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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第一章 朝那(ちょうだ)

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第2話:八百

 年が明ける前に、郡の太守が叔父を呼んだ。

 叔父は、借りた役所の土間で立ったまま話を聞いた。皇甫嵩は外の段に座って待っていたので、中の声が途切れ途切れに聞こえた。


「兵略があると聞いた」

「聞かれただけのことです」

「功曹(こうそう)をやれ」


 功曹は、郡の属官の頭である。人を挙げ、人を調べ、人を割り振る役だった。叔父はすぐには答えなかった。


「甲士(こうし)を八百、つける。率いて出よ」

「八百で、何をいたしますか」

「守るのだ。ここは郡の外れではない。扶風の内側だ。内側まで来られては、下げた意味が無い」


 少しの間があった。


「お受けします」


 叔父は断らなかった。

 その晩から、名を集める作業がはじまった。八百の名を帳面に綴じるのである。皇甫嵩は墨を磨る役をあてがわれて、叔父の隣に座っていた。

 名の無い者が、思ったより多かった。

 家に姓が無い者、姓はあるが呼び名しか持たない者、字が書けないので自分の名の形を知らない者。そういう者には、その場で名を付ける手続きがあった。郡の吏が書き、本人に見せて、本人が頷けば、それが名になる。


「頷けば、名になるのですか」

「帳面の上ではな」


 叔父は筆を置かずに答えた。


「帳面の外では、まだ呼び名のままだ。帳面の外のほうが長い」


 書き終えた紙を重ね、綴じ紐を通した。

 八百の名を綴じた束は、皇甫嵩が思っていたより、ずっと薄かった。




 叔父は、ひと月ほどで帰ってきた。

 郡の外れで羌と行き合い、交戦した。斬った首は数級である。賊は退いた。それだけだった。

 首は郡の役所の裏へ運ばれ、莚の上に並べられた。数えるのは吏の役で、叔父は立ち会うだけである。皇甫嵩は、離れたところから見ていた。

 数え終わるのが、早かった。

 吏が指で押さえながら数え、口の中で言い、もう一度数え直して、それで終わった。二度目も同じ数だった。数え直す必要のない数である。

 そのあと、叔父は帳面に自分で書いた。


「何と書くのですか」

「戦ったと書く。退けたと書く。数を書く」

「それだけですか」

「それだけだ」


 郡は、これを功とした。

 太守は叔父を上計掾(じょうけいえん)に挙げた。年の暮れに都へ上り、郡の一年の帳面を朝廷へ差し出す役である。郡の中では重い役だった。

 皇甫嵩は、莚の上の数と、帳面の字とを、順に思い返した。

 斬った首は、指で足りた。それでも帳面には、功と書かれていた。




 ――漢安元年(一四二年)、扶風。


 都から公車が来て、叔父を呼んだ。

 公車というのは、朝廷が人を呼ぶときに出す車のことだと、叔父が教えた。呼ばれた者は都へ行き、出された問いに答えを書く。書いたものの出来で順位が付く。


「何を訊かれるのですか」

「その年による」


 叔父は行って、ひと月ほどで帰ってきた。

 帰りは公車ではなかった。借りた馬で、供も一人だった。顔の色が悪かった。

 二日ほどしてから、都の辞令を運んできた者が家へ来た。郎中(ろうちゅう)という官が与えられていた。都に置く、位の低い官である。

 運んできた者は、辞令を置いて、すぐに立った。母が食事を勧めたが、断った。帰りに何も持たされずに出ていくのを、皇甫嵩は門のところで見ていた。ふつう、都から来た者は何かしら持たされて帰る。

