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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第九章 五千万

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第2話:同じ州

 名を、書き出させた。

 叛いている側の頭の名である。報せが来るたびに増えるので、一枚にまとめておく。

 北宮伯玉。湟中の義従胡。

 李文侯。同じ。

 辺章(へんしょう)。金城の人である。

 韓遂(かんすい)。これも金城の人。

 辺章と韓遂は、もとは金城の役人か、その近くにいた者だという。北宮伯玉が金城へ入ったとき、脅されて、軍政を主らされた。

 脅された、と報せは書いている。

 書いてある以上のことは、分からない。脅されて従ったのか、脅されたことにして従ったのかは、こちらから見えない。

 皇甫嵩は、もう一枚を出させた。

 討つ側の名簿である。

 長安に来ている軍の、隊を預かる者の名を並べる。郡から出ている者は、郡の名を添える。

 二枚を、並べて置いた。

 左の紙に、湟中、金城、金城、と書いてある。

 右の紙には、安定、北地、扶風、漢陽、と書いてある。

 どちらも涼州である。

 皇甫嵩は、右の紙を上から順に見ていった。

 北地郡から出ている者が、四人いる。

 そのうちの一人の姓に、覚えがあった。

 十四年、あの郡にいた。戸ごとに当たって数えた年がある。そのとき、六つの城を回った。城ごとに、多い姓がある。多い姓は、覚える。

 左の紙にも、目を戻した。

 辺、韓。

 どちらも、聞いたことのある姓である。どこで聞いたかは、出てこない。郡で聞いたのか、都で聞いたのか、報せで読んだのかが分からない。

 分からないまま、二枚をそのままにした。


 名簿の中に、郡で会ったことのある姓がある。




 ――中平二年(一八五年)五月、長安。


 動かない。

 三月に来て、二月が過ぎた。

 園陵を衛れという命令は、守っている。口を二つ押さえ、道を見張らせ、陵の里には人を入れている。

 それ以上のことを、していない。

 叛徒は、三輔の西のあたりまで来て、そこで止まっている。止まっているというより、広がったり縮んだりしている。押してこない。

 押してこないので、こちらも出ない。

 出れば、追うことになる。追えば、伸びる。伸びたところで、西から回られると、後ろにある陵が空く。

 だから、動かない。

 動かないことを、兵に命じている。

 朝に道の見回り。昼に武具の手入れ。夕に水。長社でも、広宗でも、同じ順を出した。

 三度目である。

 三度目だが、前の二度とは違うところが一つある。

 前の二度は、何かを待っていた。風を待ち、相手が緩むのを待った。待ったあとに、動いた。

 今度は、待っていない。

 待つものが無い。相手が緩んでも、追わない。風が吹いても、火を放つ草が無い。

 長安の夏は、暑い。

 渭水から風が来るが、乾いている。陣の中の地面が、日ごとに白くなっていく。

 六月に入って、軍吏が一人、来た。

 入ってきて、座って、言いかけた。


「将軍。西の道から――」


 そこで止まった。

 止まって、少し黙って、それから言い直した。


「いえ。道の見回りの手を、二つに分けてよろしいかと」

「分けてください」

「はい」


 出ていった。

 皇甫嵩は、その背中を見ていた。

 言いかけてやめたのは、策である。西の道から出て、どうこうする、という話だったのだろう。

 出れば、功が立つ。

 功が立たなければ、この軍は、何もしなかったことになる。

 それは、その男にも分かっている。


 部下が策を言いに来て、途中でやめた。




 ――中平二年(一八五年)六月、洛陽。


 傅燮(ふしょう)は、北地郡霊州(れいしゅう)の生まれである。

 霊州は、北地郡にある六つの城の一つだった。郡の治所は富平で、霊州はそこから河沿いに下ったところにある。

 郡には、戸を数えに来る役人がいた。

 傅燮が若いころに、一度、郡ぜんたいを数え直したことがある。県の吏が家ごとに回って、姓名を確かめ、家の者の数を数え、田を見ていった。太守自身が回ったと、あとで聞いた。

 数がいくつになったかは、知らない。

 ただ、家の者の数を言わされたことは覚えている。

 いまは、洛陽にいる。

 議郎(ぎろう)である。帝に問われたら答える役で、問われなければ何もしない。

 去年、軍にいた。

 護軍司馬(ごぐんしば)として、黄巾(こうきん)を討つ軍に従った。軍の監察の役である。誰が何をしたか、誰が何をしなかったかを見て、書く。

 出る前に、上疏(じょうそ)を一つ出している。

 いま、その写しが手元にある。

 書いたのは、こういうことだった。

 天下の禍は、外から来たのではない。みな、内に興ったものである。

 黄巾が起きたのは、起きるだけの理由が内にあったからである。それを除かずに、外へ兵を出しても、また起きる。

 だから、帝のそば近くにいる者を除くべきである、と書いた。

 名は、書かなかった。

 書かなくても、誰のことかは分かる。分からせるために、書かなかった。

 その上疏は、帝のところまで行った。

 行く途中で、誰が読んだかは分からない。上疏は、そば近くにいる者の手を通る。通らせずに帝へ渡す道は無い。

 つまり、除けと書かれた者たちが、それを読むことになる。

 それも、分かって書いた。

 傅燮は、巻を閉じた。

 閉じて、机の端に置いた。捨てていない。


 その上疏の写しを、まだ持っている。




 封の名簿が、回ってきた。

 議郎の官舎にも、写しが回る。誰が何に封ぜられたかを、一応は知らせる。

 傅燮は、それを見た。

 去年の黄巾の功による封である。名が並んでいる。

 自分の名が、無い。

 無いのは、写し損ねかもしれない。そう思って、はじめから読み直した。無かった。

 同じ官舎にいる者が、教えてくれた。

 名簿を写す吏が、傅燮の名の欄で手を止めた、という。欄は作られていた。作られていて、埋まらなかった。

 中常侍(ちゅうじょうじ)の趙忠(ちょうちゅう)が、奏したのだという。

 何と奏したかは、伝わっていない。伝わっているのは、奏したという事実だけである。

 帝は、罪に問わなかった。

 傅燮の書いたものを覚えていたからだ、とその者は言った。覚えていたので、趙忠の言い分を丸ごとは取らなかった。

 だが、封じもしなかった。

 傅燮は、名簿を返した。

 返してから、去年の軍のことを考えた。

 長社で火を放ち、広宗で張梁(ちょうりょう)を斬り、下曲陽で張宝(ちょうほう)を斬った。首は十余万になった。自分は、その全部の場にいた。見て、書く役だったからである。

 同じ軍にいた将軍は、八千戸をもらっている。

 傅燮は、それを不当だとは思わなかった。将軍は将軍の役をした。自分は自分の役をした。役が違えば、量られ方も違う。

 ただ、罪にはならなかった。

 それだけが、この件の結末である。

 罪になっていれば、理由が書かれる。書かれたものは、あとで読める。

 罪にならなかったので、何も書かれなかった。


 罪にならなかった。それだけである。


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