第2話:檻車(かんしゃ)
報せが来た。
北中郎将の盧植が、檻車で都へ送られたという。囚人を運ぶ、格子のついた車である。
皇甫嵩は、盧植に会ったことがない。
名は知っていた。この春、軍を三つに分けたときに、北へ行った一人である。北中郎将として冀州へ向かい、張角に当たった。
報せを、はじめから読んだ。
盧植は、連戦して張角を破っていた。斬った首は、万余に上る。張角は広宗に籠った。
盧植は、城の周りに塁を築いた。
塹を掘った。
雲梯を造った。城壁に掛ける、高い梯子である。
あと一歩だった、と報せには書いてある。
そこへ、帝が小黄門の左豊を遣わした。宮中の宦官の役で、軍を見て帰り、そのまま報告する。
周りの者が、盧植に勧めた。
贈ってはどうか、と。
盧植は、肯んじなかった。
左豊は帰って、言った。報せは、その言葉をそのまま写していた。
「広宗の賊は破りやすいのに、盧中郎は塁を固くして休んでおります。天の誅を待っているのでしょう」
帝は怒った。
檻車が出て、盧植は乗せられ、死一等を減じられた。
皇甫嵩は、紙を置いた。
万余を斬った男が、休んでいると書かれている。
休んでいなかったことは、塁と塹と雲梯が証している。だがそれを見たのは、見に行った者だけである。見に行った者が、そう書いた。
贈らなかった者が、休んでいると書かれた。
次の報せは、短かった。
東中郎将の董卓が、盧植に代わって下曲陽へ進み、軍が敗れて罪に問われた。それだけである。
どう敗れたかは、書いていない。
そして詔が来た。皇甫嵩に、冀州へ進めという。
東郡から北へ上がった。
道が乾いている。潁川の道は、雨のあとに滑った。ここは、踏むと粉が立つ。
広宗の手前に、前の軍の陣があった。
二度使われている。盧植が築き、董卓が引き継ぎ、そして空いた。
皇甫嵩は、そこへ入った。
塁は、残っていた。土が固い。手で押しても崩れない。築いてから日が経ち、雨を二度ほど受けて、締まっている。
塹も残っていた。底に水がたまり、その上に草が生えかけている。
雲梯は、無かった。
梯子を置いた跡だけがある。四つの足の窪みが、まだ形を保っていた。運び出したのか、壊したのか、焼いたのかは分からない。
皇甫嵩は、何を残し、何を捨てるかを決めた。
塁は使う。塹は掘り直す。陣屋の配置は、変える。
天幕に入った。
中は片づいていた。物は何も残っていない。床に敷いた莚も、上げてある。
立ったまま、しばらくいた。
天幕に、まだ誰かの匂いが残っている。
――光和七年(一八四年)八月、冀州鉅鹿郡広宗。
張角の弟の張梁が、広宗を守っていた。
当たってみて、分かった。
崩れない。
こちらが押すと、押した分だけ下がる。下がるが、散らない。下がって、止まって、そこでまた同じ厚さになる。厚さが変わらないというのは、後ろから人が入っているということである。
三日、当たった。
三日とも、同じところで止まった。
精勇だ、と軍吏の一人が言った。皇甫嵩は、その言葉を使わなかった。使うと、そこで考えが止まる。
考えたのは、向こうの補い方である。
下がった分を埋める人が、どこから来るか。城の中からなら、城の中の人数には限りがある。限りがあるなら、いつか埋まらなくなる。
いつか、が問題だった。
こちらにも限りがある。
数えることにした。
朝、陣を出る前に、隊ごとに人数を取る。夕、戻ってから、もう一度取る。
二つの数の差が、その日に減った数である。
一日目。朝と夕を突き合わせた。
二日目も突き合わせた。
三日目も突き合わせた。
差は、日ごとに大きくなっていた。押し返される線が、少しずつこちらへ寄っている。寄れば、届く距離が伸びる。伸びれば、また減る。
皇甫嵩は、帳面を閉じた。
閉じてから、もう一度開いて、三日分を並べて見た。
夕に数えたら、朝より減っていた。
翌日、営を閉じた。
門を開けない。兵を出さない。太鼓も打たない。
命じたのは、それだけである。
休め、とは言わなかった。休めと言うと、兵は休むことを仕事にする。仕事にすると、それを見せようとする。
することを、決めて与えた。
朝に武具の手入れ。昼に粥。夕に水。三日前と同じ順である。
長社でも、同じ命令を出した。
だが、待っているものが違う。
長社では、来ないものを待っていた。風は、こちらが何をしても来ない。来る日は決まっていて、決まっているのに分からないというだけだった。
ここは違う。
待っているのは、向こうの側にある。こちらが何もしないことが、向こうに届く。届いて、向こうが緩む。緩んだところを見る。
だから、見ていなければならない。
皇甫嵩は、塁の上に立った。
広宗の城と、その手前の陣が見える。陣からは煙が立つ。煮炊きの煙である。
数えた。
一日目の朝、煙は四十一だった。
昼に、三十九。
夕に、四十四。
昼が少ないのは、炊く時刻が揃っていないからである。夕が多いのは、一日の終わりに火を入れる者が多いからだった。
二日目も、同じ時刻に数えた。
朝、三十八。昼、三十五。夕、四十。
三日目。
朝、三十三。
皇甫嵩は、数えた数を並べて見た。
減り方が、一日目から二日目より、二日目から三日目のほうが大きい。火を入れる者が減ったのではない。一つの火に集まる者が増えたのだとすれば、それは持ち場を離れているということである。
賊の陣から立つ煙の数が、昨日より減った。




