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俺は人間だ!!  作者: 野狐


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三年前

 哨戒チームの報告が砦に戻ってきたのは、夜が明ける少し前の事だった。コウモリのモンスターが廊下を移動する悟の元へ駆け寄る。

「報告があります」

「どうした」

 悟は歩きながらコウモリへ目を向けた。

「街道の方角から、武装した人間の一団が確認されました。数はおよそ三十。こちらに向かっています」

 悟は歩みを止めた。

「軍か」

「装備と隊列から見て、正規軍ではないかと。ただ確信は持てません。民兵か、傭兵か……討伐目的かどうかも分かりません」

「街道を外れているか」

「はい。この方向に真っ直ぐ向かっています」

 悟は少し考えた。討伐目的なのか、別の何かを目的としているのかは分からない。しかし、この方向に向かっているという事実だけで動く理由としては十分だった。

「距離は?」

「今のペースなら、一時間もあれば砦に着きます」

「分かった。下がれ」


 悟が仲間達を集めると、ナターナエルはすでに起きていて、骨付き肉を齧りながら「たたかう?」と聞いてきた。トニーとディーンは血の気が引くほど白い歯を見せてにやりと笑い、ハイタッチをした。

「よっしゃ、久々に暴れられるぜ!」

「最高の朝だな!」

「朝から元気ね。だからアメリカ人は嫌いなのよ」

「元気じゃない朝なんてないだろ!」

「人生は短い、楽しまなきゃ損だ!」

 サイラはため息をついて二人を一瞥し、悟に向き直った。

「人数と装備は?」

「三十人、武装あり。魔術師が何人混じってるかは不明だ。だが、ハンターは混じってない。恐らく正規軍だ」

「なるほど」

 サイラは静かに指を顎に当てた。

「厄介ですね」

「ああ。だから俺たちが行く」

 出発前、ディーンが悟の腕をぐいと引いた。

「そういえばサトル、新入りの事なんだけどさ」

「あのウェアウルフか」

「昨日目を覚ましたんだよ。背中の火傷もだいぶ良くなってる。で、どうも日本人っぽいんだよな。名前、リンタロっていうんだ」

 悟はわずかに足を止めた。

「日本人か」

「そうそう。サトルも日本人だろ? どんな国なんだ、日本って。寿司とアニメとニンジャの国?」

「まあ……大体合ってる」

「そりゃいつか行きてえな!」

「俺小さい頃ニンジャになりたかったんだ」

「俺もだ兄弟」

 二人は笑い合った。

「にしても、こっちに来てまだ一日しか経ってないのに、いきなりハンターに捕まってさ。まあ災難だったとしか言いようがないな」

「まあ、すぐ慣れる」

 そして、悟はふと思い出す。

「呪いの話はしたか?」

「したぜ」

 トニーが答えた。

「かなりショックは受けてたけど、折れてはなかった。なかなか根性あるぜ」

「サトルも同じ日本人同士、仲良くしてやれよ」

「近いうちにな」

 悟は答え、歩き出した。同じ国の出身だからといって、今更何を話せるというのか。それよりも今は、目の前の事に集中しなければならなかった。

 森は朝靄に包まれていた。

 悟を先頭に、サイラ、トニーとディーン、ナターナエル、その他旅団のモンスター達が音もなく木々の間を進んでいく。オーガやリザードマン、ウェアウルフ、その他異形。どれも一癖も二癖もある連中だが、戦いとなれば話が早い。モンスターにとって戦いは仕事であり、娯楽でもある。彼らの目は今から獲物を追う獣のそれになっていた。

 悟は腰の斧の柄を掴む。かつて人間の戦士から奪った戦利品だ。木の持ち手に、片刃の分厚い刃。鎧ごと叩き切れるので愛用していた。

「見えてきた」

 サイラが囁いた。悟は木の幹に背をつけ、前方を見据えた。

 街道を外れた獣道を、武装した人間の隊が進んでいる。鎧を着込んだ歩兵や弓兵。先頭と最後尾には槍兵が並び、隊列の中ほどにローブを纏った人物が数人歩いている。魔術師だ。旗はない。正規の兵ではなさそうだ。

 ひと通り確認し、悟は仲間達に視線を向けた。合図だけで動けるよう、事前に打ち合わせは済んでいる。

 サイラが霧に溶け、トニーとディーンが音もなく茂みの中を進む。ナターナエルは高所で見下ろし、他のモンスターもそれぞれ身を潜める。

 静寂が落ちた。

 仕掛けたのは、一瞬だった。

 悟が地を蹴り、先頭の槍兵の群れに斧を振り下ろした。鎧ごと肉体が二つに分かれ、悲鳴と怒鳴り声が一気に広がった。それを合図に四方から攻撃が始まる。整然としていた隊列はあっという間に崩れ、人間達の怒号が飛び交った。

「×××!!」

「×××××、×××!!」

 弓兵が悟に狙いを定めようとするが、トニーとディーンの投石紐による投石が物陰から頭を正確に撃ち抜く。白い霧が兵の背後に忍び寄り、気づいた時にはサイラの牙が喉に食い込んでいた。高所からナターナエルの白い巨体が地響きと共に降ってきて、その一薙ぎで兵が三人まとめて吹き飛ぶ。他のモンスター達も兵士達と戦う。中には人間に心臓を貫かれる者、首を落とされる者もいる。だが、モンスターは止まらない。

