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三国志正史 ―皇甫嵩伝―  作者: ソリトん
第三章 辟(へき)

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第2話:入れてくれ

 閔は、返書を預かってから三日、出さなかった。

 三日目の夕方に、皇甫嵩を役所へ呼んだ。土間に二人だけである。

 閔は、書を机に置いたまま、上から二度叩いた。


「これは、このままでよろしいか」

「はい」

「理由が書いてありません」

「はい」


 閔は、一度こちらを見た。それから、別の話をするような調子で言った。


「太尉の辟は、郡から見れば郡の面目です。挙げた者が呼ばれた。挙げた郡の見立てが正しかったということになる」

「はい」

「断られると、郡の見立てが間違っていたことになる」

「そうなりますか」

「なります」


 皇甫嵩は、土間の戸口のほうを見た。

 外は、もう暗くなっている。この季節は日が落ちるのが早い。


「今年は、風が早いですね」


 閔は、机の上の書を少し動かした。


「二度目は、無いかもしれません」

「ございましょうか」

「無いかもしれない、と申しております」

「粟は、去年より少し多く出ました」


 閔は、そこで黙った。

 しばらくして、もう一度訊いた。


「ご病気ですか」

「いいえ」

「家の御事情ですか」

「いいえ」

「では」

「馬が、一頭、脚をやりました」


 閔は筆を取り、紙を引き寄せた。

 郡から州へ出す報告に、辟を断った旨を書く欄がある。断った理由を書く欄も、その下にある。

 閔は、上の欄だけ埋めた。

 下の欄は、空けたままにした。


 閔は、断られた理由を書く欄を空けたまま提出した。




 ――延熹九年(一六六年)、涼州安定郡。


 都で人が捕えられた、という報せが来た。

 李膺(りよう)ら二百余人だという。

 罪の名は、党を結んで朝廷を誹謗した、というものだった。名簿が作られ、載った者は獄に下された。

 名を書き出した紙が、しばらくして郡に回ってきた。

 皇甫嵩は、それを写す役に当たった。

 二百余人である。写すだけで二日かかった。

 写しながら、字の形を見ていた。

 もとの紙は、字の大きさが揃っている。二百余人の名が、一つも大きくならず、一つも小さくならずに並んでいる。急いで書いた字ではない。

 誰かが、これを書いた。

 名を集め、順を決め、字の大きさを揃えて、二日か三日かけて書いた者がいる。

 三十を過ぎていた。写す手は、もう速い。

 上から順に見ていって、途中で止まった。

 陳蕃の名があった。

 去年、皇甫嵩を呼んだ男である。太尉は免ぜられていた。

 名簿に載ると、赦されても官に就けない。終身である。そう書いてあった。


 二百余人の名が、字の大きさを揃えて書かれていた。書いた者がいる。




 叔父が、上書した。

 写しが郡に回ってきたとき、皇甫嵩は、はじめ何を読んでいるのか分からなかった。

 私も党人です、と書いてあった。

 理由が二つ挙げてある。

 一つ。臣は、前に故大司農(だいしのう)の張奐を薦めました。これは党に附くことです。

 一つ。また臣が昔、左校に輸する刑を論ぜられたとき、太学の張鳳らが書を上って臣のために訴えました。これは党人に附かれたということです。

 そして、最後に一行。

 臣も、その罪に坐すべきです。

 皇甫嵩は、写しを持ったまま座っていた。

 二つとも、身に覚えのあることだった。

 張奐を薦めたのは二年前である。自分の官を譲る書だった。向いている、と叔父は言った。

 張鳳ら三百余人が書を上ったのは四年前である。叔父が左校で石を運んでいた年だ。帰ってきた叔父の手は、皮が剥けていた。

 その二つを、叔父はいま、自分の罪として書き出している。

 その月、叔父の家へ行った。

 叔母が、土間で墨をすっていた。硯の縁を持って、まっすぐに動かしている。叔父は奥にいた。


「叔母上」

「はい」

「叔父上は、これを、どなたにも相談なさいましたか」

「いいえ」


 叔母は手を止めなかった。


「お止めになりませんでしたか」

「止める理由がございません」


 墨の音だけが、しばらく続いた。

 帰り道で、皇甫嵩は考えていた。

 名簿から外れたい者の話なら、いくらでも聞いたことがある。郡の役所には、そういう願いが毎年いくつも来る。名を消してほしい、名を載せないでほしい、去年の分を書き替えてほしい。


 名簿に入れてくれと書いた者の話を、聞いたことがなかった。




 ――永康元年(一六七年)、涼州安定郡。


 返事が、来なかった。

 叔父が上書してから、ひと月が過ぎ、二月が過ぎた。

 叱られもしない。呼び出されもしない。名簿に加えられもしない。

 朝廷はそれを受け取っている。受け取ったことは、郡に回ってきた写しで分かる。読んだかどうかは分からない。ただ、返事だけが来ない。

 皇甫嵩は、いつからか数えていた。

 郡の帳面の端に、月が替わるごとに小さな印を付ける。何のための印かは、自分にしか分からない。

 五つになったとき、叔父の家へ行った。

 叔父は庭にいた。何をしているのでもなかった。


「叔父上」

「なんだ」

「都から、何か」

「来ない」


 それだけだった。

 皇甫嵩は、その庭で二十五年前のことを思い出していた。叔父が対策を出して、何を書いたのかを言わなかった年である。あのときは、返事が来た。順位を落とすという返事だった。

 こんどは、来ない。

 落とされもしない。

 党人の名簿は、この年のうちに赦免の扱いになった。赦されたが、終身、官に就けない。禁錮(きんこ)という。

 その名簿にも、叔父の名は無かった。


 帳面の端に付けた印が、増えていくだけになった。




 十二月に、帝が崩じた。

 年が明けて、十二になる帝が立った。大将軍には、竇武(とうぶ)という人が就いたという。

 郡では、喪の布を配った。

 皇甫嵩は、その割り当てを数える役に回された。県ごとに戸の数で割り、県へ回す。二十一年前に一度、同じことをしている。あのときは十になる年で、数える側ではなかった。

 布は、郡の蔵に入っていた。

 入っていたのは、五年前に涼州の道が通じてからである。東羌(とうきょう)が降を乞い、都からの荷が二月かかって着くようになった。あのとき入った布が、まだ残っていた。

 割って、数えて、端数を出した。

 端数が出たということは、足りているということである。

 二十一年前は、足りなかった。母が配りに出て、途中で無くなって、帰ってきた。何軒かは、布を巻かずに喪に服した。


「今年は、足ります」


 閔に言った。閔は帳面を見て、頷いた。


「多いくらいだ」

「余らせますか」

「余らせておく。次があるからな」


 閔はそう言って、蔵の帳面に数を書いた。

 次がある、というのは、次に帝が崩じるということである。皇甫嵩にとっては二度目だった。二度目のほうが、布は多い。


 今度は、数が足りた。


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