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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第六章 長社(ちょうしゃ)の火

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第1話:囲み

 ――光和七年(一八四年)四月、豫州潁川郡長社(よしゅうえいせんぐんちょうしゃ)。


 囲みは、一日では閉じなかった。

 皇甫嵩(こうほすう)は、城壁を回って見ていた。北から南へ、南から西へ、一日に二度ずつ回る。

 波才(はさい)の軍は、東から来た。

 東に本営を置き、そこから左右へ伸ばしていく。伸ばすというより、置いていく。人を並べて、間を詰めて、また並べる。並べる速さが一定でないので、伸びるところと止まるところができる。

 二日目に、南が閉じた。

 三日目に、北が閉じた。北のほうが遅かったのは、地形が悪いからである。谷が一つ入っていて、そこを埋めるのに手間取っていた。

 残ったのは、西である。

 西には道が一本あった。遠くへ抜ける道ではない。隣の県へ行くだけの道である。荷が入ってくるなら、そこからだった。

 四日目の朝、その道に人が並んだ。

 皇甫嵩は、西の壁の上から見ていた。

 並んだ者たちは、道の上に立つのではなく、道を挟んで両側に立った。道そのものは空いている。だが、通れない。

 昼を過ぎて、両側が寄った。

 道が見えなくなった。


 西の端が閉じた。それきり、道が一本も見えない。




 賊は、草に依って営を結んでいた。

 なぜこの土地の草が乾いているのかを、皇甫嵩はまだ知らなかった。

 一日目に、兵に訊いた。この土地の出の者がいたので、呼んで訊いた。


「去年の刈り入れのあと、放ってあるのです」

「放つと、こうなりますか」

「なります。去年の分が枯れて立ったまま、その下から新しいのが出ます」

「下は、湿っていますか」

「下は湿っております。立っているのは、去年の分でございます」


 去年の草が、そのまま立っている。

 毎朝、同じ時刻に風向きを測ることにした。

 測るのは簡単である。城壁の上で、細く裂いた布を竿の先に結んで、掲げる。どちらへ流れるかを見て、帳面に書く。強さは、布の張り方で三段に分ける。

 一日目、南から。弱い。

 二日目、南から。弱い。

 三日目、西から。中。

 四日目、無し。

 五日目、南から。弱い。

 書きながら、この土地の風のことを考えた。北地では、風は冬に西から来る。夏はほとんど吹かない。ここは違うらしい。

 帳面に六日分たまったところで、壁を下りて原のほうへ行った。

 城の外へは出られない。出られないので、壁のすぐ下、堀の内側に生えている分を取った。同じ草である。

 手のひらで握った。


 音を立てて、折れた。




 囲みの外から、声がかかるようになった。

 昼の、決まった時刻である。

 十人ほどが城の前まで来て、順に呼ばわる。文句は同じだった。


「降れ。降れば、助ける」


 それだけである。

 言い終わると下がり、しばらくして別の十人が来る。同じ文句を言う。交代しているのだと分かった。

 三日目に、皇甫嵩は壁の上へ上がって、それを見た。

 呼ばわっている者たちは、若くない。

 中年の男が多い。頭に黄色い布を巻いている。巻き方が揃っていない。結び目が前にある者と、後ろにある者と、横にある者がいる。

 手に持っているものを見た。

 刃である。

 だが、造りが違う。根元が厚くて、先が薄い。柄が新しい。

 壁の上の兵が、同じほうを見ていた。見ながら、言った。


「あれは、うちのと同じです」


 皇甫嵩は、そちらを見た。

 言った兵は、自分の持っているものを、持ち上げて見せた。

 根元が厚くて、先が薄い。柄が新しい。同じ鋤から、同じやり方で打ち直してある。


「持ってみますか」


 借りた。

 重さが、先のほうに無い。振ると、手のほうが残る。都で一度、同じものを持ったことがある。

 返した。

 兵は、それを受け取って、また外のほうを見た。

 皇甫嵩は、何も言わなかった。

 言うことが無かったわけではない。言えば、それは命令になる。この壁の上で、答えるなとも、答えよとも、まだ誰も言っていない。

 壁を下りた。

 次の日も、同じ時刻に声が聞こえた。


 降れ。降れば、助ける。




 ――光和七年(一八四年)五月、長社。


 軍吏を集めた。

 十二人である。城の中の、隊を預かっている者を全部呼んだ。

 皇甫嵩は、立ったまま言った。


「兵には奇変があり、多寡ではない」


 誰も何も言わない。


「いま賊は、草に依って営を結んでいる。風と火を為すに、これほど易い陣はない。もし夜に乗じて焼けば、必ず大いに驚き乱れる。私が兵を出して撃ち、四面が倶に合すれば、田単(でんたん)の功を成すことができる」


 言い終わった。

 十二人のうち、何人かが頷いた。何人かは、頷かなかった。

 いちばん端に座っていた若い軍吏が、手を挙げた。


「お訊ねしてよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「田単とは、どなたでしょうか」


 皇甫嵩は、その男を見た。

 答えようとして、言葉を選んだ。

 斉(せい)の将である。昔、燕(えん)に攻められて、城を二つ残して全部取られた。その一つに籠って、最後に火を使って勝った。それだけ言えばよい。

 だが、それを言うと、この場は説明の場になる。


「昔の将です」

「火を使われたのですか」

「使いました」


 若い軍吏は、頷いて、手を下ろした。

 皇甫嵩は、そのあと十二人の顔を順に見た。

 頷いた者の中にも、知らない顔が混じっている。知らないまま頷いた者と、知っていて頷いた者を、顔で見分けることはできない。


 田単を知っている者が、この場に何人いるのか。




 次の日、軍吏が三人来た。

 来た順に、言った。


「火が、城へ戻りましたら」

「戻りますか」

「風が変われば、戻ります。城は、原の中にございます」


 二人目が言った。


「囲みの外へ出した者は、火のあと、どこへ帰りますか。門を開ければ、敵が入ります。開けなければ、出た者が帰れません」


 三人目が言った。


「賊が火を見て、散らずに、まとまってこちらへ来ましたら。あれは兵ではございません。兵なら散りますが、百姓は固まります」


 皇甫嵩は、三人とも最後まで聞いた。

 三人とも、正しかった。

 風は変わる。門の話も、そのとおりである。三人目の言い分は、この男が自分でも考えていたことだった。火に追われた者がまとまって来た場合、城の壁は保つかどうか。

 答えを返さなかった。

 三人は、しばらく待った。待って、待っているあいだに、待ってもしかたがないと気づいた顔になった。

 皇甫嵩は、一つだけ言った。


「風を、見に来ないでください」


 三人が、顔を上げた。


「毎朝、壁の上で測っております。見に来ると、風の話になります。風の話になると、風を待っていることになる」

「待っておられるのでは」

「待っています」


 それきり、何も言わなかった。

 軍吏は下がった。

 その日の夕方、反対の数を数えてみた。十二人のうち、七人だった。


 三人とも、下がるとき、壁の上を見なかった。


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