 その晩、母が叔父に訊いた。


「都で、何を書かれたのですか」


 叔父は答えなかった。


「順位を落とされたと、郡の者が言っております」

「言うだろうな」

「落としたのは、どなたです」


 叔父は湯呑を置いた。


「問いに答えただけです」

「答えが、どなたかに当たったのでしょう」


 母は引かなかった。

 叔父は少しのあいだ黙って、それから立ち上がった。


「病と称して、帰ります。郎中には就きません」

「叔父上」


 皇甫嵩が呼ぶと、叔父は足を止めた。


「なんだ」

「都で、何を書かれたのですか」


 叔父は、皇甫嵩のほうを見た。見て、何も言わずに奥へ入った。


 叔父は、何を書いたのかを、誰にも言わなかった。




 都で落としたのは、大将軍の梁冀(りょうき)だった。

 名が出るまでに、少しかかった。郡の者は、はじめのうち誰の名も言わなかった。言わずに、叔父の家を避けた。避け方が先に来て、名はあとから来た。

 名を聞いて、皇甫嵩は母に訊いた。


「大将軍とは、軍のいちばん上のことですか」

「軍だけではありません。帝の后の家から出て、朝廷ぜんたいを見る役です」


 母はそう言って、干し物を取り込みに出た。

 州と郡が動きはじめたのは、その冬からである。

 はじめは、帳面の不備という形で来た。上計掾のときの数が合わないという。叔父は数を出し直し、吏は持ち帰り、二月ほどして、こんどは別の年の分を訊きに来た。

 二度目は、人の口から来た。叔父が羌と通じているという噂が、郡の外側から入ってきた。出どころは分からなかった。分からないという形で来るものが、いちばん厄介なのだと母が言った。

 三度目は、名指しだった。州の使いが来て、叔父を呼び出した。呼び出しの書きようが、それまでと違っていた。

 叔父は行き、三日して帰ってきた。

 帰った日の晩、叔父は湯を飲もうとして、湯呑を二度持ち直した。一度目は指がかからなかった。母がそれを見て、何も訊かなかった。

 三度とも、叔父は生きて帰った。

 皇甫嵩は、三度目のあとで数えてみた。十万を率いた将は、射姑山で死んだ。叔父は勝っていない。斬った首は数級である。

 それでも、狙われているのは叔父だった。

 冬のあいだ、門の外の道は白くなる。朝那にいたころと違って、扶風には雪が降る。

 ある朝、その道に足跡があった。

 門の前で止まり、引き返していた。門のところまで来て、入らずに帰った者がいる。

 道は家の前で行き止まりで、その先へ抜ける者はいない。




 ――漢安二年(一四三年)、扶風。


 叔父が塾を開いた。

 開いたというより、人が来たので座らせた、というほうが近かった。借りた家の土間を片づけ、莚を敷き、四日に一度、そこで教えた。

 教えたのは詩と易である。

 皇甫嵩は、それを妙だと思った。

 この家は、四代続けて辺境の武官を出している。曾祖父も、祖父も、父も、境を見る役に就いた。叔父自身、八百を率いて羌と戦い、首を斬って帰ってきたばかりである。

 その男が、武を教えていない。


「弓は、教えないのですか」


 一度だけ訊いた。


「弓を教える者は、郡にいくらでもいる」


 叔父はそう答えて、それ以上は言わなかった。

 門徒は増えた。

 はじめは郡の吏の子が五人か六人だった。次に、扶風に下げられてきた安定の家の子が来た。そのうち、扶風のもともとの家の子が混じるようになった。

 皇甫嵩は、数えるのを言いつけられた。名を帳面に書き、来た日に印を付ける。

 二百を超えたあたりから、顔と名が合わなくなった。三百を超えたところで、叔父が数えなくていいと言った。


「数えないのですか」

「数えると、揃っていない日が気になる」


 束脩(そくしゅう)を持ってこない子がいた。

 塾に入るときに、干した肉を包んで持ってくるのが習いである。持ってこない子は、莚のいちばん端に座って、何も言わずに聞いて、何も言わずに帰った。

 叔父は、その子を追い出さなかった。

 ただ、帳面には、その子の名を書かなかった。


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