第5話:八千戸
辞令が来た。
三つある。
左車騎将軍に拝する。車騎将軍は軍の位で、三公に次ぐ。将軍の中では上から二番目にあたる。
冀州牧を領する。州を一つ、まるごと預かる役である。
槐里侯に封ずる。槐里と美陽の二つの県を食邑とし、合わせて八千戸。食邑というのは、その戸数ぶんの税が、その人のものになるということである。
印綬が来た。
箱が三つ来た。侯の箱は、長社で受け取ったものと同じ大きさだった。中身のほうが重い。
将軍の箱は、それより大きい。州牧の箱も大きい。
皇甫嵩は、三つとも開けて、また閉じた。
それから、地図を出させた。
槐里がどこにあるかを、確かめたかった。
冀州の図ではない。西の図である。
指を置いた。
都から西へ、渭水に沿って上がる。長安を過ぎて、しばらく行ったところに槐里がある。美陽は、そのさらに西の、北寄りである。
どちらも、右扶風の県だった。
指を、そのまま北へ動かした。
扶風の北が、安定郡である。
その中に朝那があり、そこで生まれた。
指を戻した。槐里と美陽のあいだは、近い。一日で歩ける。
八千戸というのは、そこに住んでいる家の数である。図には、家は描いてない。県の名と、川と、道だけが描いてある。
食邑の場所を、地図で指で追った。郷里の、すぐ南にあった。
冀州の冬に入った。
州を預かるというのは、州の帳面を預かるということである。皇甫嵩は、郡ごとの戸の数を出させた。
出てきた数は、去年の数だった。
今年の数は、まだ無い。作るのは年の暮れで、作る者が減っている。
去年の数と、今年の実を突き合わせた。
合わない。
合わないのは当たり前だった。死んだ者がいる。逃げた者がいる。帰ってきた者がいる。車を引いてきて、帰る先が無くなった者がいる。
それでも、田租は去年の戸数で掛かる。田にかかる税である。掛ければ、取れないところから取ることになる。
取れないところから取ると、どうなるかは、北地郡で十四年見てきた。
皇甫嵩は、免除を奏請することにした。
一年である。
書く前に、額を出させた。
冀州の田租を一年免ずると、いくらになるか。郡ごとに出して、足す。足した数を見て、それが都のどこから欠けるかを考えた。
文を書いた。
飢えているので養いたい、と書いた。誰が飢えさせたかは、書かなかった。書く欄が無い。
出した。
返事は、従う、というものだった。ひと言である。
郡へ回す文を作らせた。来年の田租は取らない、という文である。県から郷へ、郷から里へ下りていく。
下りていくあいだに、何と言い替えられるかは分からない。
斬った州から、税を取らないことにした。
下曲陽の南の村に、井戸が一つある。
女は、朝と夕にそこへ行く。桶が二つあったが、一つは去年の秋に割れた。割れたまま使っている。水が漏るので、急いで帰らなければならない。
三十をいくつか過ぎている。
夫がいた。長男がいた。
今年の春に、二人とも出ていった。頭に黄色い布を巻いた者が村へ来て、三日いて、出ていくときに一緒に行った。連れて行かれたのか、行ったのかは、見ていないので分からない。
止めなかった、とは言える。
蒔く手が二人減った。食う口も二人減った。夏のあいだは、それで合っていた。
今年の秋、戦があった。
南のほうで煙が上がり、しばらく上がり続けた。六日だった。数えたわけではないが、六日だと村の者が言っていた。
そのあと、城の南に塚ができた。
見に行った者がいる。女は、行っていない。
冬になって、報せが来た。
来年の田租は取らない、という。県から来た者が、里の者を集めて読んだ。読み終わって、もう一度読んだ。二度読んだのは、一度では誰も声を出さなかったからである。
それから、歌ができた。
誰が作ったのかは、分からない。井戸のところで聞いた。聞いた者が、また別のところで歌った。
――天下大いに乱れて、市は廃墟となり、
――母は子を保てず、妻は夫を失った。
――皇甫のおかげで、また安んじて住める。
女も、歌った。
歌いながら、二人のことを考えた。塚の中にいるかもしれない。いないかもしれない。どちらかは、確かめようがない。
確かめようがないことと、来年の粟が残ることは、別の話である。
どちらも、本当だった。
歌は、三度で終わる。短いので、覚えやすい。
女は、桶を下ろして、歌い終わるまで待った。
歌い終わって、女は何も言わずに水を汲みに行った。
盧植は、都にいた。
檻車で運ばれ、獄に入り、死を一等減じられて、出た。出たあとは、官に就いていない。
冬になって、辞令が来た。
尚書に復する、とある。帝のそばで文書を扱う官である。
盧植は、受け取る手続きをした。
書式がある。辞令を受けた者が、受けた旨を書いて返す。日付を書き、名を書き、印を押す。
押しながら、訊いた。
「何があって、こうなりましたか」
「存じません」
「誰かが、何か言ったのでしょう」
「左車騎将軍が、冀州から状を上げられたと聞いております」
「どういう状ですか」
「盧中郎の用兵の方略を、大いに称えておられたとか」
盧植は、手を止めた。
会ったことのない男である。名は知っている。この春、南へ行った一人だった。
方略を称えた、という。
自分が広宗の外でしたことは、塁を築き、塹を掘り、雲梯を造ったことである。それを、休んでいると書かれた。
同じものを、別の者が見て、方略と呼んだ。
どちらも、見ていない。
左豊は見に来たが、見たとは言えない。皇甫嵩は、そもそも来ていない。来ていない者が、あとから陣に入って、土の固さを触ったのかもしれない。
訊けば分かることではなかった。
訊く相手が、都にいない。
盧植は、印を押した。押してから、紙の端を揃えた。
盧植には、なぜ自分が救われたのかが分からない。
第七章 京観 ――完。




