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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第十章 陳倉(ちんそう)

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第1話:槐里(かいり)

 ――中平二年(一八五年)秋、右扶風槐里(ゆうふふうかいり)。


 家は、扶風にある。

 皇甫嵩(こうほすう)の生まれは安定郡の朝那だが、そこの家はもう畳んでいる。叔父が扶風へ移ってから、こちらが本になった。

 長安から西へ、渭水(いすい)に沿って上がったところである。

 去年の冬、ここを含む二つの県を食邑(しょくゆう)にもらった。槐里と美陽で、八千戸あった。

 今年の七月に、六千を削られた。

 残ったのが二千戸である。どこの二千戸かは、改封の書には書いていない。あとから写しが来たが、里の名が並んでいるだけで、削られた側の名は無かった。

 庭に出た。

 秋である。

 この家の庭には、粟が植えてある。食うための量ではない。叔父の代からそうなっていて、抜く理由が無いので、そのままにしてある。

 穂を見た。

 実の付きが悪い年と、よい年がある。今年は、悪くない。

 数えた。

 一本の穂に、粒がいくつ付いているか。数えなくてもよいことである。数えても、どこにも書かない。

 それでも数えた。

 数え終わって、手を払った。

 客は、来ない。

 免ぜられたのが七月で、いま九月である。二月のあいだに、訪ねてきた者は三人だった。三人とも、郡の吏である。用があって来た。

 去年の冬、冀州の治所には、十日で二十九人が来た。用の無い者が来た。絹を置いて帰った。

 あの帳面は、州に置いてきた。

 置いてきたものの中に、返しそびれたものがあったかどうかは、もう確かめようがない。


 客が来ない。




 ――中平三年(一八六年)、槐里。


 報せが来た。

 朝堂で、司徒の崔烈(さいれつ)が議を出したという。

 涼州を、捨てるべきである、と。

 費用がかかりすぎる、というのが理由だった。叛いた者を討つのに、毎年、莫大な銭と穀が出ていく。出ていくのに、収まらない。収まらないものに出し続けるより、切り離したほうがよい。

