第1話:冬の帳面
――光和七年(一八四年)十一月、冀州の治所。
数えなければ、免じられない。
田租を一年免ずる、という詔は下りた。下りたが、詔には数が無い。免ずるのは冀州の田租であって、冀州がいくつの戸でできているかは、州の側が出す。
皇甫嵩は、冀州牧である。州を一つ、まるごと預かる役で、十一月に詔とともに与えられた。
郡ごとの帳面を出させた。
九つの郡と国がある。それぞれの束の厚さが違う。厚いのは戸が多いからではなく、去年から書き足した回数が多いからだった。
数えはじめたのは、鉅鹿郡の南からである。
下曲陽である。先月、そこに塚を築いた。築いた場所のすぐ南の里から、戸を数えていった。
順に理由は無い。近いからである。
数え終えた郡から、免除の触れを出した。
触れを出すだけでは、届かない。受け取りに来させることにした。県の役所に、里ごとに来させ、名を照らして、帳面に印を入れる。
来た。
男が多い。女も来た。
一人、老いた女が、里の名を言えなかった。三度訊いて、三度とも違う名を言う。隣に立っていた者が、正しい名を言った。
女は、それを聞いて、頷いた。
印を入れた。入れながら、吏が訊いた。この家は、戸主が誰か。女は、息子の名を言った。息子はどこにいるかと訊かれて、答えなかった。
答えなくても、印は入る。
帳面は、そういう作りになっている。
夕方、その日の分を閉じた。
別の束を出した。
こちらは冀州のものではない。槐里と美陽の、八千戸の帳面である。先月、都から写しが届いた。
同じ机の上に、二つの帳面がある。
一方は、取らないと決めた戸である。
一方は、取ると決められた戸である。
帳面の戸数の桁を、指でなぞった。
人が来るようになった。
州の治所に、毎日、誰かが来る。
郡の吏が来るのは、用がある。用があるから、話は早い。
そうでない者が来る。
どこの誰とも知れない者が、名を言い、土産を置いて、それで帰る。用件を言わない。訊いても、ご挨拶までに、と言う。
置いていくものは、絹が多い。絹の次が、乾した果物である。都のものもあれば、この州のものもある。
皇甫嵩は、帳面を一つ作らせた。
来た者の名と、置いていった物と、日付を書く。
返すかどうかは、その場では決めない。決めると、返した者と返さなかった者ができる。
十日で、二十九件になった。
文も来る。
娘の縁を、という文。子を、州の属官に、という文。土地の境について、州の側から一言もらえないか、という文。
どれも、ものは言い方が丁寧である。
同じ日に、都からの報せも来る。
こちらは、丁寧ではない。
銭の値が動いているという。西の園に納めた額で官が動いているという。穀の値が、去年の同じ月の倍になっているという。州のうち三つが、今年の上計を出せていないという。
二つの束を、並べて置いた。
一方は、こちらへ来たいという者の束である。
一方は、国のどこが欠けているかという束である。
厚いのは、前のほうだった。
来る者は多いが、用件を言う者が少ない。
報せが来た。
中常侍の呂強が死んだという。帝の身の回りにいて、詔を取り次ぐ役である。
自ら首を刎ねた、とある。
皇甫嵩は、はじめから読み直した。
趙忠と夏惲が、帝に告げ口をした。中身は二つである。
党人と共に朝廷のことを議した、ということ。
霍光伝を、しばしば読んでいる、ということ。
帝は、召して問うことにした。
召し出しの使いが着く前に、呂強は死んだ。
去り際に言った言葉が、報せの末尾に写してあった。
――吾死せば、乱起こらん。丈夫、国家に忠を尽くさんと欲す。豈に能く獄吏に対せんや。
皇甫嵩は、その行を二度読んだ。
春に、上奏を一つ出している。
党禁を解いてください、という上奏だった。禁ぜられた者たちを赦し、西の園に積んである銭と、厩の馬を出して、軍に当ててください、と書いた。
帝の前でそれを取り次いだのが、この男である。
取り次いだ、というのは、順番を待って、入って、言った、ということである。何と言ったかは知らない。知りようがない。
三月に、党人は赦された。
九か月である。
告げ口の中身の一つめは、そのことを指している。
二つめが何を指すのかは、分からない。霍光伝を読むのは、罪ではない。罪ではないことを二つめに並べたのは、一つめだけでは弱いと思った者がいるということである。
報せを、郡へ回すかどうかを決めなければならない。
州の治所に来た報せは、郡へ下ろすのが普通である。人事の報せは、下ろす。
下ろさないことにした。
理由を、吏には言わなかった。吏も訊かなかった。
その報せを、州の誰も口に出さなかった。
――中平元年(一八四年)十二月、冀州の治所。
詔が来た。
十二月己巳。天下に大赦し、中平と改元する。
同じ日である。赦すことと、年の名を変えることが、同じ詔の中に入っている。
この年、大赦は二度目だった。
一度目は三月壬子で、党人を赦した。あのときは、赦す相手が決まっていた。名簿があり、束があり、消す手続きがあった。
二度目は、天下である。
名簿は無い。
触れを州へ回させた。県から郷へ、郷から里へ下りる。下りるあいだに、何と言い替えられるかは、前と同じで分からない。
それから、帳面の年号を直させた。
光和七年と書いてある箇所を、中平元年に書き直す。十二月己巳より前の分は、そのままにする。
境の日が、月の途中にある。
吏が二人がかりで、束を分けた。前の分と、後の分に分ける。分けてみると、前のほうが厚い。当たり前である。十一か月と、二十日ほどだった。
書き直した紙が、上に積まれていく。
書き直す前の紙は、下に残る。
捨てないことにした。捨てると、前の年の記録が消える。
書き直した紙と、書き直す前の紙が、同じ束にある。




