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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第七章 京観(けいかん)

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第5話:八千戸

 辞令が来た。

 三つある。

 左車騎将軍(さしゃきしょうぐん)に拝する。車騎将軍は軍の位で、三公に次ぐ。将軍の中では上から二番目にあたる。

 冀州牧(きしゅうぼく)を領する。州を一つ、まるごと預かる役である。

 槐里侯(かいりこう)に封ずる。槐里(かいり)と美陽(びよう)の二つの県を食邑(しょくゆう)とし、合わせて八千戸。食邑というのは、その戸数ぶんの税が、その人のものになるということである。

 印綬が来た。

 箱が三つ来た。侯の箱は、長社で受け取ったものと同じ大きさだった。中身のほうが重い。

 将軍の箱は、それより大きい。州牧の箱も大きい。

 皇甫嵩は、三つとも開けて、また閉じた。

 それから、地図を出させた。

 槐里がどこにあるかを、確かめたかった。

 冀州の図ではない。西の図である。

 指を置いた。

 都から西へ、渭水(いすい)に沿って上がる。長安を過ぎて、しばらく行ったところに槐里がある。美陽は、そのさらに西の、北寄りである。

 どちらも、右扶風の県だった。

 指を、そのまま北へ動かした。

 扶風の北が、安定郡である。

 その中に朝那があり、そこで生まれた。

 指を戻した。槐里と美陽のあいだは、近い。一日で歩ける。

 八千戸というのは、そこに住んでいる家の数である。図には、家は描いてない。県の名と、川と、道だけが描いてある。


 食邑の場所を、地図で指で追った。郷里の、すぐ南にあった。




 冀州の冬に入った。

 州を預かるというのは、州の帳面を預かるということである。皇甫嵩は、郡ごとの戸の数を出させた。

 出てきた数は、去年の数だった。

 今年の数は、まだ無い。作るのは年の暮れで、作る者が減っている。

 去年の数と、今年の実を突き合わせた。

 合わない。

 合わないのは当たり前だった。死んだ者がいる。逃げた者がいる。帰ってきた者がいる。車を引いてきて、帰る先が無くなった者がいる。

 それでも、田租(でんそ)は去年の戸数で掛かる。田にかかる税である。掛ければ、取れないところから取ることになる。

 取れないところから取ると、どうなるかは、北地郡で十四年見てきた。

 皇甫嵩は、免除を奏請することにした。

 一年である。

 書く前に、額を出させた。

 冀州の田租を一年免ずると、いくらになるか。郡ごとに出して、足す。足した数を見て、それが都のどこから欠けるかを考えた。

 文を書いた。

 飢えているので養いたい、と書いた。誰が飢えさせたかは、書かなかった。書く欄が無い。

 出した。

 返事は、従う、というものだった。ひと言である。

 郡へ回す文を作らせた。来年の田租は取らない、という文である。県から郷へ、郷から里へ下りていく。

 下りていくあいだに、何と言い替えられるかは分からない。


 斬った州から、税を取らないことにした。




 下曲陽の南の村に、井戸が一つある。

 女は、朝と夕にそこへ行く。桶が二つあったが、一つは去年の秋に割れた。割れたまま使っている。水が漏るので、急いで帰らなければならない。

 三十をいくつか過ぎている。

 夫がいた。長男がいた。

 今年の春に、二人とも出ていった。頭に黄色い布を巻いた者が村へ来て、三日いて、出ていくときに一緒に行った。連れて行かれたのか、行ったのかは、見ていないので分からない。

 止めなかった、とは言える。

 蒔く手が二人減った。食う口も二人減った。夏のあいだは、それで合っていた。

 今年の秋、戦があった。

 南のほうで煙が上がり、しばらく上がり続けた。六日だった。数えたわけではないが、六日だと村の者が言っていた。

 そのあと、城の南に塚ができた。

 見に行った者がいる。女は、行っていない。

 冬になって、報せが来た。

 来年の田租は取らない、という。県から来た者が、里の者を集めて読んだ。読み終わって、もう一度読んだ。二度読んだのは、一度では誰も声を出さなかったからである。

 それから、歌ができた。

 誰が作ったのかは、分からない。井戸のところで聞いた。聞いた者が、また別のところで歌った。


 ――天下大いに乱れて、市は廃墟となり、

 ――母は子を保てず、妻は夫を失った。

 ――皇甫のおかげで、また安んじて住める。


 女も、歌った。

 歌いながら、二人のことを考えた。塚の中にいるかもしれない。いないかもしれない。どちらかは、確かめようがない。

 確かめようがないことと、来年の粟が残ることは、別の話である。

 どちらも、本当だった。

 歌は、三度で終わる。短いので、覚えやすい。

 女は、桶を下ろして、歌い終わるまで待った。


 歌い終わって、女は何も言わずに水を汲みに行った。




 盧植は、都にいた。

 檻車で運ばれ、獄に入り、死を一等減じられて、出た。出たあとは、官に就いていない。

 冬になって、辞令が来た。

 尚書(しょうしょ)に復する、とある。帝のそばで文書を扱う官である。

 盧植は、受け取る手続きをした。

 書式がある。辞令を受けた者が、受けた旨を書いて返す。日付を書き、名を書き、印を押す。

 押しながら、訊いた。


「何があって、こうなりましたか」

「存じません」

「誰かが、何か言ったのでしょう」

「左車騎将軍が、冀州から状を上げられたと聞いております」

「どういう状ですか」

「盧中郎の用兵の方略を、大いに称えておられたとか」


 盧植は、手を止めた。

 会ったことのない男である。名は知っている。この春、南へ行った一人だった。

 方略を称えた、という。

 自分が広宗の外でしたことは、塁を築き、塹を掘り、雲梯を造ったことである。それを、休んでいると書かれた。

 同じものを、別の者が見て、方略と呼んだ。

 どちらも、見ていない。

 左豊は見に来たが、見たとは言えない。皇甫嵩は、そもそも来ていない。来ていない者が、あとから陣に入って、土の固さを触ったのかもしれない。

 訊けば分かることではなかった。

 訊く相手が、都にいない。

 盧植は、印を押した。押してから、紙の端を揃えた。


 盧植には、なぜ自分が救われたのかが分からない。



第七章 京観 ――完。


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