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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第八章 閻忠(えんちゅう)

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第1話:冬の帳面

 ――光和七年(一八四年)十一月、冀州(きしゅう)の治所。


 数えなければ、免じられない。

 田租を一年免ずる、という詔は下りた。下りたが、詔には数が無い。免ずるのは冀州の田租であって、冀州がいくつの戸でできているかは、州の側が出す。

 皇甫嵩(こうほすう)は、冀州牧(きしゅうぼく)である。州を一つ、まるごと預かる役で、十一月に詔とともに与えられた。

 郡ごとの帳面を出させた。

 九つの郡と国がある。それぞれの束の厚さが違う。厚いのは戸が多いからではなく、去年から書き足した回数が多いからだった。

 数えはじめたのは、鉅鹿郡の南からである。

 下曲陽である。先月、そこに塚を築いた。築いた場所のすぐ南の里から、戸を数えていった。

 順に理由は無い。近いからである。

 数え終えた郡から、免除の触れを出した。

 触れを出すだけでは、届かない。受け取りに来させることにした。県の役所に、里ごとに来させ、名を照らして、帳面に印を入れる。

 来た。

 男が多い。女も来た。

 一人、老いた女が、里の名を言えなかった。三度訊いて、三度とも違う名を言う。隣に立っていた者が、正しい名を言った。

 女は、それを聞いて、頷いた。

 印を入れた。入れながら、吏が訊いた。この家は、戸主が誰か。女は、息子の名を言った。息子はどこにいるかと訊かれて、答えなかった。

 答えなくても、印は入る。

 帳面は、そういう作りになっている。

 夕方、その日の分を閉じた。

 別の束を出した。

 こちらは冀州のものではない。槐里(かいり)と美陽(びよう)の、八千戸の帳面である。先月、都から写しが届いた。

 同じ机の上に、二つの帳面がある。

 一方は、取らないと決めた戸である。

 一方は、取ると決められた戸である。


 帳面の戸数の桁を、指でなぞった。




 人が来るようになった。

 州の治所に、毎日、誰かが来る。

 郡の吏が来るのは、用がある。用があるから、話は早い。

 そうでない者が来る。

 どこの誰とも知れない者が、名を言い、土産を置いて、それで帰る。用件を言わない。訊いても、ご挨拶までに、と言う。

 置いていくものは、絹が多い。絹の次が、乾した果物である。都のものもあれば、この州のものもある。

 皇甫嵩は、帳面を一つ作らせた。

 来た者の名と、置いていった物と、日付を書く。

 返すかどうかは、その場では決めない。決めると、返した者と返さなかった者ができる。

 十日で、二十九件になった。

 文も来る。

 娘の縁を、という文。子を、州の属官に、という文。土地の境について、州の側から一言もらえないか、という文。

 どれも、ものは言い方が丁寧である。

 同じ日に、都からの報せも来る。

 こちらは、丁寧ではない。

 銭の値が動いているという。西の園に納めた額で官が動いているという。穀の値が、去年の同じ月の倍になっているという。州のうち三つが、今年の上計を出せていないという。

 二つの束を、並べて置いた。

 一方は、こちらへ来たいという者の束である。

 一方は、国のどこが欠けているかという束である。

 厚いのは、前のほうだった。


 来る者は多いが、用件を言う者が少ない。




 報せが来た。

 中常侍(ちゅうじょうじ)の呂強(りょきょう)が死んだという。帝の身の回りにいて、詔を取り次ぐ役である。

 自ら首を刎ねた、とある。

 皇甫嵩は、はじめから読み直した。

 趙忠(ちょうちゅう)と夏惲(かうん)が、帝に告げ口をした。中身は二つである。

 党人と共に朝廷のことを議した、ということ。

 霍光伝(かくこうでん)を、しばしば読んでいる、ということ。

 帝は、召して問うことにした。

 召し出しの使いが着く前に、呂強は死んだ。

 去り際に言った言葉が、報せの末尾に写してあった。


 ――吾(われ)死せば、乱起こらん。丈夫、国家に忠を尽くさんと欲す。豈に能く獄吏に対せんや。


 皇甫嵩は、その行を二度読んだ。

 春に、上奏を一つ出している。

 党禁を解いてください、という上奏だった。禁ぜられた者たちを赦し、西の園に積んである銭と、厩の馬を出して、軍に当ててください、と書いた。

 帝の前でそれを取り次いだのが、この男である。

 取り次いだ、というのは、順番を待って、入って、言った、ということである。何と言ったかは知らない。知りようがない。

 三月に、党人は赦された。

 九か月である。

 告げ口の中身の一つめは、そのことを指している。

 二つめが何を指すのかは、分からない。霍光伝を読むのは、罪ではない。罪ではないことを二つめに並べたのは、一つめだけでは弱いと思った者がいるということである。

 報せを、郡へ回すかどうかを決めなければならない。

 州の治所に来た報せは、郡へ下ろすのが普通である。人事の報せは、下ろす。

 下ろさないことにした。

 理由を、吏には言わなかった。吏も訊かなかった。


 その報せを、州の誰も口に出さなかった。




 ――中平元年(一八四年)十二月、冀州の治所。


 詔が来た。

 十二月己巳(きし)。天下に大赦し、中平と改元する。

 同じ日である。赦すことと、年の名を変えることが、同じ詔の中に入っている。

 この年、大赦は二度目だった。

 一度目は三月壬子(じんし)で、党人を赦した。あのときは、赦す相手が決まっていた。名簿があり、束があり、消す手続きがあった。

 二度目は、天下である。

 名簿は無い。

 触れを州へ回させた。県から郷へ、郷から里へ下りる。下りるあいだに、何と言い替えられるかは、前と同じで分からない。

 それから、帳面の年号を直させた。

 光和七年と書いてある箇所を、中平元年に書き直す。十二月己巳より前の分は、そのままにする。

 境の日が、月の途中にある。

 吏が二人がかりで、束を分けた。前の分と、後の分に分ける。分けてみると、前のほうが厚い。当たり前である。十一か月と、二十日ほどだった。

 書き直した紙が、上に積まれていく。

 書き直す前の紙は、下に残る。

 捨てないことにした。捨てると、前の年の記録が消える。


 書き直した紙と、書き直す前の紙が、同じ束にある。


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