22 - 剣戟
白銀の宣言が余韻を残す中、試合場の両端から、二つの影が姿を現した。
一人は木刀を肩に担いだ長身の男、居合道研究会の榊原司。
榊原は、いつものジャージ姿のまま、まるで散歩の途中であるかのように悠々と歩いてくる。
そしてもう一人は、剣道部主将龍崎健。長い髪をひとつに結んだ龍崎は、防具を着けない剣道着姿で、木刀を右手に提げている。
二人が試合場の中央に歩み出ると、場内のざわめきが一段と大きくなった。
龍崎の視線が、試合場の脇を一瞬横切る。
その先にいるのは、腕を組んで立つ鷹野千紘だった。龍崎と鷹野、二人の視線が、ほんの一瞬交差する。
「よろしくな、龍崎」
榊原の言葉で、龍崎の視線がようやく対峙する相手に向いた。
「——貴様が、居合道研究会の代表か」
龍崎の視線が榊原の手元に落ちる。
「木刀とはな。てっきり鞘に収まった模擬刀を使うものだと思っていた」
「よく言われるよ」
榊原は木刀の先を軽く回し、手首の具合を確かめるように一振りした。
「だが、居合道とは、制限のある状況で戦うための術理だ。抜刀術はその中の一つに過ぎない」
「講釈はいい。チャンバラの腕を見せてもらおう」
龍崎の声には、侮りの色が滲む。
居合など所詮は型の演武——その認識は、廉正裁定を引き受けた時から変わっていない。
審判が試合場の中央に進み出る。
「事前に決めた通り、『突き』は禁止だ。そして、これは試合だということを忘れるな。過剰な攻撃は控えるように——」
両者が頷いたことを確認し、審判が開始の合図を送る。
「始め!!」
立ち合いは静かだった。
龍崎が木刀を正眼に構える。基本にして攻守に優れた構え。
対する榊原は、前屈みに腰を落とした下段の構え。
お互いに間合いを計り、足裏を使った細かい移動を繰り返す。
会場中が息を呑む中、まず動いたのは龍崎だった。
鋭い踏み込みからの面打ち。剣道仕込みのスピードに乗った一振りが、榊原の頭上に迫る。
榊原の木刀が跳ね上がり、その軌道を受け止めた。乾いた音が武道場に響き渡る。
龍崎はすぐさま二撃目を放つ。面から小手に切り替えた連続打ち。
榊原の手首を狙った正確な打ち込みだったが、榊原は半歩身を引き、木刀の軌道を滑らせるようにして受け流す。
龍崎の打ち込みは、一撃一撃が的確だった。だが、榊原は、木刀で受け、体を捌き、時に足を使って間合いを外す。
そして、龍崎の連撃が途切れた一瞬——低い構えから榊原の木刀が跳ね上がり、龍崎の顎先をかすめた。
龍崎が咄嗟に首を反らしたところに、続けざまに横薙ぎが一閃した。
龍崎の木刀が辛うじてそれを弾いたが、受けた衝撃に腕が流れ、構えが崩れかけた。
「……なるほど」
打ち合いを断ち切り、龍崎が間合いを取り直した。切れ長の目が、改めて榊原を見据える。
チャンバラだと思っていた。型だけの見世物だと。
だが、目の前の男は違う。打ち込みを捌く技術、間合いの取り方、体の運び。そのどれもが、実戦の中で磨かれたものだった。
「少しは見直したか?」
「——認めよう。貴様はただのチャンバラ使いではないらしい」
龍崎の構えが、それまでより半歩深く踏み込んだ中段に変わる。切っ先がわずかに下がり、重心が前に寄る。
「先手を取らないのはお前の流儀か? 甘く見ると痛い目を見るぞ」
続く龍崎の一撃は、先の打ち込みとは速さも重さも比較にならないものだった。
「……!」
榊原の木刀が大きく弾かれ、初めて体勢が乱れる。
「——これがお前の本来の剣筋かっ」
榊原は大きく間合いを取ろうとしたが、龍崎は流れるような足捌きでそのまま間合いを詰めていく。
剣道独特の足捌き、継ぎ足と呼ばれる技術だ。
榊原が体勢を整える間もなく放たれた打ち込みが、正確に榊原の手元を打つ。
その瞬間、榊原の手から木刀が離れ、板張りの床を跳ねて転がった。
会場にどよめきが走る。
榊原が丸腰になった一瞬を逃さず、龍崎が木刀を振りかぶったまま踏み込んでくる。
肩口を狙った、とどめの一撃。
「榊原、危ない!」
だが、榊原は退かなかった。龍崎の懐に向かって、自ら一歩踏み込む。
木刀の間合いの内側、剣が届かないほどの至近距離で、榊原の掌底が龍崎の胸元を打った。
地響きがするほどの強烈な踏み込み。
龍崎の体が一瞬宙に浮き上がり、その動きが止まった。
次の瞬間、榊原の手が龍崎の道着の襟を掴んだかと思うと、足を払い、そのまま床に引き倒す。
「剣道ならそっちの勝ちだったな」
龍崎の首筋にぴたりと木刀の切先が当てられる。その手には、いつの間にか龍崎の木刀が握られていた。
「……俺の、負けだ」
龍崎の声は低く、しかし明瞭だった。
「勝者——榊原!」
一拍の沈黙の後、武道場が割れるような歓声に包まれた。
榊原は龍崎に手を差し出したが、龍崎はその手を一瞥しただけで、自力で立ち上がる。道着についた埃を払うと、一言も発することなく試合場を後にしていく。
「お見事でした、榊原さん! 最後の技、あれなんですか!」
戻ってきた榊原に、遥斗が真っ先に駆け寄る。
「木刀を飛ばされた時はどうなるかと思ったが……よくやった」
「本当にすごいわ!」
「まあ、こんなもんさ。これをきっかけに入会希望者が増えるといいんだがな」
激戦を終えて、なお、軽口を叩く余裕がある榊原を、京介は頼もしく思う。藍原や柊が健闘を讃えて、榊原の肩を叩き、凛は口元を押さえて涙ぐんでいた。
喧騒収まらぬ会場の中で、京介はふと特別席を見上げた。
そこでは、今まさに白銀が席を立つところだった。
試合場を見下ろすその表情からは、何も読み取れない。
白銀は横に控える朱鷺沢に何か声をかけると、丹羽と灰島を従え去っていく。
残された朱鷺沢の顔は怒りに歪み、両手の拳は固く握りしめられていた。




