第3話:鄴(ぎょう)の屋敷
――中平二年(一八五年)七月、長安。
思い出したのは、屋敷のことだった。
去年、広宗へ向かう道で、鄴を通った。冀州の魏郡の治所である。
城の中を抜けるとき、大きな屋敷があった。
馬を止めた。
間口が、長い。塀が続いていて、途中に門が三つある。門のあいだに、また塀がある。
数えた。
一つの家に許される間口の数は、決まっている。身分によって変わるが、上限はある。その屋敷は、上限を越えていた。越えているというより、二軒分あった。
誰の家かを、地の者に訊いた。
中常侍の趙忠の家だという。
皇甫嵩は、そのまま行った。
行って、広宗で戦い、下曲陽で戦い、冬に冀州の治所へ入った。
それから、奏した。
制を越えているので、没入させてください、と書いた。書いたのは間口の数と、定めの数と、その差である。それだけを書いた。
没入は、行われた。
行われたという報せが、春に来た。
いま、長安にいる。
長安には、大きな屋敷が多い。古い都だからである。その一つ一つの間口を数えるようなことは、していない。
だが、鄴のあれは、まだ数えられる。
あの間口の数を、いまでも覚えている。
使いが来た。
中常侍の張讓の使いだという。帝の身の回りにいて、詔を取り次ぐ役である。
取り次がせず、自分で会った。
三十ほどの男で、身なりが整っている。長旅をしてきた者の顔ではない。どこかで支度を整えてから来ている。
座って、挨拶をした。挨拶は長かった。将軍の功を述べ、園陵の守りを述べ、長安の暑さを述べた。
手土産は、置かなかった。
置かないまま、用件を言った。
「銭を、五千万ほど」
皇甫嵩は、数を聞いた。
「五千万」
「はい」
「何に使われます」
「そこまでは、承っておりません」
使いは、それきり黙った。
急がない。押さない。返事を待つ顔で、座っている。
皇甫嵩は、五千万という数を、頭の中で置き換えた。
銭は、重い。
一枚が、三銖から四銖ほどである。千枚を一貫として、縄で通す。一貫で、およそ七斤。
五千万なら、五万貫である。
一台の車に、何貫積めるか。牛車で、二十貫か三十貫。三十で割れば、千六百台を越える。
千六百台は、去年、広宗で焼いた車の、二十分の一ほどになる。
あれは三万余両だった。原に並べて、六日かけて焼いた。
その二十分の一が、列になって都へ向かう。
使いは、まだ待っている。
五千万が、車で何台になるのかを、考えている。
皇甫嵩は、答えた。
「出せません」
使いは、頷いた。怒らなかった。
「さようでございますか」
「はい」
「理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「申し上げることはありません」
理由を言えば、それは理由になる。理由になれば、反論ができる。反論に答えれば、次がある。
言わないことにした。
使いは、もう一度頷いた。
「承りました」
それだけである。
膝を立てて、立ち上がり、礼をした。礼は丁寧だった。来たときと同じ丁寧さである。
戸のところで、一度止まった。
「長安は、暑うございますね」
「暑いです」
「お体を、おいといください」
出ていった。
足音が、廊下を行って、階を下りて、消えた。
皇甫嵩は、座ったままでいた。
怒る使いなら、まだ分かる。怒れば、そこで終わる。終わったことは、数えられる。
この男は、怒らなかった。
怒らずに帰ったということは、持ち帰る報告が、怒った場合と違うということである。断られました、とだけ書く。断られました、という事実だけが、都へ運ばれていく。
断られました、には、理由が付かない。
付かない理由は、あとから誰かが付ける。
使いは怒らなかった。怒らないことのほうが、怖い。




