第2話:別成(べつせい)
――中平四年(一八七年)、槐里。
報せが来た。
傅燮が、漢陽で叛いた羌を降らせているという。
討ったのではない。恩で懐けたのだ、と書いてある。何をしたのかは書いていない。ただ、降った者の数が書いてあった。
前後で、万余人。
皇甫嵩は、その数を書き留めた。
書き留めるのは癖である。書き留めても、どこへも出さない。
万余。
降るというのは、頭が決めることである。頭が決めれば、その下の者も一緒に降る。だから数には、戦った者だけでなく、戦っていない者が入る。
女が入る。
子も入る。
万余のうち、どれだけがそうなのかは、書いていない。書く欄が無いからである。
叔父も、降らせている。
二十六年前、涼州で十余万を降らせた。あのときも、数だけが報せに載った。中身は載らなかった。
皇甫嵩は、筆を置いた。
自分が降らせた者の数を、数えてみようとした。
黄巾では、降った者がいる。長社のあと、陽翟のあと、西華のあと、散るか降るかした。名を書かせた者もいる。
だがあれは、こちらが降らせたのではない。崩れたあと、残った者が寄ってきただけである。
降らせる、というのは、戦う前に決めさせることをいう。
戦う前に決めさせたことは、一度も無い。
自分が降らせた者は、一人もいない。
――中平四年(一八七年)、漢陽郡冀城。
州が崩れたのは、早かった。
涼州刺史が、六つの郡の兵を集めて、西へ討ちに出た。出た軍が、途中で叛いた。叛いた兵が、刺史を殺した。
傅燮のところへは、その報せが二日遅れで届いた。
届いた翌日には、囲まれていた。
冀城は、漢陽の治所である。城としては大きいほうだが、兵が少ない。刺史が六郡から集めて連れていった中に、この郡の兵も入っていた。
残っているのは、城を守る分だけである。
糧を数えさせた。
人数で割って、日数を出す。出た日数は、囲みが解ける見込みより短かった。
傅燮は、その数を胸に置いた。
置いて、外へ出さないことにした。数を出せば、兵が数える。
三日目の夜、子が来た。
傅幹という。十三になる。
部屋に入って、座って、しばらく黙っていた。それから言った。
「国家は昏乱しております」
「うむ」
「そのために、父上は朝廷に容れられなくなりました」
傅燮は、聞いていた。
「いま天下は、すでに乱れております。救えるところではありません」
子が、顔を上げた。
「郡を棄てて、郷里へお帰りください」
傅燮は、その顔を見た。
この子は、父の性が剛であることを知っている。知っていて、言いに来た。屈することができないだろうと思ったから、先に言いに来たのである。
用意してきた言葉だった。順が整っている。十三の子が、一人で考えて並べた順ではない。何度も口の中で繰り返して、削った跡がある。
言い終わらないうちに、父が息を吐いた。
傅燮は、子の字を呼んだ。
「別成」
子が、口を閉じた。
「お前は、私が必ず死ぬと知っているのか」
答えは無い。
「聖人は節に達する。その次の者は、節を守る」
傅燮は、そこで一度切った。
「私は禄を食んでいる。食んでいて、難を避けるのか」
子は、まだ黙っている。
「私は、どこへ行くのか」
答えを待たずに、続けた。
「必ず、ここで死ぬ」
子の肩が動いた。傅燮は、そこを見ていなかった。見ていれば、言葉が止まる。
「お前には才智がある。励め。励め」
それだけ言って、傅燮は外のほうを向いた。
主簿の楊会が、部屋の外に控えている。入ってこない。入ってこないが、いることは分かっている。
傅燮は、声を落とさずに言った。
「主簿の楊会は、私の程嬰である」
程嬰というのは、昔、主家が滅びたときに、その遺児を匿って育てた男である。育てて、成人させて、家を継がせた。
子が、顔を上げた。
何か言おうとして、言わなかった。
傅燮は、それきり黙った。
名は、幹という。家では名で呼んできた。字は、成人してから使うものだが、この子にはもう付けてある。
付けてあって、いままで一度も使っていなかった。
城壁に上がった。
朝である。
囲みは、城の四方に置かれている。数は多い。数えたところで、どうにもならない。
北の側に、一隊がいた。
ほかの囲みと、様子が違う。
列を組んでいない。武器を置いている。前に出ている者が、地についていた。
傅燮は、そちらを見た。
ぬかずいている。
数千いる。全部ではないが、前のほうが、みな同じ形をしていた。額を地に付けて、上げて、また付ける。
声が上がってきた。
風の向きがよかったので、聞き取れた。
北地の者である。
韓遂らに従って来ていた騎だという。数千。もとは北地郡にいて、郡から兵を出していた側である。
傅燮は、漢陽の太守である。漢陽の前には、都にいた。都の前は、涼州にいた。
この者たちは、傅燮を知っている。
知っているだけではない。恩を懐いている、と言っている。以前、何かがあったのだろう。傅燮の側には、それが何かの覚えが無い。覚えが無いものを、向こうは覚えている。
願いは、一つだった。
太守を、郷里へ送り届けさせてほしい。
囲みを開ける。道をつける。送っていく。そのあいだは手を出さない。だから、出てきてほしい。
城壁の上の兵が、傅燮のほうを見た。
傅燮は、剣に手を置いた。
置いて、声を出した。叱りつける声である。何と言ったかは、城壁の上の兵にも、下の者にも、同じように聞こえた。短い言葉だった。
ぬかずいていた者たちが、顔を上げた。
上げて、動かなくなった。
傅燮は、城壁を下りた。
下りて、左右に合図した。
門を開けさせ、出て、戦った。
手を置いた剣は、抜かれなかった。




