07 - 再訪
書庫の空気は、まだどこか緊張を残していた。
「……助かった」
風紀委員たちの足音が完全に消えてから、藍原はようやく肩の力を抜き、床に積み上がったファイルに目を落とした。
「災難だったな、怪我はないか?」
京介は手に構えていたカメラを首に下げ直した。
「ああ、大丈夫だ。みんなも怪我はないか?」
声をかけられた図書委員たちからは、藍原を気遣う声や、風紀委員会に対する不満の声が上がる。
「藍原さん。少しだけ聞かせて欲しいの。あの人たちは、何を持ち出そうとしていたの?」
凛がメモ帳を開いて一歩前に出る。
床には風紀委員たちが引き抜いた資料が散乱していた。表紙に年度と通し番号だけが書かれた、素っ気ない装丁のファイルだ。
「目的は過去の総会の議事録のようだ」
藍原はかがみ込んでファイルの一冊を手に取り、背表紙を確認する。
「それも、かなり古いものばかりだ」
「あいつらは突然来たのか?」
「そうだ。予告も書面もなし。書庫の管理規則では、所管外の委員会が資料を閲覧する場合、事前に図書委員会に申請を出すことになっている。それを無視して、いきなり書庫に踏み込んできた」
藍原は再び湧いてきた苛立ちに、思わず舌打ちした。
「悪いが、今日はここまでにしてくれ。——もっと詳しい話が聞きたいなら、また明日にでも」
「そうだな。また明日出直すとしよう」
京介は手帳を閉じ、凛と遥斗に目配せをして、書庫を後にした。
*
翌日の昼休み、京介たち新聞部の三人は再び中央図書館を訪れていた。
カウンターの奥に藍原の姿を見つけて、京介が片手を上げる。藍原は小さく頷き、カウンターから出てきた。
「昨日に引き続き悪いな。話の続きを聞かせてもらいたくて——」
京介が手帳を開きかけた、そのとき。
館内の静けさを、踵を打ちつけるような鋭い足音が切り裂いた。
整然と揃った足音が、閲覧スペースの床を踏み鳴らしながらこちらに近づいてくる。
先頭には一人の女子生徒。長い黒髪を背中まで流し、顎をわずかに上げて歩いている。
背丈は凛より少し高い程度だが、伸ばした背筋と視線の高さが、その印象を数センチ分上乗せしていた。
左腕には、赤字で「風紀」と縫い取られた腕章。
「風紀委員長が直々にお出ましか」
その姿を見て、藍原が小さく呟いた。
風紀委員長、朱鷺沢鈴音。
後ろには、同じく「風紀」の腕章をつけた生徒が四人続いている。先頭の二人は京介も見知った顔、昨日の書庫にいた連中だ。
朱鷺沢は藍原の前までまっすぐ歩いてくると、足を止めた。
「ごきげんよう、藍原さん」
会釈はない。視線はまっすぐ藍原に据えられている。
「風紀委員長がお出ましとは、昨日の件か?」
「察しがよろしくて助かります。まずは昨日の件、風紀委員の代表として、深くお詫び申し上げます」
言葉こそ丁寧だったが、頭を下げることはなく、視線はまっすぐのままだ。
「……俺、ここまで気持ちがこもっていない謝罪を初めてみたかもしれません」
その光景に、遥斗が思わず京介の耳元で囁く。
「おほんっ」
朱鷺沢が咳払いをして、冷たい視線を遥斗のほうに向ける。
「バカ!」
凛に頭をはたかれ、遥斗は慌てて両手で口を塞いだ。
「……本来であれば事前に書面でお送りすべきところ、手順を《《少々》》省いてしまったようです。あらためて、本日は正式な書類をお持ちしました」
朱鷺沢が差し出した手の上に、後ろに控えていた風紀委員の一人が書類を乗せる。
「図書委員会規則第十二条に基づく資料閲覧申請書、および生徒会からの協力依頼書。お確かめください」
「……問題ないようだ」
藍原が呻くように呟く。
「この依頼は《《我らが生徒会》》からの依頼です」
藍原の態度が気に障ったのか、朱鷺沢のその声は冷たさを増していた。
「白銀生徒会長は学園始まって以来の才女にして、この秀烽学園をさらなる高みに導こうとしているお方」
朱鷺沢は片手を胸にあて、もう片手を高く掲げる。
「会長がお望みのことであれば、生徒の誰しもが協力を惜しまず、率先して行動するのが当たり前です!」
「な、なにか始まりましたよ」
遥斗が再び京介の耳元で囁く。
「そこ! 外野は黙っていなさい!」
朱鷺沢は京介たちのほうを振り向くと、人差し指を突きつけた。
「おい、やるならさっさとしてくれ。余計なものを持ち出さないように、こっちも立ち会わせてもらうぞ」
藍原の口調はやや呆れていた。
朱鷺沢は一つ咳払いをして姿勢を正し、風紀委員たちに指示を出す。
「始めなさい!」
「は、はいっ!」
「りょ、了解しました!」
風紀委員たちは慌ただしく走り出すと、図書委員たちの監視のもと、手際よくファイルを選び、持参した段ボールに詰めていく。
「ねえ、部長、部長」
「なんだ、遥斗」
腕組みをして作業を見守っている朱鷺沢を、遥斗が指差す。
「さっきのまるでそこら辺のゲジゲジでも見るような視線を見ましたか?」
「ゲジゲジってお前……俺たちは人間扱いされてないのか」
「風紀委員会は昔から生徒会にベッタリだし、うちみたいな弱小部活動は眼中にないんじゃないかしら」
京介はこの事態に介入すべきか迷ったが、昨日とは違い、今回は正規の手順を踏んでいる。
図書委員長の藍原が従っている以上、部外者ができることはなかった。
「でも、あの冷たい目は、なんだか癖になりそうです」
「変なこと言わないでよ、キモいわね」
何かに目覚めそうになっている遥斗を見て、凛が半歩距離を取った。
しばらくして、風紀委員たちが大量のファイルを詰めた段ボールを運び出してきた。
「ご協力感謝いたします。それでは、ごきげんよう」
朱鷺沢の踵が、来たときと同じ鋭さで床を打った。
風紀委員たちが慌ててその後に続く。
「——槙野、時間はあるか? 少し相談したいことがある」
朱鷺沢たちが立ち去った後、藍原は少し考えてから切り出した。




