第3話:大将軍
――建寧元年(一六八年)、涼州安定郡。
大将軍から辟が来た。
竇武である。帝が十二で立って、外戚として実権を握っている人だった。三年前の太尉とは、位が違う。太尉は三公の一つだが、大将軍は三公の上に置かれる。
使者は、箱を持ってきた。
役所の土間に置いて、蓋に手をかけた。中に何が入っているかを見せてから、話をはじめるつもりだったらしい。
「大将軍のお召しにて――」
「承れません」
使者の手が止まった。
蓋は、まだ開いていない。
皇甫嵩は、箱のほうへ一度だけ目をやって、それから使者を見た。
「ご用件は、承知しております」
「まだ、申し上げておりませんが」
「承知しております」
三年前は、返書を書くのに夜半までかかった。
こんどは、書かなかった。書く前に言った。
使者は、しばらく立っていた。それから箱を持ち上げ、礼をして出ていった。
閔が、土間の隅からそれを見ていた。何も言わなかった。今度は、理由を書く欄のことも言わなかった。
箱は、開けられないまま帰っていった。中に何が入っていたかを、誰も知らない。
段熲の上書の写しが、郡に届いた。
東羌を討つという。降らせるのではなく、根から絶つ。九年前に護羌校尉になったときから言っていることが、こんどは上書の形になっていた。
張奐は、これに反対していた。
張奐の言い分も、同じ写しの中にある。降る者は降らせ、住まわせればよい。殺しきれるものではない。
皇甫嵩は、両方を読んだ。
そのあとで、段熲の側にだけ付いているものを見た。
数字である。
かかる費用が、銭の数で書いてあった。兵を何年動かし、糧をいくら運び、いくらかかるか。桁が並んでいた。
皇甫嵩は、郡の蔵の帳面を出してきた。
蔵の帳面は、石と匹と斤で書く。銭で書く欄は、一年の総額を入れる最後の行にしかない。その行の桁は、段熲の上書の桁より、二つ小さかった。
欄が無いのだった。
書き写そうとすると、桁が枠からはみ出す。
結局、写しを綴じるだけにした。綴じるとき、段熲の名の下に数字が並んでいるのが、上から見えた。
段熲の名の下に、数字が並んでいた。
――建寧元年(一六八年)九月、洛陽。
張奐は、まだ旅装のままだった。
羌の陣から召還されて、洛陽に着いたのが前の日である。馬を降りて、宿所に入り、埃を落とすひまもなく、迎えが来た。
都のことは、何も分かっていない。
道中で聞いたのは、帝が代わったということと、大将軍が竇武だということだけだった。誰と誰が組み、誰と誰が構えているのかを、張奐は知らない。知らないまま城へ入った。
その夜、宮城のほうで音がした。
人が走っている音である。
張奐は宿所の外へ出た。出たが、どちらへ行けばよいのかが分からない。この都の門の配置を、この男はよく知らなかった。
朝になって、聞いた。
太傅の陳蕃が、官属と諸生を率いて、承明門へ入ったという。八十余人だったと。
刃を抜いていた、と聞いた。
七十を過ぎている人である。
その日のうちに、害された。
張奐は、それを聞いても、何も言わなかった。言うだけの材料が、この男には無い。誰が正しくて誰が誤っているのかを、着いて二日の者が言えるはずがなかった。
昼を過ぎて、文書が届いた。
中常侍の曹節の名で来ている。
張奐は、それを受け取って、開いた。
字が新しかった。墨が、まだ乾ききっていない。
詔だった。
竇武が反した。討て、と書いてある。
張奐は、二度読んだ。
この男は、詔を疑うということを、これまで一度もしたことがなかった。詔は帝から出る。帝から出たものを疑えば、それは臣ではない。
そして、この男は臣である。
北軍へ向かった。
竇武は、そこへ走っていた。兵を集めている。数はまだ揃っていない。
張奐は、兵を出した。王甫という中常侍が、別の側から出た。
戦らしい戦にはならなかった。
向かい合ったところで、王甫の側が呼ばわった。竇武は反した、宮城へ戻る者は赦す、と。
兵が減りはじめた。
最初は後ろから、そのうち横から抜けていった。竇武のまわりが、みるみる薄くなった。
張奐は、それを見ていた。
見ながら、一度だけ、これは何かが違う、と思った。
反した者の兵は、こういう減り方をしない。反した者の兵は、はじめから少ないか、最後まで残るかのどちらかである。こういう抜け方をするのは、自分が何に立っているのかを知らない兵だった。
竇武は、囲まれた。
自ら首を刎ねた。
そのあと、誰も何も説明しに来なかった。曹節も来ない。王甫も来ない。詔の文書は、張奐の手元に残ったままだった。
張奐は、誰にも何も聞かなかった。
功として、侯に封ずるという。
張奐は、辞退の書を出した。
受理されなかった。
二度目を出した。今度は、先の書が届いていない場合を考えて、同じ文面を写して添えた。
これも戻ってきた。
三度目を出した。
三度目で、ようやく通った。
書きながら、張奐は十三年前のことを思い出していた。
安定属国都尉であったころ、羌の族長たちが馬二十匹を牽いてきた。先零の酋長が、金の鐻を八枚持ってきた。受け取って、その場で酒を地に注ぎ、そのまま返させた。
あのときは、一度で済んだ。
受け取ってから返すほうが、はじめから受け取らないより、話が早いのだった。物は目の前にあり、返す手もそこにある。
こんどは、物が無い。
封というのは紙の上のことで、返すべき物が手元に来ない。来ないものを返すには、書くしかない。書けば、相手は受け取らない。受け取らないので、また書く。
辞退の書を、三度出した。羌に金を返したときは、一度で済んだ。
――建寧元年(一六八年)、涼州安定郡。
禁錮の名簿が、涼州の郡にも回ってきた。
二年前の二百余人に、こんどは新しい名が加わっている。陳蕃の官属だった者、太学から出て官に就いていた者、竇武に連なる者。
郡の役所では、突き合わせの作業がはじまった。
載った名が、この郡から出た者の中にいないかを見る。いれば、郡の名簿から消す。孝廉の記録、茂才の記録、属官の記録――全部の束を出してきて、一行ずつ当たる。
閔が、その束を出した。
五年前、孝廉の名簿に皇甫嵩の名を書いた男である。
いま、同じ手で、名を消す側の手続きをしている。消すといっても、墨で塗るのではない。墨で塗ると、もとが読めてしまう。別の紙に書き直して、古いほうを箱ごと替える。
皇甫嵩は、手伝った。
三日かかった。この郡から出た者の中に、載っていた名は、二つあった。どちらも顔は知らない。県の名は知っていた。
三日目の夕方、束をしまった。
「これで終いですか」
「終いだ」
閔は箱の紐を結んだ。結び方が、十五年前に叔父が竹簡を包んだときと、どこか似ていた。
招いた二人は、もういない。
太尉は三年前に呼び、その翌年の名簿に載り、この秋に承明門で死んだ。大将軍は今年の春に呼び、この秋に北軍で死んだ。
どちらの書にも、皇甫嵩は承れないと答えている。
一度目は、承れないと書いた。二度目は、承れないと言った。どちらも、理由は書いていない。
名簿を、もう一度はじめから見た。
自分の名は、どこにも無かった。
第三章 辟 ――完。




