸へと向かうことになった。


「今更、顔合わせに意味なってあるのかよ……」


 嫌なことは早く済ませようと気がせいたのか、ルーカスの方が早く別邸についてしまい、使用人に通された部屋でため息をつく。パーティーや学校で何度も顔を合わせているのだ。顔合わせになんの意味があるのか。いっそ、合わずに結婚式まで過ごせればいいんだが、と思うが、所詮かなわない夢である。

 使用人は、主人が遅れていることを詫びてお茶を出した。……確かに約束の時間よりそこそこ早かったが、エアルドット侯爵が客より遅いなどという失態を犯すとは思えない。どうせ、あのエアルドット令嬢がワガママかなにかを言って遅れさせているのだろう、とイライラが増した。

 窓からはヴィトラ湖畔が一望でき、それなりに綺麗な景色だった。


 待った時間はそれほど長くなかった。

 ガチャリ、と扉の開く音がして、ルーカスはそちらに顔を向ける。開いた扉の向こうから、燃えるような紅の髪に緑の瞳をしたヴィヴィアン・エアルドットが入ってきて、そしてルーカスを見て目を見開く。ルーカス様、と零れ落ちたような震える声がルーカスの名前を呼んだ。

 ルーカスはほんの少しだけその反応に違和感を覚えた気がしたが。それよりも彼女に話しかけられる前に、とルーカスは素早く立ち上がって、ヴィヴィアンの後ろからにこやかに入ってきたエアルドット侯爵に挨拶をした。ヴィヴィアンがどのような表情をしているかなど見る必要もないだろう。


 侯爵は、自分の顔が不本意そうであることに気づいているだろうに、娘を溺愛するゆえなのか、朗らかに愛娘に向けて笑みを浮かべて告げる。


「正式な婚約発表は、学期が終わった後、休みの間にあるパーティーで行われる予定だけれどね、その前にあっておいたほうがいいだろう?」


 ―—本当に、この溺愛っぷりが無ければこの人は完璧なのだが。しかし、一つぐらい欠点がないと人間恐ろしいものに感じてしまうから、ある意味この人に関してのみはバランスが取れているといえるだろう。

 最初戸惑っていたヴィヴィアン・エアルドットはやがてにっこりと満面の笑みを浮かべて「なんて素敵なの!」と父親に抱き着いた。


「お父様、せっかく婚約者になって初めての顔合わせですもの! ぜひ、ルーカス様と二人っきりでお話させてくださいませ」

「仕方がないな、私のヴィヴィーは。もちろん、いいとも」


 かわいくて仕方がない、という表情でエアルドット侯爵は自分の娘に微笑んで、後でお茶を運ばせると告げて出ていった。ルーカスは、それを聞いて冗談じゃない!と言いたくなったが、そう言える間もなく侯爵はいなくなってしまう。

 侯爵がいない今、ヴィヴィアン相手にでは欠片も不機嫌な顔を隠す気もなくなってしまっていた。不用意に目があって、また話の通じない話―—いつものパターンだと、彼女がひたすら自分に媚と自慢話をしてくるだけ――になるのも嫌で目をそらす。話す気はないという意思表示でもあった。

 しばらく、沈黙が訪れた。すぐに話しかけてくるだろうと思っていたルーカスの予想を裏切って、しばらく彼女は何か言おうかどうかまごついているようである。そのことにほんの少し安堵を覚えてしまったせいか、次に彼女がした行動への回避が遅れてしまった。


「――ルーカスさま……! 婚約なんて夢のよう。とてもうれしいですわ!」


 不意にぎゅっと抱き着かれて、ルーカスはぎょっとした。「おい、離れろっ!」というが、あのエアルドットとは言え女である。とっさに暴れそうになるのを抑えてしまった。女性だから気遣うといよりも、万が一怪我でもさせた場合、この女がどんな風に喚くのか考えただけでもうんざりしたからである。