 詔が下りて、公卿と百官を集めて議させることになった。

 皇甫嵩は、報せを二度読んだ。

 二度読んで、持ってきた者に訊いた。


「涼州というのは、どこからどこまでを指しますか」

「は」

「捨てる、というからには、線を引くのでしょう。どこに引くのですか」

「……そこまでは、承っておりません」


 図を出させた。

 自分の家にあるのは、郡の図である。州の図は無い。無いので、郡の図を並べて、つないだ。

 涼州には、十余りの郡がある。

 東の端が安定郡で、その南が扶風になる。扶風は涼州ではない。司隷である。

 つまり、線を引くとすれば、安定と扶風のあいだになる。

 朝那は、安定郡にある。

 この家は、扶風にある。

 線は、そのあいだを通る。

 皇甫嵩は、筆を取って、図の上に線を引いてみた。

 引いてみると、線の西側に入るものが見えてくる。

 朝那。叔父が兵を率いた道。十四年いた北地郡。その六つの城。数えた三千百二十二戸。

 線の東側には、この家と、二千戸が残る。

 筆を置いた。

 捨てる、というのは、そこを取らないと決めることである。取らなければ、守らない。守らなければ、そこにいる者は、自分で守るか、出るか、従うかになる。

 だが、手続きとしては、何をするのか。

 郡を廃するのか。太守を置かないのか。戸籍を消すのか。

 図の上に引いた線は、紙の上では一本である。


 捨てる、とは、どういう手続きなのか。




 ――中平三年(一八六年)、洛陽(らくよう)。


 傅燮(ふしょう)は、列の後ろのほうにいた。

 公卿と百官が集められている。殿の中は広いが、人が多いので、声が反響しない。反響しないので、前で話している者の声が、後ろまでは届きにくい。

 崔烈が、議を述べた。

 述べ終わると、しばらく誰も何も言わなかった。

 帝が、どうかと問うた。

 二人ほどが、それぞれに言った。どちらも、崔烈の議を否定していない。否定せずに、慎重を期すべきだと言った。

 傅燮は、列を出た。

 出るときに、自分の足音が聞こえた。ほかに音がしていないからである。

 顔を正した。

 声を、高く張った。


「その言を出した司徒を斬れ。しかるのち、天下は安らぐ」


 言い切った。

 言い切ってから、殿の中の空気が変わるのを待った。

 変わらなかった。

 誰も、何も言わない。

 崔烈が何か言うかと思ったが、言わなかった。帝も、すぐには何も言わなかった。

 傅燮は、そのまま立っていた。

 続ける者がいれば、続けて言うつもりだった。涼州がどういう土地で、そこを捨てるとどうなるかを、順に述べるつもりだった。用意してきている。

 だが、続ける者がいない。

 一人が言って、それで終わると、それは叫んだだけになる。

 傅燮は、列に戻った。


 誰も、それに続かなかった。




 ――中平三年(一八六年)、槐里。


 続きの報せが来た。

 尚書郎の楊贊(ようさん)という者が、奏したという。傅燮は朝廷で大臣を辱めた、と。

 帝は、それを傅燮に問うた。

 問われた傅燮が、何と答えたかが、写しに書いてある。

 一字ずつ書き写されていた。

 昔、樊噲(はんかい)が高祖の前で、十万を率いて匈奴(きょうど)の中を横行したいと言ったことがある。季布(きふ)が言った。噲は斬るべし、と。

 樊噲は、憤激して奮おうとしたのであって、人臣としての節を失ってはいない。

 それでも季布は、斬るべしと言った。

 いま涼州は、天下の要衝であり、国家の藩屏(はんぺい)である。

 崔烈がそれを知らないのなら、蒙昧(もうまい)である。知っていて言うのなら、不忠である。

 ――そこまでが、傅燮の言葉だった。

 そのあとに、一行あった。

 帝は、傅燮の議に従った。

 涼州は、捨てられなかった。

 皇甫嵩は、その一行を読んで、紙を置いた。

 勝ったのである。

 列の後ろから一人で出て、叫んで、誰も続かず、そのあと名指しで奏されて、問われて、答えて、勝った。

 皇甫嵩は、写しを綴じさせた。

 綴じる束は、報せの束である。用の無い報せも、用のある報せも、同じ束に入れる。

 この議に、加われない。

 官が無いからである。免ぜられた者は、朝堂に列がない。列がなければ、出るところも無い。

 図の上に引いた線は、まだ消していなかった。

 消した。


 免官の身は、その議に加われない。




 傅燮が、漢陽太守になったという。

 漢陽(かんよう)は涼州の郡である。冀城が治所で、そこへ行く。

 宦官たちに憎まれていて、都に置いておけないのだ、と報せには書いてあった。

 議に勝った男が、都から出される。

 皇甫嵩は、その二つを続けて読んだ。続けて書いてあるからである。書いた者は、続けて書くことを不自然と思っていない。

 三日後、別のことを聞いた。

 漢陽へ向かう一行が、この郡を通ったという。

 槐里から西へ抜ける道は、一本である。長安から来て、扶風を抜け、そこから涼州へ入る。通ったとすれば、この家から半里ほどのところを通っている。

 聞いたのは、通ったあとだった。

 会いには行かない。

 会って、何を言うのかが無い。功を称えるのは、官にある者がすることである。慰めるのは、親しい者がすることである。どちらでもない。

 行けば、行ったことが報せになる。

 免ぜられた将と、都から出された太守が、道で会った、と書かれる。書かれたものは、誰かが読む。

 地図を出した。

 槐里に指を置いて、西へ動かした。漢陽の冀城まで、馬で急いで十日ある。


 指を置いたところに、この家がある。


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