18 - 裁定
ひなたの正拳が、また一人、ラグビー部員を廊下に沈める。
「槙野先輩、下がっててください。すぐ終わりますんで」
ひなたが壁際の京介を振り返ったその隙に、ラグビー部員が低い姿勢からタックルを仕掛けた。
だが、ひなたは半歩だけ横にずれ、伸びてきた腕と交差するように右足を跳ね上げる。
こめかみに上段蹴りを受けた相手は、一言も発さぬまま、膝からその場に崩れ落ちた。
人数的にはラグビー部側が優位だったが、ひなたを先頭に、空手部員たちは的確な動きを見せた。
狭い廊下という地の利を活かし、一対一の状況を作りながら、一人ずつ確実に捌いていく。
わずかな間に、ラグビー部員たちは、一人残らず床に転がっていた。
「槙野、大丈夫か!」
「どういう状況ですか?」
廊下の向こうからは、騒ぎを聞きつけた藍原と柊、そして文芸部員や図書委員たちが集まってくる。
その後ろには紫藤を先頭に、風紀委員たちの姿もあった。
「——こいつら、待ち伏せしていたようだ。《《誰かの》》指示を受けて、俺たちを拘束しようとした」
その途端、全員の視線が紫藤たちに向けられる。
「何の話だ。私たちは旧校舎への不法な立ち入りについて調査に来ただけだ。ラグビー部がここにいる理由は知らない」
もちろん、ラグビー部は紫藤が取引を持ちかけ協力させていた。
思わぬ邪魔が入ったようだが、それにしても不甲斐ないやつらだ。紫藤は内心舌打ちしたい気分だった。
「白々しいことを! お前以外に誰が指図するんだ!」
図書館での先日の件もあり、藍原は風紀委員会の行動に苛立ちを隠せなかった。
「……我々が関与したという証拠があるのか」
だが、藍原たちが詰め寄ったところで、紫藤の態度は変わらない。冷ややかな目で周囲を睨め付ける。
「紫藤、貴様!」
叫んだのは、ひなたに首根っこを掴まれたまま床に伸びているラグビー部だった。
「俺たちを切るつもりか!」
「おや? ラグビー部の部長さんじゃないか。——謂れのない言葉は慎んだ方が身のためだぞ」
「この野郎……」
歯軋りするラグビー部の部長を、紫藤は冷たい目で見下ろす。
「……紫藤、お前。風紀委員が、暴力で物事を解決しようとするのか」
風紀委員会が旧校舎での自分たちの動きを察知し、ラグビー部を引き入れて妨害を試みた。
京介にも、ようやく状況が見えてきた。
だが、紫藤たちが、自分たちの目的を知っているはずがない。ならば何を目的に行動を起こしたのか。
「言いがかりはやめてもらおう。空手部のせいで、頭でも打って混乱しているんじゃないか?」
「ちょっと! 自分たちは治安維持のために動いただけです!」
紫藤の言葉に、ひなたはそう反論しつつも、ひっそりと周囲に目をやる。
ちょっぴりやりすぎたか——治安維持という範疇を軽々と超えていそうなその光景に、背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「このことは朱鷺沢も知っているのか?」
その時、長身の女子生徒が、倒れているラグビー部員をまたぎながら階段を上がってきた。
「部長!」
ひなたの言葉通り、声の主は空手部主将、鷹野千紘だった。
「なんだと……」
朱鷺沢の名前を聞き、紫藤の声がわずかに揺れる。
「このことを朱鷺沢は知っているのかと聞いたんだ。これは風紀委員会の正式な取り締まりか?」
「……朱鷺沢委員長には後ほど報告する。この場は私が責任者だ」
鷹野の声はいつものように静かだった。だが、その視線に晒された紫藤は、先ほどまでの威勢を保つことができていない。
「最近の風紀委員会の横暴は目に余る」
「横暴とは、聞き捨てならない……」
紫藤にとって、ここに空手部が駆けつけるのは予想外だった。
本来なら、新聞部たちが何を企んでいるのか突き止め、この場を抑える良い機会のはずだった。
朱鷺沢に無断で動いている以上、これ以上騒ぎを大きくすることは得策ではない。鷹野まで出てきたとなっては、この場はすぐにでも引き上げるべきだ。
「ならば、この場の決着は『廉正裁定』でつけよう」
だが、紫藤のその考えは、鷹野の一言で出鼻をくじかれた。
「……廉正裁定だと? 古い制度を持ち出してきたものだ」
「この学園に定められた、由緒正しい解決法だ」
廉正裁定は、学園の歴史の中で、暴力的解決手段をコントロールする目的で定められたルールだった。
「当事者同士が代表者を選出し、代表者同士が一対一で戦う。……野蛮な解決方法だ」
「この場の解決法としては最適だと思うがな」
紫藤としては、鷹野の提案を飲むわけにはいかない。
廉正裁定が実施されるとなれば、学園中にこの事態が知れ渡る。となれば、当然、朱鷺沢の耳にも、自分が勝手に動いたことが伝わってしまう。
「だが、廉正裁定の申し立てには正式な手続きが必要だ。風紀委員会の承認もいる。今ここでどうこうなる話ではない」
紫藤は目まぐるしく頭を回転させる。この場はなんとか誤魔化し、裏から手を回して承認を退ければ問題ない。
「分かっている。手続きは後ほど、正式に行う」
「結構だ。では改めて——」
今は一秒でも早くこの場を去るべきだ。紫藤の頭に警鐘が鳴り響く。
「ちょっと待て。その必要はないかもしれないぞ」
先ほど鷹野が上がってきた階段から、また別の声がしてくる。
今日は厄日か何かなのか。今度は誰だ。紫藤は再び舌打ちしそうになるのを堪えた。
階段から姿を表したのは、木刀を肩に担いだ榊原。その後ろには、凛が続いている。
「凛、無事だったか」
京介は凛の顔を見て、ひとつ息をついた。
「廉正裁定には例外規定があるはずだろ」
「貴様、何者だ、例外だと?」
「居合道研究会の代表、榊原だ。知名度が低くて寂しいな」
肩をすくめて見せる榊原の態度に、紫藤の苛立ちが募る。
「廉正裁定は、正式な部活動、または委員会の代表者五名以上の承認があれば、その場で決定される」
「……何を言っている」
「例外規定だ。きちんと規則に書いてあるぞ」
廉正裁定は、誰でもいつでも申し立てができる。
ただし、その性質から、緊急時にはその場で開催を決められる例外規定が設けられていた。
「そんな規定もあったな。だが、申し立ての当事者は承認することはできない。新聞部、図書委員会、文芸部、三人しかいないようだな」
「鷹野」
榊原が鷹野に視線を送る。鷹野は何かを察したように、静かに頷いた。
「空手部に代わって、居合道研究会、榊原司が廉正裁定を申し立てる」
榊原の宣言を受けて、鷹野が一歩前に出る。
「申し立て者が居合道研究会なら、うちは承認側に回れるな。空手部部長、鷹野千紘。この廉正裁定を承認する」
「新聞部部長、槙野京介。同じくこの申し出を承認する」
「図書委員長、藍原透。承認する」
「文芸部部長、柊詩織も承認します」
だが、それでもあと一人足りない。
「四名では足りないな。残念だが、この場での承認は——」
「はい、はーい! ここにもう一人いますよ!」
ひなたの横には、床に座り込んだラグビー部部長の姿があった。紫藤を見る目は怒りに満ちている。
「お前、もう俺を忘れてんのか。……ラグビー部も承認するぜ」
「貴様……」
鷹野の声が、旧校舎の廊下に響き渡った。
「廉正裁定は——成立した」