 浮かれたように抱き着いてきたエアルドットだったが、しかし耳元でささやいてきた言葉は意味のわからいものだった。


「……申し訳ございません、ルーカス様。結界を張ってくださいませんか? 張り終わった後でしたら、ののしるなり、突き飛ばすなりしてくださっていいですから」

「……自分で張ればいいだろう、そんなもの」

「恥ずかしながら私わたくしにはそれができるだけの魔術の才能が有りませんの」


 意味が分からず思わず彼女と視線を合わせたルーカスだったが、逆に彼女の方が目を伏せてそんなエアルドットらしからぬ言葉を吐く。一瞬だけ、この女が別人なのかと思った。

 言いようのない感情が沸き上がってきて、ルーカスはそれを苛立ちだろうと認識する。


「はっ、高貴な貴族令嬢が結界すらはれないなんて、聞いてあきれる話だな」


 そして、いまだ抱き着いたままの謎のイキモノ(ヴィヴィアン)をどんと突き放した。彼女が声を上げるが、そもそもこの女が喚くのはいつものことだ。唇をわななかせる彼女に向かって、ルーカスはどうせろくな話ではないのだろうと吐き捨てる。そう、この女のことだ。わざわざ結界まで張ったところで、ろくな話をするわけがない。そしてルーカスは、どんな話か聞きたいとも思わなかった。


「いいか、勘違いするな、ヴィヴィアン・エアルドット。この婚姻はあくまでエアルドット家と王家のつながりを確かにするための取引だ。お前と結婚することはその手段であって目的ではない。お前のそのお花畑のような頭でわかるかは知らないが、よくよくおぼえておけ。断じてオレは、お前を好いているからこの婚姻に承諾したというわけではない。――思い上がるなよ?」


 屈辱に唇をかむヴィヴィアン・エアルドットに向けて、ルーカスは感情のままに告げた。


「だが、それでもお前は第二王子の妃となるということをわすれるな。国のためにも、王家のためにも、……オズワルド殿のためにも、それに相応しいふるまいをしてもらう」


 当然、今の彼女ではふさわしいとは欠片も言えない。

 そうして、頭に血が上っていたルーカスは、侯爵に挨拶をすることも忘れ、言葉を紡げなくなったエアルドット令嬢を置きざりにして王城へと帰ったのだった。


◇◆◇◇◆◇◇◆◇


 一連の流れを説明すると、ヴィンスはかなり難しい顔をして、それからため息を吐いた。その表情は暗く、疲れているように見える。


「どうした?」


 訝しげにそう尋ねるルーカスに、ヴィンスは「もっと早く相談していればよかったんですが」と口を開いた。

 そうして聞かされたのは、「ヴィヴィアン・エアルドットがかなりの食わせ物である」という内容で。


「……それは、なんというか。想像もつかないな」

「ええ。ですから自分も、あなたに相談するのはもう少し様子を見てから、と思ったのです。それが今回裏目に出てしまいましたがね。でも、そうだとするとこの噂のまわり具合も納得がいきませんか? あのワガママ令嬢っぷりが偽りだとしたら。少し前からなにやら企んでいる風でしたし、最近おとなしかったのも、あなたとの婚約のことが頭にあったのかもしれません」


 ―—やはり想像がつかないな。ルーカスはもう一度眉を顰める。

 ただ確かに、と最近のエアルドットを思い浮かべてみて、ルーカスは違和を覚えた。確かに、最近のあれはおとなしかった。変なものでも食べたのか、と疑いたくなるほどに。けれどそれは、欺いたりルーカスとの婚約(この結果)を見越してのふるまいとはやはり思えなかった。あのワガママ令嬢にそのような賢さがあるだろうか? そう自問して、ルーカスは即座にそれを鼻で笑って切り捨てる。ありえない。

 ……案外、自分のわがままっぷりに、このままじゃいけないと気づいたのかもしれないな。そう思ってから、それもないなとやっぱり鼻で笑った。賢くはないが、かといってそんな殊勝な人間ではないだろう。

 そうしながらふと、ヴィヴィアンと最初に出会ったときのことを思い出していた。


◇◆◇◇◆◇◇◆◇


 初めて出会ったのは、6歳に満たないころだったと思う。確か、あの|ヴィヴィアン≪女≫の誕生パーティーに呼ばれたのだ。どの邸に呼ばれたのかどうかは正確には覚えていない。湖の見える場所だったから、もしかしたら奇しくも昨日のヴィトラ湖畔のエアルドット家の別邸だったのかもしれない。

