第4話:集めた金
――延熹五年(一六二年)、涼州安定郡。
金を集めに来た者は、まず詫びの話からはじめた。
皇甫規の妻は、戸口のところで立ったまま聞いた。上がるようにとは言わなかった。
来たのは夫の属官で、二人だった。年上のほうが話し、若いほうは後ろで包みを持っていた。
話の中身はこうである。
都の中常侍が二人、機嫌を損ねている。このままでは何が起きるか分からない。そこで、幕下の者たちで金を出し合い、詫びの形にする。一度きりで済む。そういう例はいくらでもある。
妻は、最後まで聞いた。
「いかほどですか」
「家ごとに、できる分だけで」
「できる分は、ございます」
そう答えて、少し間を置いた。
「ですが、出しません」
「奥方――」
「夫が、聴かないと申しております」
年上のほうが、口を開きかけてやめた。
妻は、それ以上の理由を言わなかった。言う理由が無いからである。夫が聴かないと言っている。それが答えであって、その先は妻の持ち物ではない。
二人は礼をして帰った。若いほうは、包みを持ったまま出ていった。
そのあと、金は集まらなかったわけではない。
幕下の何人かは出した。出した分は、まとめて一つの箱に入れられた。
だが、その箱を持っていく者がいなかった。持っていって渡す者が要る。渡す相手を決める者も要る。皇甫規が聴かないので、どちらも決まらない。
集めた金は、どこへも行かずに残った。
罪状の写しが、郡に回ってきた。
皇甫規、残りの賊が絶えない。
それだけである。
廷尉に繋がれ、左校に輸する、とあった。左校は宮殿や陵の普請をする役所で、輸するというのは、そこへ送って労役に就かせることである。
皇甫嵩は、その紙を最後まで読んだ。
読んで、もう一度はじめから読んだ。
零吾を破って首を斬ること八百級、とは書いていない。
先零の諸種が十余万降った、とも書いていない。
菴廬に入ったとも、東羌が降を乞うたとも、涼州が通じたとも書いていない。
書いてあるのは、余寇不絶の四字と、刑の名だけだった。
役所の者は、誰も紙の前に立たなかった。
触れ書きは掲げられ、掲げられたまま、誰も読みに来ない。梁冀が死んだときは、人が集まって離れてまた戻ってきた。こんどは、はじめから来ない。
夕方、皇甫嵩は写しを一枚もらって帰った。
家で、母に見せた。母は読んで、返した。何も言わなかった。
十余万という数は、その紙のどこにも書かれていなかった。
訴えが出た、という話が届いた。
朝廷の高い官の者たちと、太学の書生たちが、宮門の前に立って訴えたのだという。太学は、都にある国の学問所である。
書生の側の人数が、書いてあった。
張鳳ら三百余人。
皇甫嵩は、その数のところで手が止まった。
三百余人という数を、この男は十四年のあいだ見ていた。叔父の塾の土間に座っていた数である。数えるのをやめろと言われるまで、名を帳面に書き、来た日に印を付けていた。
都で立った三百余人と、土間に座っていた三百余人は、別の三百余人である。
それでも、数が同じだった。
名が書き出されてきたのは、そのあとである。郡へ回ってきたのは全部ではなく、はじめのほうの何十人かだけだった。
皇甫嵩は、その名を上から順に見ていった。
知っている姓はあった。同じ姓の者は、どこにでもいる。
知っている名は、無かった。
塾から出ていった者たちの行き先を、皇甫嵩はおおよそ知っている。何人かは郡の役所に入った。何人かは県の吏になった。都まで行った者も、二人か三人はいたはずである。
訴えた者の中に、この郡から出ていった門徒の名は、一つも無かった。
大赦があった。
皇甫規は、左校を出て、涼州へ帰ってきた。
門のところに、妻と甥が立っていた。
妻は、出てくるときと同じ顔をしていた。甥は――皇甫嵩は、二十六になっている。背は、もう自分より高い。
歩きながら、言うことを考えていた。
労役のあいだ、考える時間はいくらでもあった。石を運ぶのは、手と足の仕事で、頭は空いている。
言えることと、言えないことがある。
勝つな、とは言えない。
この家は、勝って食っている家である。曾祖父も、祖父も、兄も、境を守る役に就いた。勝てなければ、その役に就けない。就けなければ、食えない。
勝ったあとで黙っていろ、とも言えない。黙っていた。それでこうなった。
取るな、とも言えない。取らなかった。それでこうなった。
では何を言えばいいのか。
門まで来た。
妻が何か言った。聞こえたが、意味が頭に入るのに少しかかった。甥が一歩前に出て、荷を受け取ろうとした。
その手が、自分の手のそばに来た。
皇甫規は、口を開いた。
「嵩」
「はい」
言いかけて、言わなかった。
左校で皮の剥けた手を、袖の中に入れた。
第二章 三明 ――完。




