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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第二章 三明(さんめい)

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第2話:十余万

 ――延熹二年(一五九年)、涼州安定郡。


 報せは、夏の終わりに来た。

 大将軍の梁冀(りょうき)が誅された。妻も、一族も、みな殺された。

 皇甫嵩は、二十三になっていた。

 十三年前、塾の土間で帝が崩じたと聞いた日のことを、まだ覚えている。あのとき叔父は、御年九つであられた、とだけ言った。それ以上は言わなかった。

 言わなかったが、土間の全員が、同じ男のことを思っていた。

 その男が、死んだ。

 役所には、いつもより人が多く出ていた。誰も、はっきりしたことは言わない。言わずに、触れ書きの前に立って、読んで、離れて、また戻ってくる。


「これで、済むのでしょうか」


 誰かがそう言った。誰に向かって言ったのでもなかった。

 皇甫嵩は、その日の夕方、家に戻ってから母に訊いた。


「叔父上から、何か来ておりますか」

「来ておりません」


 母はそれだけ答えて、針を動かしはじめた。

 泰山からは、月に一度は書状が来る。粟の値のことと、郡の戸の数のことが書いてある。前の月のものは、七日前に着いていた。

 次の書状も、いつもどおりに来るだろう。

 その中に、この話は書かれないだろうとも思った。


 叔父からは、何も言ってこなかった。




 冬になって、封の話が郡に届いた。

 同じ日に、五人が侯に封ぜられていた。

 皇甫嵩は、役所で名を書き写す役に回された。触れ書きは一枚で、県ごとに配る分だけ写す。五人の名と、封ぜられた県の名と、戸の数を、一人ずつ落としていく。

 単超(ぜんちょう)。

 徐璜(じょこう)。

 具瑗(ぐえん)。

 左悺(さかん)。

 唐衡(とうこう)。

 五人とも、中常侍である。帝の身の回りにいて、詔を取り次ぐ役だった。梁冀を除いたのは、この五人だという。

 書き写しながら、戸の数を足してみた。合わせて二万を超えた。

 安定郡ぜんたいの戸の数を、皇甫嵩は知っている。郡の帳面を何度も見ている。

 五人分の封は、安定郡の戸の数より多かった。

 書き終えて、紙を揃えた。

 この触れ書きは、いつもの道筋で来ていなかった。県から県へ回るのではなく、州から直に郡へ来ている。郡の吏が、それを口に出さずに受け取ったのを、皇甫嵩は見ていた。


 その書付は、いつもの触れ書きと違う道筋で来ている。




 年の暮れに、段熲(だんけい)という男が護羌校尉(ごきょうこうい)になったと聞いた。

 護羌校尉は、涼州の羌を押さえる役である。属国都尉が郡の内の羌を預かるのに対して、こちらは郡の外まで見る。

 郡に届いたのは、人事の触れ書きだけだった。

 方針が届いたのは、そのあとである。

 羌は、降らせても、また叛く。だから残さない。根から絶つ。そういう言い方が、役所の話の中に混じるようになった。

 皇甫嵩は、その言い方を前に一度見ていた。

 十八年前、安定郡を扶風へ移した詔の中に、似た理屈があった。郡ごと内へ下げるのは、羌と接する面を無くすためである。接する面が無ければ、叛かれない。

 根から絶つというのは、面を無くすのではなく、向こうを無くすということだった。


「同じことですか」


 役所で、皇甫嵩は訊いた。


「同じではない」


 吏はそう答えた。それきり黙って、帳面に戻った。

 そのあと、別の日にもう一度訊いた。別の吏だった。その男は、内へ下げた話はよく覚えていると言って、そのあとの話をしなかった。

 三度目に訊いたときは、相手が用を思い出して立った。


 郡の役所でその話が出るたびに、話が途中で終わった。




 ――延熹四年(一六一年)、涼州安定郡。


 羌が三輔(さんぽ)を寇した。

 三輔は都の西を囲む三つの郡で、扶風もその一つである。二十年前、安定郡が下げられて間借りをしていた土地だった。そこまで入られている。

 叔父から書が出た、と聞いたのは、そのあとである。

 泰山にいる男が、自分から、討たせてくださいと願い出た。誰かに頼まれたのではない。

 詔は、ひと月ほどで来た。

 中郎将を拝し、節(せつ)を持って関西の兵を監せよ、という。

 節というものを、皇甫嵩はこのとき初めて実物で見た。郡へ回ってきた写しの絵で見ただけである。竿の先に旄をつけたもので、持っている者は帝の代わりに人を殺してよい。軍の中で言うことを聞かない者があれば、その場で斬れる。


「叔父上は、それを持たれるのですか」

「持つ」


 太守の孫儁(そんしゅん)が答えた。郡から兵を出すので、皇甫嵩は数を書く役に呼ばれていた。

 孫儁は、出す数を三度数え直させた。

 一度目に出た数を見て、もう一度と言った。二度目の数を見て、また言った。そのたびに、どこかの県が落ちた。落ちた理由は、そのつど違った。


「三度目で、よろしいですか」

「それでいい」


 孫儁はそう言って、帳面に印を押した。


 三度目に出た数は、一度目より少なかった。




 零吾(れいご)を討ち破ったという報せが来た。

 首を斬ること八百級。

 皇甫嵩は、その数を見て、しばらく紙から目を離さなかった。

 二十年前、叔父は甲士八百を率いて出た。名を帳面に綴じるのを手伝った。あのとき斬った首は数級で、数え終わるのが早かった。

 こんどは、八百を斬っている。

 同じ八百でも、率いた八百と斬った八百では、帳面の上での場所が違う。片方は名の欄に入り、片方は数の欄に入る。

 そのあと、郡から出した兵のうち、戦死した者の名が回ってきた。

 知らせに回るのは、郡の吏の役である。皇甫嵩は、そのうち三つの県の分についていった。

 家に着いて、吏が名を言う。

 受け取る側は、たいてい何も言わない。一度だけ、母親が名を言い直させた家があった。同じ姓の者が二人、同じ隊から出ていたのである。

 吏が帳面を出して、字を指で押さえて見せた。母親は字が読めなかった。それでも、指の置かれたところを見た。


 皇甫嵩は、帳面に書かれた数を、指で二度なぞった。




 先零の諸種が降ってきた。

 叔父の威信を慕って、というのが触れ書きの言い方だった。数は、十余万とある。

 皇甫嵩は、その数を見て、一度立ち上がった。

 降った者は、どこかに住まなければならない。何かを食わなければならない。受け入れる側は、それを決めて、書かなければならない。郡は、その書く仕事の末端にいた。

 十余万が、何戸になるのか。

 一戸を五人として割ると、二万を超える。安定郡ぜんたいの戸の数を、また超える。

 一日に食う粟が、何石になるのか。

 一人一日に一升として、十余万で千石を超える。ひと月で三万石を超える。郡の蔵に、そんな量は入らない。

 皇甫嵩は、帳面の欄を順に見ていった。

 戸主の姓名。戸の数。丁の数。牛の数。田の頃数。

 丁というのは、税と労役を負う成年の男のことである。数えるのは、そこだけだった。


「女と子の欄が、ありません」


 吏に言った。


「要らないからだ」

「食いますが」

「食うが、出さない」


 吏はそう言って、筆を渡した。


 女と子を書く欄が、帳面に無かった。


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