 ともかくも、あのエアルドットの末娘の誕生パーティーだから、ということでそれなりな有力貴族や王族が集められていたはずだ。特に、同い年ぐらいの子供がいる家を中心に。

 エアルドット家のほかの子供(といってもほかの家族と一緒に、ルーカスよりも年上の彼らだった)には会ったことがあったが、末娘は初めてだったから、どんな子なのだろうとぼんやりと思っていたのを覚えている。……忌々しいことに、その次に思ったことも。


「はじめまして! わたくし、ヴィヴィアンといいますの!」


 にっこりと、花が咲くように笑った赤い髪の少女。緑の瞳は、太陽の具合でなのかきらきらと輝いていて。整った顔立ちにかわいらしいドレスで、ルーカスが当時出会った中では一級品の容姿だった。

 父親たちを介して紹介された彼女に、ルーカスは間違いなく見惚れたのだ。その後にきらきらした表情の彼女に手を引かれて、会場の中をつれまわされたことも、今でこそ苦い思い出だが当時は全く嫌ではなかった。むしろ、彼女を独り占めできてうれしいぐらいに思っていた。――今となっては恥ずべき記憶だが。


 ルーカスはその後のことを思い出すといつも顔をしかめたくなる。

 彼女は一目でルーカスを気に入ったのか、ほかの子供たちがヴィヴィアン(主役)に話しかけようとすると、邪魔だといわんばかりに追い払い、さらにはルーカスに寄ってきた令嬢に向かっては、ルーカスとつないだ手を見せびらかすようにして嫌みに笑って、それから「これは私のよ」と言わんばかりにいじめて相手を泣かせてしまったのだ。

 それは、小さくても“女”の顔に見えて。ルーカスは、思わずその手を振り払って、ひどく気持ち悪くなった。ルーカスはその立場上、小さな令嬢たちが群がって醜い争いを繰り広げることが多い。また、大人の女性であってもその傾向は強く。こちらに向けられる視線が「気持ち悪い」と思ったことは数えきれない。

 無意識にヴィヴィアン(彼女)は違うのだと思っていたのか、あの笑顔との落差が激しすぎて裏切られたような気持になったのだ。

 最初に素直に連れ回れたのが悪かったらしく、彼女は自分を気に入ったようで。その後もパーティーなどでは付きまとわれ、学園に入ってからはそれがもっとひどくなっていき。

 ヴィヴィアン・エアルドットはルーカスにとってもっとも嫌いな人間に分類されるようになった。


◇◆◇◇◆◇◇◆◇


 そんな人間が、自分の伴侶になるなど、思いもよらなかったのだが。避けきれなかったのは、ひとえにアレの父親があのオズワルド殿だったからだ。

 オズワルド殿も本当に困ったものである。唯一の欠点が、あのヴィヴィアン・エアルドットへの溺愛だと思っていたが、まさかこんなところで被害を被るとは思わなかった。ルーカスは自然と眉間にしわを寄せる。ヴィンスがすかさずため息を吐いて、しわが寄っていますよと指摘してきた。そんなことはわかっているさ、とぐりぐりと右手で眉間をもみほぐした。しかし嫌だからと言って、王族たるもの自分の一存だけでこの話を蹴ることができようはずもない。それなりに義務があることをルーカスだって理解はしている。……相手が相手なだけに、納得まではうまくいかないのだが。


 思い空気が漂う中、コンコンコンコン、とノック音がし、ルーカスは誰何してから入室の許可を与える。

 やってきたのは、王城からの使者で、書状を一枚渡された。それを受け取り何気なく中を読んだルーカスは、思わず「はあ?」と声を上げる。


「……どうかしたのですか?」

「見てみろ」


 怪訝そうに声をかけてきたヴィンスに、ルーカスは書状を渡した。目を通したヴィンスも「これ、は……また。いろいろと荒れそうですね」と感想を漏らして返してくる。そうだろうとも。これはたぶん、荒れる。

 ―—まったく、次から次へと厄介ごとが起きやがって。やってられるか。

 使者に「すぐに向かうと伝えてくれ」と声をかけて、ルーカスは急ぎ帰り支度を始めた。書状にはヴィンスの同行も許可されていたため、ヴィンスも同じく帰り支度をまとめる。






 知らせに書かれていたのは、一つ。

 ―—今は亡き王弟殿下の忘れ形見の花が見いだされたり。至急帰城せよ。


 誰も知らぬ間に、遠い世界で語られていたひとつの物語の始まりが、告げられていた。

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