第2話:出せ
右中郎将の朱儁は、会稽上虞の生まれである。
父を早くに亡くした。母が絹を売って、家を保った。
若いころ、同じ郡の周規という男が公府に召された。出立するのに、冠と頭巾を買う費用が要る。郡の庫から百万銭を借りた。
そのあとで、急に返せと言われた。周規の家は貧しく、返せない。
朱儁は、母の絹を持ち出して、その穴を埋めた。
母に責められた。売り物である。家の元手である。
そのとき、こう答えた。
「小さい損は、大きい益を招きます。初めは貧しく、後に富むのが、必ずそうなる理です」
いま、四万余を割る話をしている。
左中郎将は、西から来た男だった。北地の太守をしていたという。郡の名は聞いたことがあるが、行ったことは無い。
四万余を、どう二つに割るか。
朱儁は、先に決めた。
東へ向かう分と、南へ向かう分を、自分の読みで切った。潁川と汝南のどちらが先に崩れるかを見て、多いほうを先に当てる。
「それでよろしいか」
「先に、数えます」
西の男は、そう言った。
数えた。
鎧のある者が何人。馬が何頭。弩が何張。糧が何日分。それを二つに割ったとき、どちらが何を欠くか。
割り終えるまでに、半日かかった。
出た割り方は、朱儁が先に切ったものと、ほとんど同じだった。
ほとんど同じだが、糧の日数だけが違っていた。西の男の割り方は、南へ行く側に三日多く付いていた。理由を訊いた。道が遠い、と答えた。
朱儁は、その男の手元を見た。
紙に、数が縦に並んでいる。消した跡が無い。はじめから、その順に書いている。
母の絹を持ち出したとき、自分は数えなかった。
いくらの穴が空いていて、絹がいくらになるかを、確かめずに持ち出した。足りるかどうかは、持っていってから分かった。
朱儁は、母の繒帛を持ち出した。この男は、何を持ち出すのだろう。
上奏した。
書いたのは、三つである。
一つ。党禁を解いていただきたい。
一つ。中蔵の銭を出していただきたい。
一つ。西園の厩馬を出して、軍士に配っていただきたい。
中蔵は、帝が自分のものとして持っている蔵である。国の蔵とは別にある。西園は帝の園で、そこの馬屋に馬がいる。
どちらも、出せと言われて出すものではない。
皇甫嵩は、書いた紙を自分で持って出た。
吏に渡して上げさせるのが決まりである。決まりだが、上げる途中で止まることがある。止まったときに、止めた者が誰かは分からない。
だから、自分で持って出た。
読み上げられた。
党禁は、十六年になる。党人の名簿は、この男が何度も写した。二百余人を二日かけて写した。字の大きさが揃っていた。八年前には、五族まで調べて名を書き足した。
中蔵の銭は、帝が自分のものとしている銭である。
六年前、官が銭で売りに出された。納めた銭は西の園に入るという書付が、北地郡にも回ってきた。公は千万銭。郡が一年に都へ納める額と並べて、机に置いた。割れた。
西園の厩馬は、その園の馬である。
十四年、銭の来ない郡を治めた。粟を請う書を、二年で五度出して、一通も返事が無かった。来ないので、郡の備えの棚を一段まるごと空けた。
読み上げが終わった。
帝は、何も言わなかった。
居並ぶ者たちも、何も言わなかった。
皇甫嵩は、そのまま立っていた。可否が出るまで、立っている決まりである。可否は出なかった。
下がれ、とだけ言われた。
誰も、何も言わなかった。帝も、居並ぶ者たちも。
呂強は、順番を待っていた。
中常侍である。帝の身の回りにいて、詔を取り次ぐ。順番というのは、帝の前に出る順のことで、これは位ではなく、その日の用の重さで決まる。決めるのは、別の者である。
この男は、以前、都郷侯に封ぜられようとしたことがある。
固く辞して、受けなかった。
受けなかった理由を、誰にも言っていない。訊かれたこともない。中常侍が封を辞したという話は、そのあと、どこにも出なかった。出ないほうが都合のいい者が、何人かいる。
順番が来た。
入って、膝をつく。
言うことは決めてある。決めてあるが、順を間違えると通らない。
「党錮は、長く積もっております」
帝は、何も言わない。
「人の情は、怨み憤っております。十六年でございます。父が禁ぜられ、子も禁ぜられ、いまは五族に及んでおります。その者たちは、官に就けません。就けないまま、年を取ります」
そこで一度切った。
「もし赦して宥めなければ、軽々しく張角と語らって、謀をなすでしょう。そうなってから悔いても、救えません」
言い終えた。
顔は上げない。上げないが、帝の手が見える位置に、膝をついている。
帝の手が、膝の上で動いた。
指が、いちど開いて、閉じた。
呂強は、それを見た。
自分の言ったことを、頭の中でもう一度なぞった。
党錮は積もっている。人は怨んでいる。赦さなければ、張角と結ぶ。悔いても救えない。
赦してください、とは言っていない。
言えば、党人の側に立ったことになる。立てば、この男の立場では、そこで終わる。
言ったのは、赦さなかったときに何が起きるか、ということだけである。
赦せとは、一度も言っていない。
三月壬子。
天下の党人が赦された。
辺境へ移された者も、還される。
ただし、張角だけは赦さない、とある。
皇甫嵩は、詔の写しを受け取った。
受け取って、机に置いて、上から順に読んだ。
赦す、とある。
誰を、とは書いていない。
党人を赦す、と書いてある。どの党人を、とは書いていない。
皇甫嵩は、数えようとした。
二百余人が最初である。そのあと、百余人が死に、六、七百人が移されるか禁ぜられるかした。八年前に、五族まで広げて書き足した。北地郡だけで、名が二つ増えた。
いま赦されるのは、そのうちの誰なのか。
生きている者だけか。死んだ者の名も消えるのか。移された妻子は、還るのか。還るのは、どの戸へか。十六年前に家が無くなっている者は、どこへ還るのか。
詔は、そこを書かない。
書かないまま、赦す、とだけ書いてある。赦す者の名は、一つも挙がっていない。
書かないのは、書けないからだとも考えられる。
名を全部書けば、それは名簿になる。名簿を作れば、それが残る。




