↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第三章 辟(へき)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/30

第3話:大将軍

 ――建寧元年(一六八年)、涼州安定郡。


 大将軍から辟が来た。

 竇武である。帝が十二で立って、外戚として実権を握っている人だった。三年前の太尉とは、位が違う。太尉は三公の一つだが、大将軍は三公の上に置かれる。

 使者は、箱を持ってきた。

 役所の土間に置いて、蓋に手をかけた。中に何が入っているかを見せてから、話をはじめるつもりだったらしい。


「大将軍のお召しにて――」

「承れません」


 使者の手が止まった。

 蓋は、まだ開いていない。

 皇甫嵩は、箱のほうへ一度だけ目をやって、それから使者を見た。


「ご用件は、承知しております」

「まだ、申し上げておりませんが」

「承知しております」


 三年前は、返書を書くのに夜半までかかった。

 こんどは、書かなかった。書く前に言った。

 使者は、しばらく立っていた。それから箱を持ち上げ、礼をして出ていった。

 閔が、土間の隅からそれを見ていた。何も言わなかった。今度は、理由を書く欄のことも言わなかった。


 箱は、開けられないまま帰っていった。中に何が入っていたかを、誰も知らない。




 段熲(だんけい)の上書の写しが、郡に届いた。

 東羌を討つという。降らせるのではなく、根から絶つ。九年前に護羌校尉になったときから言っていることが、こんどは上書の形になっていた。

 張奐は、これに反対していた。

 張奐の言い分も、同じ写しの中にある。降る者は降らせ、住まわせればよい。殺しきれるものではない。

 皇甫嵩は、両方を読んだ。

 そのあとで、段熲の側にだけ付いているものを見た。

 数字である。

 かかる費用が、銭の数で書いてあった。兵を何年動かし、糧をいくら運び、いくらかかるか。桁が並んでいた。

 皇甫嵩は、郡の蔵の帳面を出してきた。

 蔵の帳面は、石と匹と斤で書く。銭で書く欄は、一年の総額を入れる最後の行にしかない。その行の桁は、段熲の上書の桁より、二つ小さかった。

 欄が無いのだった。

 書き写そうとすると、桁が枠からはみ出す。

 結局、写しを綴じるだけにした。綴じるとき、段熲の名の下に数字が並んでいるのが、上から見えた。


 段熲の名の下に、数字が並んでいた。




 ――建寧元年(一六八年)九月、洛陽(らくよう)。


 張奐は、まだ旅装のままだった。

 羌の陣から召還されて、洛陽に着いたのが前の日である。馬を降りて、宿所に入り、埃を落とすひまもなく、迎えが来た。

 都のことは、何も分かっていない。

 道中で聞いたのは、帝が代わったということと、大将軍が竇武だということだけだった。誰と誰が組み、誰と誰が構えているのかを、張奐は知らない。知らないまま城へ入った。

 その夜、宮城のほうで音がした。

 人が走っている音である。

 張奐は宿所の外へ出た。出たが、どちらへ行けばよいのかが分からない。この都の門の配置を、この男はよく知らなかった。

 朝になって、聞いた。

 太傅(たいふ)の陳蕃が、官属と諸生を率いて、承明門(しょうめいもん)へ入ったという。八十余人だったと。

 刃を抜いていた、と聞いた。

 七十を過ぎている人である。

 その日のうちに、害された。

 張奐は、それを聞いても、何も言わなかった。言うだけの材料が、この男には無い。誰が正しくて誰が誤っているのかを、着いて二日の者が言えるはずがなかった。

 昼を過ぎて、文書が届いた。

 中常侍(ちゅうじょうじ)の曹節(そうせつ)の名で来ている。

 張奐は、それを受け取って、開いた。


 字が新しかった。墨が、まだ乾ききっていない。




 詔だった。

 竇武が反した。討て、と書いてある。

