第4話:東
――光和二年(一七九年)、北地郡。
段熲が太尉になった、という報せが来た。
三公の首である。武の官に就いた者が、行き着ける、いちばん上だった。
皇甫嵩は、二十年前のことを覚えている。
段熲が護羌校尉になったとき、根から絶つという方針が郡に届いた。同じ話が出るたびに、役所では話が途中で終わった。
十一年前には、上書の写しが来た。東羌を根から絶つ。そしてかかる費用が、銭の数で書いてあった。郡の蔵の帳面には、その桁を書く欄が無かった。
その男が、太尉になった。
そして、その年のうちに、獄に下された。
在位はひと月あまりだったという。日食があって自ら弾劾し、有司が奏上し、詔で印綬を収められて、廷尉へ送られた。
獄で、毒を仰いだ。
報せは、それだけだった。なぜ獄に下されたのかは、書いていない。日食で免ぜられた者が、そのまま獄へ行く道筋は、書いていない。
皇甫嵩は、その紙を綴じた。
綴じてから、郡の羌に伝えるかどうかを考えた。
北地郡の内には羌が住んでいる。乞の一族もいる。段熲の名は、向こうも知っている。根から絶つと言った男である。
伝えれば、何かが変わるだろうか。
変わらない。死んだ者が死んだというだけである。
伝えなければ、どうか。
いずれ商人が持ってくる。持ってきたときに、郡が黙っていたことになる。
三日考えた。
郡の羌に伝えるかどうかを決めかねて、伝えなかった。
――光和四年(一八一年)、北地郡。
張奐が死んだ。
七十八だった。
禁錮のまま郷里にいたという。官に就けないまま、尚書を教えていた。門徒は千余人になっていた。
皇甫嵩は、その数のところで止まった。
叔父は、詩と易を三百余人に、十四年教えた。
張奐は、尚書を千余人に教えた。
二人とも、涼州の人である。二人とも、官を離れているあいだに教えている。叔父は、自分の官をこの男に譲った。あの男のほうが向いている、と言った。
何に向いていたのかを、皇甫嵩はまだ考えることがある。
同じ年に、鮮卑の檀石槐も死んだ。
四年前、三道から一万騎ずつ出て、十のうち一しか帰らなかった相手である。北地郡からも出した。戻ったのは二人だった。
その男が、病で死んだ。
弔いのことを、書式で調べた。
禁錮の者に、郡から弔いを出してよいものかどうか。書式には無かった。禁錮は官に就くことを禁じるもので、弔いを禁じるとは書いていない。書いていないが、許すとも書いていない。
属官に訊いた。属官は、前例が無いと答えた。
出さなかった。
その晩、巻を出した。
叔父の塾の竹簡は、三巻だけ手元にある。
――光和五年(一八二年)、北地郡。
麻は、太守の三歩ほど後ろに立つようにしていた。
近いと、相手が麻に向かって話す。遠いと、太守が聞き返す。三歩がちょうどいい。
羌との交渉で、麻は訳す役をしている。
この役に就いて、もう九年になる。はじめは県の下働きだった。羌の言葉が分かるというだけで呼ばれ、そのまま居ついた。
太守は、羌の言葉を覚えようとしない。
十二年いて、覚えたのは挨拶と、数だけである。数はよく覚えた。一から万まで、羌の数え方で言える。それ以外は覚えない。
麻は、そのほうがいいと思っている。
覚えられると、訳すときに変えられなくなる。
今日も、少し変えた。
羌の側が、前の約束が果たされていないと言った。言い方は、もっと強かった。二度目だ、と言った。二度目という言い方は、こちらでは相手を責める言葉になる。
麻は、こう訳した。
――前のことが、まだ済んでおりません。
太守は、頷いて、済んでいない分を数え上げはじめた。石数と、日付と、どの棚から出す分かまで言った。羌の側が、少し黙った。
次は、こちら側だった。
太守が、この冬は蔵の備えを削れないと言った。言い方は、もっと固かった。削れない、と言い切った。
麻は、こう訳した。
――この冬は、蔵の備えから出すことができません。ほかの棚から出す方法を探しております。
羌の側が、それなら、と言って話を続けた。
交渉は、日が傾くころに終わった。
帰り道で、太守が訊いた。
「今日は、長くかかりましたね」
「そうですね」
「向こうは、何と言っていましたか。はじめのところです」
「前のことが、まだ済んでいない、と」
「それだけですか」
「それだけです」
麻は、変えたことを言わなかった。
――光和六年(一八三年)、北地郡。
噂は、商人と一緒に来た。
東のほうに、病を治す者がいるという。
符を焼いて水に溶かし、それを飲ませる。飲む前に、自分のこれまでの過ちを言わせる。言えば治る。言わなければ治らない。治らなかった者は、信じ方が足りなかったのだという。
太平道というらしい。
はじめは冀州のあたりの話だった。そのうち、青州でも、徐州でも、同じ話が出るようになった。年ごとに、噂の出てくる州が増えていった。
黄色い布を頭に巻いている者がいる、という話も来た。
皇甫嵩は、それを郡の書付に書かなかった。
書く欄が無い。病を治す者がいるというのは、郡が都へ報せる種類の事柄ではない。賊が出たのなら書く。人が減ったのなら書く。
人が減った。
その年、郡の若い者が二人、いなくなった。
家の者は、東へ行ったと言った。どこへとは言わない。言わないのではなく、聞いていないのだった。
戸籍の巻を出して、名を確かめた。
二人とも、十三年前に自分で数えた戸の中にいる。あのとき、父親の横に立っていた子である。姓名を確かめ、家の者の数を数え、田を見た。
いま、名の下に印を付けた。
消しはしない。死んだわけではない。戻ってくるかもしれない。
印を付けて、巻を閉じた。
城の門のほうを、しばらく見ていた。
富平の門は東に開いている。郡へ入る者は、そこから入ってくる。
東から来る者が、増えている。
第四章 北地 ――完。




