第3話:鼓
鼓を打たせた。
門を開ける。三つの門を同時に開けた。兵が出る。
皇甫嵩も、馬に乗って出た。
出て、すぐに分かった。
こちらから行くまでもない。向こうが、来ている。
火に追われた者たちが、北へ走ってくる。北は、城のある側である。火から逃げれば、城に向かうことになる。
走ってくる者たちの顔が、燎の明かりで見えた。
近いと、よく見える。
頭の布が取れている者がいる。取れていない者もいる。布があってもなくても、顔は同じだった。
手に何も持っていない者がいた。
多い。走りながら捨てたのだと分かった。刃を持っていては走れない。重さが先のほうに無い刃でも、持てば走りにくい。
兵は、それを斬った。
斬る、という動きは、こちらが止まっていて、向こうが走ってくると、ほとんど何もしなくてよい。刃を出しておけば、当たる。
四方から兵が出ているので、走る先が無い。
北へ行けば兵がいる。南へ戻れば火がある。東と西にも兵がいる。
皇甫嵩は、馬の上にいた。
鼓を打てと言った。門を開けろと言った。出ろと言った。
斬れ、とは言わなかった。言わなくても、斬っていた。
東から、馬の音が来た。
まとまった音である。走っている。数は多くない。
皇甫嵩は、馬を止めて、そちらを見た。
黄巾ではない。列が崩れていない。
旗が見えた。近づいてくる。近づいてから、官軍のものだと分かった。
先頭の者が、馬を寄せてきて、降りた。
若い。三十には届いていないように見えた。背は高くない。
馬が、荒い息をしている。首のあたりが濡れて、光っていた。長く走ってきた馬の息である。一日か、二日か、それ以上か。
その男は、降りると、まず頭を下げた。
「騎都尉の曹操と申します」
「騎都尉」
「はい。都の騎兵を預かる官でございます。中郎将より下です」
訊いてもいないことを言った。
皇甫嵩は、それを聞いて、自分が階級の話を訊いたように聞こえたかと思った。
「遣わされましたか」
「詔を受けて参りました」
それだけ訊いた。
どこから来たのか、誰の兵で来たのか、途中で何を見たのかは、訊かなかった。訊いている時間ではない。
原では、まだ斬っている。
曹操は、馬に手をかけたまま、原のほうを見た。見ているあいだに、手綱を持ち直した。
皇甫嵩は、東の側を指した。
「そちらから回ってください。逃げているのが、まだ東へ抜けます」
「承知しました」
曹操は乗った。乗るのが速かった。
行った。
この男は、なぜ今夜、ここにいるのか。
朱儁が来た。
夜中である。
朱儁の軍は、四月に波才に敗れて退いていた。退いた先から、こちらへ寄せてきたのだろう。
馬から降りて、皇甫嵩の前に立った。
「皇甫どの」
「朱どの」
「間に合いましたか」
「まだ終わりません」
それだけだった。
四月のことを、朱儁は言わなかった。皇甫嵩も訊かなかった。
朱儁は、原のほうへ歩いていって、焼けた縁のところで足を止めた。
戻ってきて、地面に指で引いた。
「私の兵は、ここから入ります。南の焼けたところは踏めません。まだ熱い」
「東は」
「まだ見ておりません」
「騎都尉が一隊で回っています。東から来た者です」
「では、私は西から入ります」
「南の縁は、こちらが押さえます」
三つの軍の位置が、それで決まった。
皇甫嵩は城の北から南へ押し、曹操は東から西へ回り、朱儁は西から入って、焼け跡の縁で止まる。
止まる線を決めたのは、味方どうしがぶつかるからである。暗い原で、こちらから走ってくる者と、向こうから走ってくる者を、見分ける手立てが無い。
線は、一本の畦にした。畦なら、夜でも足で分かる。
更に戦った。
夜通しである。
払暁まで続いた。続いたというより、斬るものが無くなるまで続いた。
数えはじめたのは、まだ暗いうちだった。
一つずつ数えた。吏が二人ついて、指を折る。
三百を過ぎたあたりで、追いつかなくなった。
数え方を変えた。
頭の布で数えることにした。
布は、ほとんどが外れて落ちている。走れば落ちる。斬られれば落ちる。落ちたものを集めて、束にする。一束が百である。
束は、積み上げていった。
積みながら、吏の一人が言った。布は一人に一つとは限らない、と。巻いていない者もいる。二つ持っている者もいる。
皇甫嵩は、それでよいと言った。
言ってから、束の山を見た。
布は、色が揃っていない。染め方が違う。同じ黄でも、濃いものと薄いものがあり、薄いものは元が何色だったか分かるものもあった。
途中で、数え方を変えた。
夜が明けた。
原は、黒い。
草は無い。根だけが残って、短く立っている。踏むと、砕けた。
皇甫嵩は、馬を降りて、歩いた。
南の端から、北の端まで歩くことにした。馬でなら、すぐに着く。歩いて、日が高くなった。
灰が動いていた。
風はまだ南から吹いている。灰は、乾いていて軽い。吹かれて、地の上を流れる。流れて、倒れている者のところで止まる。止まって、溜まる。
歩いていると、その溜まりが、少しずつ高くなっていくのが分かった。
一つの溜まりの前で、立ち止まった。立ち止まっているあいだにも、灰は来ていた。来て、足の甲の上に乗る。払うと、また乗る。
払うのをやめた。
やめて、しばらく立っていた。そのあいだに、灰は履の縫い目まで埋めた。
歩き出すと、足が重かった。重いのは灰ではない。灰は軽い。
倒れている者は、焼けている者と、焼けていない者があった。
焼けていない者は、北のほうに多い。火より速く走って、斬られた者である。
その一人の頭に、布が残っていた。
風が、端をめくった。
めくれて、顔が見えた。
女だった。
年は分からない。四十を過ぎているようにも、そうでないようにも見えた。手を見た。指の節が太い。爪が短い。土を扱う者の手である。
風が落ちて、布が顔に戻った。
皇甫嵩は、そのまま歩いた。
北の端まで来て、振り返った。
黒い原が、南の端まで見えた。ところどころ、まだ煙が細く立っている。
根が残っている。根の並び方を見た。
並んでいる。
ばらばらではない。筋がある。畝の筋である。
この原に、去年は何が植わっていたのか。
文が届いたのは、それから数日後である。
都から来た。
都郷侯に封ずる、とあった。郷を一つ、食邑にもらう。そこから上がる租が、この家のものになる。
印綬が一緒に来た。
箱に入っている。箱は、思ったより小さい。両手で持てる。開けると、印と、印を吊るすための組紐が入っていた。
皇甫嵩は、印を出して、手の上に置いた。
重さがある。
四十八年目の年に、もらうものをもらったのは、これがはじめてである。
節は、預かったものだった。あれは戦が終われば返す。中郎将も、軍が解ければ解ける。
これは違う。
郷は、土地である。土地は返さない。
箱を閉じた。
閉じてから、蓋の上に手を置いたまま、しばらくそうしていた。
外に出た。
城の北の壁に上がると、原が見えた。
黒いままである。数日経っても、新しい草は出ていない。根も、あのままだった。
箱が届いた日、焼けた原に、まだ煙が立っていた。
第六章 長社の火 ――完。




