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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第五章 黄色い布

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第2話:出せ

 右中郎将の朱儁(しゅしゅん)は、会稽上虞の生まれである。

 父を早くに亡くした。母が絹を売って、家を保った。

 若いころ、同じ郡の周規(しゅうき)という男が公府に召された。出立するのに、冠と頭巾を買う費用が要る。郡の庫から百万銭を借りた。

 そのあとで、急に返せと言われた。周規の家は貧しく、返せない。

 朱儁は、母の絹を持ち出して、その穴を埋めた。

 母に責められた。売り物である。家の元手である。

 そのとき、こう答えた。


「小さい損は、大きい益を招きます。初めは貧しく、後に富むのが、必ずそうなる理です」


 いま、四万余を割る話をしている。

 左中郎将は、西から来た男だった。北地の太守をしていたという。郡の名は聞いたことがあるが、行ったことは無い。

 四万余を、どう二つに割るか。

 朱儁は、先に決めた。

 東へ向かう分と、南へ向かう分を、自分の読みで切った。潁川と汝南のどちらが先に崩れるかを見て、多いほうを先に当てる。


「それでよろしいか」

「先に、数えます」


 西の男は、そう言った。

 数えた。

 鎧のある者が何人。馬が何頭。弩が何張。糧が何日分。それを二つに割ったとき、どちらが何を欠くか。

 割り終えるまでに、半日かかった。

 出た割り方は、朱儁が先に切ったものと、ほとんど同じだった。

 ほとんど同じだが、糧の日数だけが違っていた。西の男の割り方は、南へ行く側に三日多く付いていた。理由を訊いた。道が遠い、と答えた。

 朱儁は、その男の手元を見た。

 紙に、数が縦に並んでいる。消した跡が無い。はじめから、その順に書いている。

 母の絹を持ち出したとき、自分は数えなかった。

 いくらの穴が空いていて、絹がいくらになるかを、確かめずに持ち出した。足りるかどうかは、持っていってから分かった。


 朱儁は、母の繒帛を持ち出した。この男は、何を持ち出すのだろう。




 上奏した。

 書いたのは、三つである。

 一つ。党禁を解いていただきたい。

 一つ。中蔵の銭を出していただきたい。

 一つ。西園の厩馬を出して、軍士に配っていただきたい。

 中蔵は、帝が自分のものとして持っている蔵である。国の蔵とは別にある。西園は帝の園で、そこの馬屋に馬がいる。

 どちらも、出せと言われて出すものではない。

 皇甫嵩は、書いた紙を自分で持って出た。

 吏に渡して上げさせるのが決まりである。決まりだが、上げる途中で止まることがある。止まったときに、止めた者が誰かは分からない。

 だから、自分で持って出た。

 読み上げられた。

 党禁は、十六年になる。党人の名簿は、この男が何度も写した。二百余人を二日かけて写した。字の大きさが揃っていた。八年前には、五族まで調べて名を書き足した。

 中蔵の銭は、帝が自分のものとしている銭である。

 六年前、官が銭で売りに出された。納めた銭は西の園に入るという書付が、北地郡にも回ってきた。公は千万銭。郡が一年に都へ納める額と並べて、机に置いた。割れた。

 西園の厩馬は、その園の馬である。

 十四年、銭の来ない郡を治めた。粟を請う書を、二年で五度出して、一通も返事が無かった。来ないので、郡の備えの棚を一段まるごと空けた。

 読み上げが終わった。

 帝は、何も言わなかった。

 居並ぶ者たちも、何も言わなかった。

 皇甫嵩は、そのまま立っていた。可否が出るまで、立っている決まりである。可否は出なかった。

 下がれ、とだけ言われた。


 誰も、何も言わなかった。帝も、居並ぶ者たちも。




 呂強(りょきょう)は、順番を待っていた。

 中常侍である。帝の身の回りにいて、詔を取り次ぐ。順番というのは、帝の前に出る順のことで、これは位ではなく、その日の用の重さで決まる。決めるのは、別の者である。

 この男は、以前、都郷侯に封ぜられようとしたことがある。

 固く辞して、受けなかった。

 受けなかった理由を、誰にも言っていない。訊かれたこともない。中常侍が封を辞したという話は、そのあと、どこにも出なかった。出ないほうが都合のいい者が、何人かいる。

 順番が来た。

 入って、膝をつく。

 言うことは決めてある。決めてあるが、順を間違えると通らない。


「党錮は、長く積もっております」


 帝は、何も言わない。


「人の情は、怨み憤っております。十六年でございます。父が禁ぜられ、子も禁ぜられ、いまは五族に及んでおります。その者たちは、官に就けません。就けないまま、年を取ります」


 そこで一度切った。


「もし赦して宥めなければ、軽々しく張角と語らって、謀をなすでしょう。そうなってから悔いても、救えません」


 言い終えた。

 顔は上げない。上げないが、帝の手が見える位置に、膝をついている。

 帝の手が、膝の上で動いた。

 指が、いちど開いて、閉じた。

 呂強は、それを見た。

 自分の言ったことを、頭の中でもう一度なぞった。

 党錮は積もっている。人は怨んでいる。赦さなければ、張角と結ぶ。悔いても救えない。

 赦してください、とは言っていない。

 言えば、党人の側に立ったことになる。立てば、この男の立場では、そこで終わる。

 言ったのは、赦さなかったときに何が起きるか、ということだけである。


 赦せとは、一度も言っていない。




 三月壬子(じんし)。

 天下の党人が赦された。

 辺境へ移された者も、還される。

 ただし、張角だけは赦さない、とある。

 皇甫嵩は、詔の写しを受け取った。

 受け取って、机に置いて、上から順に読んだ。

 赦す、とある。

 誰を、とは書いていない。

 党人を赦す、と書いてある。どの党人を、とは書いていない。

 皇甫嵩は、数えようとした。

 二百余人が最初である。そのあと、百余人が死に、六、七百人が移されるか禁ぜられるかした。八年前に、五族まで広げて書き足した。北地郡だけで、名が二つ増えた。

 いま赦されるのは、そのうちの誰なのか。

 生きている者だけか。死んだ者の名も消えるのか。移された妻子は、還るのか。還るのは、どの戸へか。十六年前に家が無くなっている者は、どこへ還るのか。

 詔は、そこを書かない。

 書かないまま、赦す、とだけ書いてある。赦す者の名は、一つも挙がっていない。

 書かないのは、書けないからだとも考えられる。


 名を全部書けば、それは名簿になる。名簿を作れば、それが残る。


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