 張奐は、二度読んだ。

 この男は、詔を疑うということを、これまで一度もしたことがなかった。詔は帝から出る。帝から出たものを疑えば、それは臣ではない。

 そして、この男は臣である。

 北軍(ほくぐん)へ向かった。

 竇武は、そこへ走っていた。兵を集めている。数はまだ揃っていない。

 張奐は、兵を出した。王甫(おうほ)という中常侍が、別の側から出た。

 戦らしい戦にはならなかった。

 向かい合ったところで、王甫の側が呼ばわった。竇武は反した、宮城へ戻る者は赦す、と。

 兵が減りはじめた。

 最初は後ろから、そのうち横から抜けていった。竇武のまわりが、みるみる薄くなった。

 張奐は、それを見ていた。

 見ながら、一度だけ、これは何かが違う、と思った。

 反した者の兵は、こういう減り方をしない。反した者の兵は、はじめから少ないか、最後まで残るかのどちらかである。こういう抜け方をするのは、自分が何に立っているのかを知らない兵だった。

 竇武は、囲まれた。

 自ら首を刎ねた。

 そのあと、誰も何も説明しに来なかった。曹節も来ない。王甫も来ない。詔の文書は、張奐の手元に残ったままだった。


 張奐は、誰にも何も聞かなかった。




 功として、侯に封ずるという。

 張奐は、辞退の書を出した。

 受理されなかった。

 二度目を出した。今度は、先の書が届いていない場合を考えて、同じ文面を写して添えた。

 これも戻ってきた。

 三度目を出した。

 三度目で、ようやく通った。

 書きながら、張奐は十三年前のことを思い出していた。

 安定属国都尉であったころ、羌の族長たちが馬二十匹を牽いてきた。先零の酋長が、金の鐻を八枚持ってきた。受け取って、その場で酒を地に注ぎ、そのまま返させた。

 あのときは、一度で済んだ。

 受け取ってから返すほうが、はじめから受け取らないより、話が早いのだった。物は目の前にあり、返す手もそこにある。

 こんどは、物が無い。

 封というのは紙の上のことで、返すべき物が手元に来ない。来ないものを返すには、書くしかない。書けば、相手は受け取らない。受け取らないので、また書く。


 辞退の書を、三度出した。羌に金を返したときは、一度で済んだ。




 ――建寧元年(一六八年)、涼州安定郡。


 禁錮の名簿が、涼州の郡にも回ってきた。

 二年前の二百余人に、こんどは新しい名が加わっている。陳蕃の官属だった者、太学から出て官に就いていた者、竇武に連なる者。

 郡の役所では、突き合わせの作業がはじまった。

 載った名が、この郡から出た者の中にいないかを見る。いれば、郡の名簿から消す。孝廉の記録、茂才の記録、属官の記録――全部の束を出してきて、一行ずつ当たる。

 閔が、その束を出した。

 五年前、孝廉の名簿に皇甫嵩の名を書いた男である。

 いま、同じ手で、名を消す側の手続きをしている。消すといっても、墨で塗るのではない。墨で塗ると、もとが読めてしまう。別の紙に書き直して、古いほうを箱ごと替える。

 皇甫嵩は、手伝った。

 三日かかった。この郡から出た者の中に、載っていた名は、二つあった。どちらも顔は知らない。県の名は知っていた。

 三日目の夕方、束をしまった。


「これで終いですか」

「終いだ」


 閔は箱の紐を結んだ。結び方が、十五年前に叔父が竹簡を包んだときと、どこか似ていた。

 招いた二人は、もういない。

 太尉は三年前に呼び、その翌年の名簿に載り、この秋に承明門で死んだ。大将軍は今年の春に呼び、この秋に北軍で死んだ。

 どちらの書にも、皇甫嵩は承れないと答えている。

 一度目は、承れないと書いた。二度目は、承れないと言った。どちらも、理由は書いていない。

 名簿を、もう一度はじめから見た。


 自分の名は、どこにも無かった。



第三章 辟 ――完。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。