第4話:積む
――光和七年(一八四年)十一月、下曲陽。
下曲陽には、張角の弟の張宝がいた。
広宗から北へ上がる。同じ鉅鹿郡の内である。道は二日だった。
着くと、先に来ている軍があった。
鉅鹿太守の郭典である。
馬を降りて、名乗った。四十ほどの男で、背が低い。日に焼けている。
「郭典と申します。皇甫どの」
「どちらのお生まれですか」
「馮翊でございます」
西である。
皇甫嵩の郷里は安定郡で、その南が扶風、扶風の東が馮翊になる。
それ以上は訊かなかった。郭典も言わなかった。
「受け持ちを分けたい」
「どうぞ」
「東と南を、こちらが取ります。郭どのは」
「北を」
「西は」
「西は、開けておきます」
皇甫嵩は、郭典の顔を見た。
「逃がす、ということですか」
「逃げた者は、この郡の者でございます。西へ出れば、私の郡の外へは出ません」
そういう分け方があるのだと、皇甫嵩は思った。
郭典は、この郡の太守である。城の中にいる者の顔を、いくらかは知っている。知っていて、囲む側にいる。
攻めた。
三日である。
張宝を斬った。
斬ったあと、郭典は馬から降りて、倒れている者のところへ歩いていった。
しゃがんだ。
顔を見ているのかと思ったが、そうではなかった。指を折っている。
立ち上がって、次の列へ行った。また指を折った。
郭典は、斬ったあとで、列の端から一人で数えはじめた。
数は、上がってきた。
数えたのは吏である。皇甫嵩は、数えていない。城の南に運び出させ、並べさせ、そこから先は吏の役だった。
昼に、一度そこへ行った。
並んでいる列のあいだを、端から端まで歩いた。歩いて、戻って、また歩いた。
探していた。
北地から連れてきた者が、数十人いる。そのうちの一人に、麻という男がいた。長社で苣を束ねた夜のあと、名が隊の帳面から落ちている。落ちたのがいつかは、帳面では分からない。
数えている吏の顔を、一人ずつ見た。
八人いた。
どれも違う。
列のほうへ目を戻した。並んでいるものは、顔が上を向いているものと、そうでないものがある。上を向いているものは、見れば分かる。そうでないものは、分からない。
全部を裏返させることはできる。
させなかった。
させれば、数えている者の手が止まる。止まれば、その日のうちに終わらない。
歩くだけにした。
女がいた。
子もいた。数える者は、分けていない。分ける欄が無いからである。
夜になって、紙が来た。
十余万。
その四字である。
皇甫嵩は、紙を手に持ったまま、しばらく見ていた。
受け取って、そのまま返した。
紙は、この先いくつも手を渡って、都へ上がっていく。上がったあとに残るのは、この四字だけである。列の長さも、数え方を変えた回数も、残らない。
数えている者の中に、探している顔が無かった。
築くことにした。
勝った側が、負けた側の骸を積み上げて、その上に土を被せる。そうしてできた塚を、京観という。
どこに築くかを決めた。
城の南である。
南にしたのは、道があるからだった。北は郡の役所へ行く道で、そこを塞ぐわけにいかない。東は川へ下りる道である。西は郭典が開けておいた側だった。
場所を決めると、次に大きさが要る。
底の広さを決めると、高さが決まる。高さを決めると、底が決まる。どちらかを先に決めなければ、始まらない。
底を先に決めた。
運んだ。
車が要る。城の中から集め、足りない分は近くの県から出させた。一台に載る数を決め、往復の回数を数える。
一日目。車が、朝から日暮れまで往復した。
積み方を決めたのは、二日目である。
一日目は、ただ寄せた。寄せると崩れる。崩れると、崩れたところを直すのに人が要る。
二日目から、段にした。
外側を揃えて置き、内側へ詰める。一段ごとに土を薄く撒く。撒くと、次の段が滑らない。
三日目、高さが人の背を越えた。
越えると、上げるのに手間がかかる。板を渡して、斜めに押し上げることにした。
四日目。
兵が、口をきかなくなった。
一日目は、掛け声があった。二日目も、まだあった。三日目は、減った。四日目には、板を渡す音と、土を撒く音しかしなくなっていた。
叱る者がいなかった。
軍吏も、黙って見ている。
皇甫嵩は、毎日そこへ行った。
行って、進み具合を見て、次の日の車の数を決める。それだけである。積むのを手伝いはしなかった。将が手を出すと、その場の段取りが崩れる。
六日目に、底の外周が閉じた。
八日目に、土を被せはじめた。
土は、南の畑から取った。取ったあとの窪みを、どうするかは決めていない。
十一日目の夕方、終わった。
塚は、二階建ての屋根くらいの高さになった。上は平らではなく、少し丸い。土は新しいので、色が周りと違う。
兵が下がっていった。
皇甫嵩は、残って見ていた。
積み終わった塚の上に、鳥が降りた。




