第4話:二千戸
写しが、回ってきた。
朝廷に上がった奏の写しである。州や軍に、写しが下りてくることがある。下りてくるのは、その軍に関わるものである。
自分に関わるものだった。
読んだ。
皇甫嵩は、連戦して功が無く、費やすところの者が多い、とある。
二行である。
紙は、よいものだった。都の紙は、辺境の紙より薄くて白い。文字が滲まない。
二行のうち、前の半分は、本当である。
三月に来て、七月になる。斬った首は、無い。連戦して、という書き方は当たらないが、功が無いというのは、そのとおりだった。
後の半分も、半分は本当である。
四か月、三輔に軍を置いた。兵を食わせ、馬を食わせ、道を見張らせた。使った分は、帳面にある。
使わずに済ませる道は、あった。軍を引けばよい。
引けば、園陵を衛れという命令に背く。
命令どおりにして、費やし、功が無かった。
皇甫嵩は、紙を置いた。
弁明の書を、書きはじめた。
最初の数行は、事実を並べた。三月に詔を受けた。命令は二つあった。討て、と、衛れ、と。衛れを取った。取った理由は、こうである。
そこまで書いて、手が止まった。
この先に書くことは、「だから功が無いのは当然である」になる。
当然である、と書いてしまえば、次に来るのは「では、なぜ討たなかったのか」である。討たなかった理由を書けば、それは討てという命令に背いた理由になる。
弁明は、そこで折り返せない。
書きかけの紙を、二つに裂いた。
弁明の書を書きかけて、破った。
召還の詔が来た。
七月である。
左車騎将軍の印綬を収める、とある。収める、と書いてある。返す、ではない。
皇甫嵩は、箱を出させた。
去年の十一月に、これが来たときの箱である。捨てていなかった。
印を入れた。組紐を、来たときと同じように畳んで、その上に置いた。
蓋をして、紐をかける。
かけながら、吏に訊いた。
「この結び方で、よろしいですか」
「は」
「返すときの結び方が、受け取るときと違うことがあると聞きました」
「……存じません」
「調べてください」
吏は出ていって、しばらくして戻ってきた。
役所の書式には、無いという。受け取るときの結び方だけが決まっていて、返すときの決まりは書いていない。
皇甫嵩は、同じ結び方にした。
箱を渡した。
渡してから、手元に何も無いことに気づいた。
節は、去年の冬に返している。黄巾が平らいだときに、軍が解けて、そのときに返した。あれも箱で返した。
冀州牧も、三月に長安へ来たときに離れている。州は、預かったままでは動けない。
残っていたのが、左車騎将軍の印綬だった。
節は、去年のうちに返してある。もう、返すものが無い。
改封の書が来た。
槐里侯を改めて、都郷侯とする。二千戸。
皇甫嵩は、書を受け取った。
受け取って、前の書と並べた。去年の十一月の書である。槐里と美陽の二県、合わせて八千戸、と書いてある。
八千が、二千になる。
六千が、減る。
帳面を出させた。食邑の帳面である。槐里と美陽の、どの里に何戸あるかが書いてある。都から送られてきた写しで、去年から手元にあった。
六千戸ぶんを、外す。
外す、というのは、帳面から線で消すことではない。新しい帳面を作って、残った分だけを書き写す。古いほうは、そのまま束に残す。
吏が、写しはじめた。
写しながら、訊いた。
「外した分は、どちらへ移りますか」
「書いてありません」
「では、そのままに」
「そのままに」
移り先が書いていないというのは、どこへも移らない、という意味ではない。書く欄が無い、という意味である。
誰かのものになるのかもしれない。誰のものでもなくなるのかもしれない。
六千の家は、そこに住んでいる。
住んでいる者から見れば、何も変わらない。去年までは皇甫嵩に税が行き、今年からは別のどこかへ行く。誰に行くかを、その家の者は知らされない。
新しい帳面ができた。
薄い。
去年の束の、四分の一の厚さである。
皇甫嵩は、それを手に取った。
書には、都郷侯、とある。
書を仕舞わせた。
仕舞わせてから、長安に残っている軍の始末を決めた。隊を郡へ帰す順と、荷の割り振りである。
その日の夕方、洛陽から来た吏が、別の話をした。
朝堂で、議が一つ起きているという。
涼州は、費えばかりかかって益が無い。いっそ、捨ててしまってはどうか、という議である。
朝堂で、涼州を捨てよという議が起きている。
第九章 五千万 ――完。




