01 - 日常
「スクープ! スクープです!」
廊下の向こうから聞こえてきた声に、槙野京介は書きかけの記事から顔を上げる。
三月。ここ烽来島にもようやく春の気配が訪れていた。
海風はまだ冷たさを残しているものの、窓の外の桜並木には薄桃色の花が咲き始めている。
本土から離れた孤島にある全寮制の名門校、私立秀烽学園——その校舎の端の端、他の部活が誰も使いたがらなかった小部屋が、新聞部の部室だった。
壁にはところどころ塗装の剥がれた跡があり、窓枠は少し歪んでいる。
備品は年季の入ったデスクが三つと、壁際に押し込まれた本棚が一つ。本棚には過去の新聞部が残した資料やバックナンバーが詰め込まれていたが、もう何年も誰が整理したのかわからない状態になっていた。
「スクープですよ、スクープ!」
部室の扉が勢いよく開いて、柏木遥斗が飛び込んでくる。遥斗は現在一年生で、京介たちの一学年下の後輩だ。
「柏木くんは今日も元気だねぇ」
藤枝凛が軽くため息をつきながら、駆け込んできた遥斗に目をやった。三つ編みのおさげが、小さく首を振る動きに合わせて揺れる。
凛は京介の中学校からの同級生であり、中学校自体も同じ新聞部。そして、この学園でも新聞部という看板を二人で守り続けてきた。
「どうした、遥斗」
京介はデスクから顔だけ振り向く。
遥斗が入部するまでの一年間、この部室で記事を書いていたのは京介と凛の二人だけだった。こうして部室に誰かが飛び込んでくるという光景自体が、京介にとっては新鮮でもあり、ありがたくもある。
廃部寸前の弱小部活に自ら飛び込んできた物好きは、遥斗が初めてだったのだ。
「どうしたもなにも……ついに俺は、本当のスクープを入手しましたよ、部長!」
遥斗は鼻息を荒くしながらデスクに駆け寄ると、手に持っていたノートを勢いよく突きつける。
「明日からの総会で、白銀会長が全校生徒の人気投票をやるらしいんです!」
遥斗のその言葉を聞いて、京介の手がピタッと止まった。
「……人気投票?」
「そうです! 全校生徒と全部活を対象にした人気投票! しかもその結果で来年の予算配分が決まるとかなんとか!」
遥斗は興奮のあまり早口になっている。
「つまりですよ、人気のない部活は予算がゼロになるかもしれないんです! うちみたいな弱小部活は真っ先に——」
「待て待て待て」
京介は遥斗のノートを奪い取ると、そのノートで頭をポンと叩いた。
「情報源は?」
「えーっと……食堂で隣の席の人が知人から聞いたと話してたのを……」
「却下」
「即答!?」
「どうせまた、根も葉もない噂話でしょ」
凛がやれやれと肩をすくめる。
「ち、違いますよ! 今回はちゃんとした——」
「人気投票で予算配分って、お前……学園をなんだと思ってるんだ」
京介は額に手を当てた。先ほどまで感じていた「ありがたい」という気持ちを、少しばかり見直した方がいいかもしれない。
「だ、だって——」
「報道は常に中立だ。裏の取れない情報で騒ぐのは、新聞部員として最もやっちゃいけないことだぞ」
遥斗はしゅんとうなだれた。
入部からもうすぐ一年。遥斗が「スクープ」を持ち込んでくるのは、もう何度目かわからない。そしてそのほとんどが、噂話か勘違いだった。
秀烽学園新聞部。部員はたったの三人。予算は学園の部活動の中で最低ランク。毎年のように廃部の話が持ち上がり、そのたびにどうにか存続してきた。
ここ秀烽学園は、あらゆる分野で一流の人材を輩出してきた名門校である。
卒業生には総理大臣、トップアスリート、著名な学者——この国を動かす人間の多くが、この孤島の学園から巣立っていった。
生徒会からは政治家が、体育会系の部活からはアスリートが、文化系からは学者や芸術家が。それがこの学園の誇りであり、存在意義だった。
新聞部はエリートを輩出するでもなく、華々しい実績があるわけでもない。かつては学園自治の監視機能として重要視された時代もあったというが、今では「何の役にも立たない部活」というのが大方の評価である。
京介にもそれはわかっている。わかった上で、この新聞部の活動を続けていた。
伝えるべきことを伝える。それが新聞部の仕事だと、京介は信じている。
「まあ、お前のフットワークの軽さは買ってる。ただ、情報は裏を取ってから持ってこい」
京介はノートを遥斗に返しながら言った。
「は、はいっ!」
遥斗が背筋を伸ばす。凛が小さく笑いながら、三人分のお茶を入れ始めた。
「まあ、今日から総会が始まるのは本当だ。お前も来るんだから、ちゃんと準備しとけよ」
総会——正式名称は生徒会中央総会。
総会は生徒会と各部活動の部長が一堂に会す、秀烽学園の「生徒による自治」を象徴する重要な会議だ。
新聞部はその内容を取材し、全生徒に伝える役割を担っている。
「遥斗、準備はできてるか?」
「もちろんです! 初めての総会取材、気合い入れていきますよ!」
「藤枝は議題の一覧、もらえてるか?」
「ええ、昨日受け取ったわ。ここにまとめておいたから確認して」
京介は凛から資料を受け取り、目を通し始めた。
年度末に行われる総会では、一年間の決算報告や部活動の活動報告が行われ、また、次年度の会長選挙に向けた手続きを進めることになっている。
京介は顔を上げ、窓の外に目を向けた。
桜の花びらが海風に揺れている、穏やかな春の光景。
「よし。いつも以上に気合い入れて取材するぞ。遥斗、カメラの充電確認しとけ。藤枝、この資料もう一部コピー頼む」
「了解です!」
「はいはい」
三人は手早く準備を済ませ、部室を出る。
最後に出た京介は振り返り、ドアにぶら下がっている古びた木の札に手を伸ばした。
「在室」と書かれたその札を、くるりとひっくり返す。
裏面にはこう書かれていた。
『新聞部ただいま取材中』




