19 - 前兆
放課後の道場に、木刀を振る音が規則正しく響いている。
榊原司は、一人きりの稽古場で素振りを繰り返していた。
居合道研究会には部員がほとんどおらず、こうして一人で稽古することは珍しくない。
「あ、あのー、失礼します」
声の方を振り返ると、道場の入口に、見覚えのある三人の男子生徒が並んで立っている。
「おう、怪我の具合はどうだ?」
先日の旧校舎のいざこざで、新聞部の部員を庇い、ラグビー部に立ち向かった三人だ。
「もう大丈夫です」
確か、椎名と桐山、それから梅田だったな。榊原は、三人の顔を見ながら、先日の出来事を思い出していた。
椎名の顔や腕には、まだ痣が残っている。桐山は片足を引きずっているし、梅田も額に大きな絆創膏をつけている。
「本当にありがとうございました。あの、今日はお礼を言いたくて」
「別に、大したことはしてないが」
「大したことあります! 榊原さんが来てくれなかったら、俺たちどうなってたか」
そう言って、三人は同時に頭を下げた。
ランニング中にたまたま通りかかり、自分から首を突っ込んだ。榊原としては言葉通り「大したことない」ことだった。
「ところで、お前たち、新聞部とはどういう関係なんだ? あの後、藤枝が礼を言いたいというから戻ったんだが、いつの間にかいなくなってたな」
三人はお互いに肘をつつき合う。
何かを小声で囁き合うと、椎名が口を開いた。
「実は……僕たちは、非公式の藤枝凛ファンクラブのメンバーなんです」
「……ファンクラブ?」
「はい、非公式ですけど。あと、ファンクラブの名称は仮です」
椎名の横で、桐山と梅田がうんうんと頷いている。
ファンクラブ?非公式?
「普段は影から藤枝さんの活躍を見守っているんですが、あの時はさすがに黙っていられなくて」
「おい、それって、いわゆるスト——」
「「「違います!!」」」
榊原が言いかけた言葉を、三人は口を揃えて否定する。椎名は顔の前で大きなバツ印まで作っている。
「ファンクラブです! 普段は藤枝さんが書いた記事を読んで、みんなで感想を言い合ったり、藤枝さん情報を交換しあったりしてますが」
「決して非合法なことをしているわけじゃないですよ!」
榊原にとっては、どうにも理解し難いことではあったが、彼らには彼らなりの矜持があるようだった。
藤枝さん情報、とやらの出どころが気になるところではあったが。
「ま、まあ、それは置いておいて……礼くらいは言わせてやってもいいだろう」
だが、その言葉に、椎名は慌てて両手を振った。
「い、いえ! 推しに認識されるのは本意ではありません。あくまでも、影から見守ることこそ、我々のポリシーです」
「その通り。我々は、見返りなんて求めていませんから」
「ただ、藤枝さんが無事であれば、それだけで——」
三人が口々に言い募る。これも彼らなりのルールであるらしい。
*
新聞部の部室には、京介、凛、遥斗の三人に加えて、文芸部部長である柊の姿があった。
「まず、廉正裁定の件からだ」
旧校舎で承認された廉正裁定。その結果によって何がもたらされるか。
「榊原が勝った場合、風紀委員会に求めるのは二つ。旧校舎での行動について、公式の謝罪を行うこと。そして、今後の治安維持について、空手部側と交渉の場につくこと」
「交渉の場につくだけって、なんだか甘くないですかね?」
「鷹野さんには何か考えがあるんでしょう」
この条件は、形として当事者である榊原から提示されたが、実際には鷹野が考えたものだ。
「——もし風紀委員会側が勝った場合は、旧校舎への立ち入り禁止措置が発せられる。そして、新聞部と空手部は、一定期間の活動停止だ」
「……新聞部、完全に目をつけられてるじゃないですか」
旧校舎への立ち入り禁止。これは旧校舎を風紀委員会の管理下に置くことが目的だ。
もしそうなれば、これ以上旧校舎を調べることができなくなる。
「柊、そっちはどうだ?」
柊は机に広げたファイルの束に目を通していた。
京介たちが旧校舎から持ち出した三冊のファイル。初めてリコール制度が記載された学園規則と、それに続く二冊だった。
「ちょうどすべて確認したところです。……この中にある学園規則には、すべてリコール制度が記載されていますね」
「いつから記載が無くなったのかは、もっと調査が必要か」
「まあ、彼らの焦りっぷりからすると、リコール制度が現在も有効であることは明白ですが」
京介としても、柊のその意見には賛成だった。しかし、現在の学園規則に記載がない以上、リコール制度が有効である証拠が必要だ。
「いずれにしても、廉正裁定に勝てれば、また旧校舎を調べられるわ」
「そうだな。まずは、廉正裁定の結果を待つしかない」
廉正裁定の結果が出るまで、旧校舎は誰も干渉できないように封鎖された。現在は風紀委員会と空手部、それぞれが監視している。
「そうだ! 号外、出しますよね? 俺、号外を配るのやってみたかったんです!」
「お前、気にしているのはそこか」
「いいじゃないですか! 号外って、なんかこう、新聞部っぽくないですか」
遥斗の能天気さに、京介と凛は顔を見合わせ肩をすくめた。
柊は、京介たちのやり取りを見てくすくすと笑っていたが、ふと何かを思い出したように鞄に手を伸ばした。
「うっかりしていました。今日は新聞部の皆さんにお見せしたいものがあるんです」
柊が取り出したのは、古い新聞の一面だった。
「それは?」
「図書館にあったリコール制度成立時の学園新聞。そのファイルの末尾に挟まっていた物です」
「コラム? 当時の新聞部の部長が書いたみたいね」
「はい、そのようです。でも、内容としては『宣言』ですね」
柊は手に持った紙面を、全員が見えるようにホワイトボードに貼り付けた。
「書き出し部分はこうです。——生徒会発足時、我々は会長を賛辞し、その施策を後押しする記事を書いた。結果としてそれは大きな誤りであり、学園生徒たちを誤った方向に誘導してしまった」
「……自分たちの報道活動の反省か」
「ええ。そしてこう続いています。——円卓会議の成立に際して、新聞部にも円卓に座る権利が与えられたが、我々はそれを辞退した。今後、どの立場にも属さず、常に中立の立場から『事実』を伝える役割に徹する」
円卓に座る権利を持ちながら、あえてそこに座らない。報道は主張するものではなく、事実を伝えるもの。
判断するのは自分たちではなく、事実を知った生徒たちが行うもの。
「今の俺たちと、同じ考えだな」
伝えることで何かが変わるかは分からない。だが、伝えなければ、何も始まらない。
「仮にリコール制度が有効だったとして、それが成立すると思う?」
リコール制度を請求するためには、全校生徒の三分の一以上の署名が必要だ。さらに、解職投票で全校生徒の過半数の賛成が必要になる。
「簡単じゃないだろうな。白銀は成果を出している。新クラス区分に不満を持っている生徒はいるが、満足している生徒もいる」
「私たちがやることは、伝えることね」
上位クラスと下位クラスの分断、風紀委員会の横暴、部活の降格圧力。それぞれを目の前のこととしては感じていても、全体の繋がりに気づいていない生徒が多い。
学園の現状は、まだ正しく伝わっていない。
「新聞を書くぞ」




