第2話:同じ州
名を、書き出させた。
叛いている側の頭の名である。報せが来るたびに増えるので、一枚にまとめておく。
北宮伯玉。湟中の義従胡。
李文侯。同じ。
辺章。金城の人である。
韓遂。これも金城の人。
辺章と韓遂は、もとは金城の役人か、その近くにいた者だという。北宮伯玉が金城へ入ったとき、脅されて、軍政を主らされた。
脅された、と報せは書いている。
書いてある以上のことは、分からない。脅されて従ったのか、脅されたことにして従ったのかは、こちらから見えない。
皇甫嵩は、もう一枚を出させた。
討つ側の名簿である。
長安に来ている軍の、隊を預かる者の名を並べる。郡から出ている者は、郡の名を添える。
二枚を、並べて置いた。
左の紙に、湟中、金城、金城、と書いてある。
右の紙には、安定、北地、扶風、漢陽、と書いてある。
どちらも涼州である。
皇甫嵩は、右の紙を上から順に見ていった。
北地郡から出ている者が、四人いる。
そのうちの一人の姓に、覚えがあった。
十四年、あの郡にいた。戸ごとに当たって数えた年がある。そのとき、六つの城を回った。城ごとに、多い姓がある。多い姓は、覚える。
左の紙にも、目を戻した。
辺、韓。
どちらも、聞いたことのある姓である。どこで聞いたかは、出てこない。郡で聞いたのか、都で聞いたのか、報せで読んだのかが分からない。
分からないまま、二枚をそのままにした。
名簿の中に、郡で会ったことのある姓がある。
――中平二年(一八五年)五月、長安。
動かない。
三月に来て、二月が過ぎた。
園陵を衛れという命令は、守っている。口を二つ押さえ、道を見張らせ、陵の里には人を入れている。
それ以上のことを、していない。
叛徒は、三輔の西のあたりまで来て、そこで止まっている。止まっているというより、広がったり縮んだりしている。押してこない。
押してこないので、こちらも出ない。
出れば、追うことになる。追えば、伸びる。伸びたところで、西から回られると、後ろにある陵が空く。
だから、動かない。
動かないことを、兵に命じている。
朝に道の見回り。昼に武具の手入れ。夕に水。長社でも、広宗でも、同じ順を出した。
三度目である。
三度目だが、前の二度とは違うところが一つある。
前の二度は、何かを待っていた。風を待ち、相手が緩むのを待った。待ったあとに、動いた。
今度は、待っていない。
待つものが無い。相手が緩んでも、追わない。風が吹いても、火を放つ草が無い。
長安の夏は、暑い。
渭水から風が来るが、乾いている。陣の中の地面が、日ごとに白くなっていく。
六月に入って、軍吏が一人、来た。
入ってきて、座って、言いかけた。
「将軍。西の道から――」
そこで止まった。
止まって、少し黙って、それから言い直した。
「いえ。道の見回りの手を、二つに分けてよろしいかと」
「分けてください」
「はい」
出ていった。
皇甫嵩は、その背中を見ていた。
言いかけてやめたのは、策である。西の道から出て、どうこうする、という話だったのだろう。
出れば、功が立つ。
功が立たなければ、この軍は、何もしなかったことになる。
それは、その男にも分かっている。
部下が策を言いに来て、途中でやめた。
――中平二年(一八五年)六月、洛陽。
傅燮は、北地郡霊州の生まれである。
霊州は、北地郡にある六つの城の一つだった。郡の治所は富平で、霊州はそこから河沿いに下ったところにある。
郡には、戸を数えに来る役人がいた。
傅燮が若いころに、一度、郡ぜんたいを数え直したことがある。県の吏が家ごとに回って、姓名を確かめ、家の者の数を数え、田を見ていった。太守自身が回ったと、あとで聞いた。
数がいくつになったかは、知らない。
ただ、家の者の数を言わされたことは覚えている。
いまは、洛陽にいる。
議郎である。帝に問われたら答える役で、問われなければ何もしない。
去年、軍にいた。
護軍司馬として、黄巾を討つ軍に従った。軍の監察の役である。誰が何をしたか、誰が何をしなかったかを見て、書く。
出る前に、上疏を一つ出している。
いま、その写しが手元にある。
書いたのは、こういうことだった。
天下の禍は、外から来たのではない。みな、内に興ったものである。
黄巾が起きたのは、起きるだけの理由が内にあったからである。それを除かずに、外へ兵を出しても、また起きる。
だから、帝のそば近くにいる者を除くべきである、と書いた。
名は、書かなかった。
書かなくても、誰のことかは分かる。分からせるために、書かなかった。
その上疏は、帝のところまで行った。
行く途中で、誰が読んだかは分からない。上疏は、そば近くにいる者の手を通る。通らせずに帝へ渡す道は無い。
つまり、除けと書かれた者たちが、それを読むことになる。
それも、分かって書いた。
傅燮は、巻を閉じた。
閉じて、机の端に置いた。捨てていない。
その上疏の写しを、まだ持っている。
封の名簿が、回ってきた。
議郎の官舎にも、写しが回る。誰が何に封ぜられたかを、一応は知らせる。
傅燮は、それを見た。
去年の黄巾の功による封である。名が並んでいる。
自分の名が、無い。
無いのは、写し損ねかもしれない。そう思って、はじめから読み直した。無かった。
同じ官舎にいる者が、教えてくれた。
名簿を写す吏が、傅燮の名の欄で手を止めた、という。欄は作られていた。作られていて、埋まらなかった。
中常侍の趙忠が、奏したのだという。
何と奏したかは、伝わっていない。伝わっているのは、奏したという事実だけである。
帝は、罪に問わなかった。
傅燮の書いたものを覚えていたからだ、とその者は言った。覚えていたので、趙忠の言い分を丸ごとは取らなかった。
だが、封じもしなかった。
傅燮は、名簿を返した。
返してから、去年の軍のことを考えた。
長社で火を放ち、広宗で張梁を斬り、下曲陽で張宝を斬った。首は十余万になった。自分は、その全部の場にいた。見て、書く役だったからである。
同じ軍にいた将軍は、八千戸をもらっている。
傅燮は、それを不当だとは思わなかった。将軍は将軍の役をした。自分は自分の役をした。役が違えば、量られ方も違う。
ただ、罪にはならなかった。
それだけが、この件の結末である。
罪になっていれば、理由が書かれる。書かれたものは、あとで読める。
罪にならなかったので、何も書かれなかった。
罪にならなかった。それだけである。




