第3話:草の原
名簿から、名が消されることになった。
十六年ぶりである。
皇甫嵩は、その作業に立ち会った。都でやる分の、ひとつの束だけである。全部を見ることはできない。束は何十とあった。
消すのは、塗るのではない。別の紙に書き直して、古いほうを箱ごと替える。
北地郡でやったのと、同じ手続きだった。
書き直す者が、新しい紙に、残る名だけを書いていく。残る名というのは、赦されなかった者――張角と、その方に連なる者たちの名である。
消される名簿を、一度だけ見た。
十八年前の字だった。
二百余人の名が、大きさを揃えて書いてある。急いで書いた字ではない。誰かが、名を集め、順を決め、二日か三日かけて書いた。
そのときの紙が、まだそのまま残っていた。
八年前に自分が書き足した分も、どこかの束にあるはずである。誰が誰の門生で、誰の故吏かを、二十日かけて調べた。書式に書いていないところは、自分で線を引いた。
その線も、消される。
古い紙は、焼く。
束ごと火に入れる。紙は、竹簡より早く燃えた。名が黒くなって、縮んで、崩れた。
灰が残った。
棒で寄せて、まとめた。
灰は、思ったより軽かった。
四万余の中身を見に行った。
五校の兵。これは都に置いてある常の軍である。装備は揃っている。
三河の騎士。河南・河内・河東から出した騎兵で、馬がある。
そして、募った者。
募った者が、いちばん多かった。
並ばせて、端から見ていった。
鎧のある者を数えた。五校と三河はある。募った者は、十人に一人もいない。
馬を数えた。三河の分と、公卿が出した分。四万余に対して、足りない。
武器を見た。
募った者の多くが、刃を持っている。持っているが、それは農具を打ち直したものだった。鋤の先を伸ばして、柄をすげ替えてある。
打ち直したものは、根元が厚くて先が薄い。土を掘るためにそうなっている。
皇甫嵩は、一本だけ手に取らせてもらった。
重さが、先のほうに無い。振ったときに、手のほうが残る。
北地郡でも、鋤を打ち直して使っていた。鉄が入らない年が続くと、そうなる。打ち直すたびに薄くなり、薄くなると土の固いところで曲がる。
返した。
門の外に、人が立っていた。
募った者の家の者である。見送りに来て、出発を待っている。門の内には入れないので、外にいる。数は多かった。
鎧が足りない。馬も足りない。
――光和七年(一八四年)四月、潁川。
潁川へ入った。
土の色が違った。
西の土は、乾いていて白っぽい。ここの土は、黒くて、湿っている。踏むと、足の裏に残る。
水が多い。
川が何本もある。川でないところにも水がある。田に引いた水が、田と田のあいだを流れて、道の脇まで来ている。
道が、水を避けて曲がっていた。
真っ直ぐに行けるところを、真っ直ぐに行かない。水のあるところを迂回する。迂回する分だけ、日数が延びる。
皇甫嵩は、行軍の日数を計算し直した。
三日多く付けておいた糧が、ちょうど消える。
田と田のあいだに、人が住んでいた。
西では、人は城の中に住む。城の外は畑と原で、家は無い。ここでは、田のあいだに家がある。家があって、そのまわりに田があって、また家がある。
城の壁の外に、人がこれだけいる土地を、皇甫嵩は見たことがなかった。
守るというのは、ここでは何をすることになるのか。
城に入れるのか。入れば城が保たない。入れなければ、田のあいだに残る。
考えながら、進んだ。
道の両側に、草が生えている。
丈が、高い。
朱儁が敗れた。
波才と戦って、退いてきた。
皇甫嵩は、収容の場所を決めた。
退いてくる軍は、来る順が乱れている。速い者が先に来て、遅い者があとから来る。あいだが空く。空いたところへ、追ってくる側が入れる。
だから、受ける側は、線を一本引いて、そこから後ろへ入れる。線の前には出さない。
三日かかって、収容した。
荷を数えた。
行きより減っている。
武器が減り、糧が減り、車が減っていた。減り方が、人の減り方と合わない。人のほうが、まだ残っている。
置いてきたのだと分かった。
置いてこなければ、人も減る。
朱儁が来た。
馬を降りて、歩いてきた。顔に泥がついている。拭いていない。
「収容、かたじけない」
「線の後ろへ入れました」
「よい線だった」
それだけだった。
皇甫嵩は、待った。
どこで、どう当たって、どう崩れたのかを、聞くつもりで待っていた。それが分からなければ、次に同じ相手と当たるときに困る。
朱儁は、荷のほうを見ていた。
「明日、数え直します」
「そうしてください」
そう言って、朱儁は行った。
朱儁は、負けた理由を言わなかった。
長社に退いて、保った。
波才が大衆を率いて、城を囲んだ。
東から来た軍が、城の周りに人を置きはじめた。置き終わるまでに何日かかるかは、まだ分からない。
皇甫嵩は、城の中を数えた。
水。井戸が三つある。一日に汲める量を出して、人数で割った。
粟。蔵にある分を出して、一日に食う量で割った。
矢。束で数えて、一人あたりに直した。
三つとも、足りない。
足りないというのは、いつまで足りないかが出るということである。水が何日、粟が何日、矢が何度分。三つとも数が出た。いちばん短いのが矢だった。
軍中は、恐れていた。
恐れているというのは、声が減ることで分かる。
人が動いているのに、音がしない。命じれば動く。動くが、動いたあとに誰も何も言わない。
夜、城の上に登った。
外に、囲みの火が見える。火の数を数えようとして、やめた。数えれば、数が出る。数が出れば、それを誰かに訊かれる。
火の向こうは、暗い。
暗いところに、原が広がっている。昼に見た。
草が、丈が高く、乾いていた。潁川の土は湿っているのに、この原の草だけが乾いている。
城の壁に手を置いた。
城の外に、乾いた草の原が広がっている。
第五章 黄色い布 ――完。




