第3話:鶏鳴
その夜、兵を集めた。
声を出させない。灯を持たせない。隊ごとに、置く場所だけを決めて、そこへ動かした。動くのは一隊ずつで、次の隊は前の隊が着くまで動かない。
鶏鳴に出た。
夜明け前の、いちばん暗い時刻である。鶏が鳴くころだからそう呼ぶ。
寒かった。
八月の終わりだが、河北の夜明け前は、息が白い。馬の首から湯気が上がっていた。
馳せた。
陣に当たったとき、向こうはまだ火の前にいた。持ち場に戻る途中の者が、道の上で当たった。
そこから先は、長かった。
日が昇った。
昇っても終わらない。張梁の衆は、崩れても固まる。固まったところをまた崩す。崩してまた固まる。それが、日が高くなっても続いた。
昼を過ぎた。
皇甫嵩は、馬を替えた。替えるあいだも、水は飲まなかった。飲むと、そのあいだ手が止まる。手が止まると、周りが止まる。
午後、崩れ方が変わった。
固まらなくなった。
張梁が斬られたという声が、こちらの側から上がった。上がってから、向こうの動きが一度に変わった。
餔時になった。
日が傾いて、影が長くなる時刻である。
斬った首は、三万に上った。
皇甫嵩は、馬を降りた。
降りて、地面に立つと、脚が思うように動かない。朝からずっと鐙にかけていたからである。
兵が、瓢を差し出した。
日が傾いてから、はじめて水を飲んだ。
崩れた者たちは、東へ走った。
東に、川がある。
走った先が川だったのは、選んだからではない。西と南と北には、こちらの兵がいた。残っていたのが東だけだった。
川は、広い。
渡れる場所は限られている。限られた場所に、人が集まった。集まったところへ、後ろから人が来た。
皇甫嵩は、岸まで行かなかった。
行かなくても分かる。岸のほうから上がってくる音が、途中で変わった。人の声が水の音に変わり、水の音がしばらく続いて、それから減っていった。
翌朝、岸へ出た。
流れてくるものがある。
布。
板。
人。
流れの速いところは、通り過ぎていく。よどんでいるところには、溜まる。溜まったところは、水の色が変わっていた。
五万ほどだろう、と吏が言った。
どう出したのかを訊くと、渡ろうとして集まった場所の広さと、そこに立てる人数を掛けたのだという。
皇甫嵩は、その数を帳面に書かせた。
それから、川の水を汲むのを止めさせた。
炊事も、馬も、洗いものも、川から汲まない。井戸を使う。井戸は足りないので、隊ごとに時刻を割り振った。
軍吏が訊いた。
「いつまででございますか」
「決めていません」
「目安を、兵に言わねばなりませんが」
「言わないでください」
言えば、その日まで待つ。待って、その日が来たら汲む。
汲めるかどうかは、川が決めることだった。
川から水を汲むのを止めた。いつまで止めるかは、決めていない。
車が残った。
黄巾の陣の後ろに、車が並んでいる。荷を積んだまま、置いてある。
数えさせた。
三万余両だった。
中を見た。
家財である。鍋。臼。機織りの台の脚。布の束。壊れた鋤。子どもの履。一つの車に、一つの家の中身が入っていた。
運んできたのだと分かった。
来るときに、家から持ってきている。持ってきたということは、帰る先が無いということである。
焼くことにした。
残せば、また集まる。集まる場所を作らないというのが、この始末の理由だった。
何日かかるかを出させた。
一度に焼けるのは、五十両ほどである。近くで焼くと隣に移るので、離して置かなければならない。離して置く場所と、運ぶ手と、風の向きで決まる。
六日、と出た。
六日のあいだ、煙が上がり続けることになる。
そして、車のあいだに、人がいた。
女と、子である。
斬られていない。逃げてもいない。車の陰に座って、兵が来るのを見ていた。
数えさせた。
数えきれなかった。数えきれないというのは、動くからである。座っている者と、歩いている者と、抱かれている者が混ざっていて、同じ者を二度数えてしまう。
区画を決めて、区画ごとに移してから数えた。
甚だ多い、と紙には書いた。
どこへやるかを、決めなければならない。
皇甫嵩は、軍吏を集めた。
家へ帰せ、と言う者がいた。帰る家が無いから車を引いてきたのだ、と別の者が言った。
郡へ渡せ、と言う者がいた。郡の戸に入れるのかと訊くと、答えがなかった。戸に入れば民である。入らなければ何でもない。
連れて行くのか、置いていくのか。
置いていけば、冬である。
決めた。
県ごとに割り振り、県の倉から粟を出させる。名は、書かせる。書かせた名は、郡の帳面とは別の束にして残す。
紙の上で、その束に何と表題を付けるかを、吏が訊いた。
皇甫嵩は、答えるまでに間があった。
この者たちは、何と呼べばいいのか。
張角は、すでに死んでいた。
広宗の城に入ったとき、病で死んで葬られていると聞いた。いつ死んだかを訊くと、月が合わない。訊く相手によって、ひと月ずれた。
詔ではなく、これは慣いである。
乱の頭は、死んでいても首を都へ送る。送らなければ、死んだことにならない。
棺を暴くことになった。
誰にやらせるかで、吏が揉めた。
一人が、罪人にやらせればよいと言った。もう一人が、罪人の手でやったものは検めが立たないと言った。三人目が、自分の隊から出すと言い、そう言ってから黙った。
揉めているあいだ、皇甫嵩は聞いていた。
揉めているのは、誰がやるかではない。やった者が、あとで何と言われるかだった。
名を書く帳面を作らせた。
やった者の名を書き、その横に、命じた者の名を書く欄を作る。命じた者の欄に、皇甫嵩の名を入れさせた。
それで、決まった。
掘った。
葬られてから日が浅く、土がまだ締まっていない。
首を落とした。
箱を用意させた。塩を詰める。夏の終わりで、都までは日がかかる。
箱に、宛名を書く。
書くのは吏の役である。吏が筆を構えて、訊いた。
「宛は、いかがいたしましょう」
「洛陽へ。あとは書式のとおりに」
「中身は、何と」
皇甫嵩は、箱を見た。
張角、と書けばよい。この男の名である。だが名だけでは、中に何が入っているかは書いたことにならない。
「首級、と」
吏は、そう書いた。
首を入れた箱に、宛名を書く。