 敵の大将と悟が対峙した。一際分厚い鎧を着て馬に騎乗していたが、悟からすれば敵ではなかった。馬で駆ける大将に、敵よりも早く斧を叩き込む。鎧ごと胴を真っ二つにし、上半身が宙を舞った。

「イヤッホウ!!」

 トニーとディーンが同時に叫んだ。

 戦闘は短かった。隊が崩れれば、後は時間の問題だ。悟は戦場を動き回りながら斧を振るい、一人一人を確実に処理していった。感傷を挟む余地など、ここにはない。

 そう思っていた。

 岩に隠れて震える人間がいた。

 悟は足を止めた。岩陰に隠れていたその影は、武装していたものの、あまりにも若かった。十二、三歳といったところか。小さな身体を丸めて剣を抱え、岩の裏に背をつけて震えていた。目が合った瞬間、少年は口を手で押さえた。茶色い瞳に、涙が光っていた。

 殺せ。頭の中で声がした。見逃せば砦の場所を知られる可能性がある。この少年が戻れば、いずれ自分達を狩る側に回るかもしれない。論理的に考えれば、答えは一つだ。

 しかし悟の足は動かなかった。

 少年の震える小さな肩が、記憶の中の別の誰かと重なった。

 三年前の記憶は、今でも鮮明だった。

 あの日、悟は娘の優香と二人で近所の公園を歩いていた。弁護士として多忙な日々を送っていた悟にとって、優香と二人きりで出かけるのは月に一度あるかどうかという貴重な時間だった。五歳の優香は嬉しそうに悟の手を両手で握り、とめどなく喋り続けていた。

「パパ、あのね、ゆうかね、きのうね、ねこさんにあったんだよ」

「そうか、どんな猫だった?」

「しろくてね、おっきくてね、ゆうかのことなめたの。べろべろって」

「へえ、可愛いね。友達になれた?」

「うん! またあいたいな。パパも一緒にあいにいこ?」

「じゃあ明日行こうか」

「ぜったいだよ? ゆびきりする?」

 優香が悟の指に自分の小指を絡めた。悟はその小さな指の感触を覚えている。それが最後の記憶だった。

 次の瞬間に、黒い雲の隙間から青白い光が落ちた。閃光は二人に向かって真っ直ぐに落ちてきた。爆発するような轟音。全身を貫く衝撃。そして何もなくなった。

 目を覚ました場所は、見知らぬ酒場だった。

 優香は隣の席に座っていた。泣いていた。悟は咄嗟に優香を抱き寄せ、大丈夫だと何度も言い聞かせながら、向かいに座るスキンヘッドの男の話を聞いた。

「申し訳ない、私のミスだ」

 フェリックス・ドルビニーと名乗った男はそう言い、詫びとして転生させてやると続けた。

「親子共に幸せに暮らせる世界に送り込んでやる。悪い話じゃないだろう?」

「娘も一緒に転生できるのか」

「もちろん。それが条件だ」

「……分かった」

 選択肢などなかった。優香がそこにいる限り、どんな条件であっても頷くしかなかった。

 転生した先は、大雨の降りしきる湿地帯だった。

 気がついた時には、自分の身体がドラゴン獣人のものになっていた。赤い鱗に覆われた皮膚、人の形をしているが人ではない身体。雨は激しく、足元は泥で、辺りを見渡しても鬱蒼とした湿地が広がるばかりだった。

 近くに、小さなエメラルドグリーンの竜の子供が座っていた。ぐしょ濡れになって、泥の上で茫然としている。

「優香」

 声をかけると、竜の子供は顔を上げた。その目が悟を見て、次の瞬間に悲鳴を上げた。

「やだ!! こわい!! ちかづかないで!!」

「優香、俺だ。パパだ」

「ちがう!! パパじゃない!! パパどこ!! パパー!!!」

 優香は泥の中で後ずさり、大声で泣き続けた。悟は近づけなかった。自分の姿が優香を怖がらせている。鱗に覆われた爪、牙、翼。五歳の子供が見れば化け物としか思えない姿だ。

「優香、落ち着いて聞いてくれ。パパだ。ほら、声を聞いてくれ。パパの声だろう?」

「……パパ?」

 泣きじゃくりながら、優香は悟の声に耳を傾けた。

「そうだ。パパだ。怖くない、大丈夫だ」

「……パパ、なんでそんなかおなの」

「俺も分からないんだ。でも、パパだ。絶対に優香を守るから、怖くない」

 優香はしばらく泣き続けたが、やがてゆっくりと悟に近づき、恐る恐る悟の腕に触れた。そして、泣きながら抱きついてきた。

「パパ……こわかった……」

「ごめんな。もう大丈夫だ」

 しかし大丈夫では全くなかった。雨は止まず、食料も水もなく、どこへ向かえばいいかも分からない。周囲は湿地帯で、足場が悪く、優香の小さな脚では思うように歩けない。仕方なく悟が優香を抱き上げて歩き続けたが、方向の手がかりもなく、ただ歩くだけだった。

 一日が過ぎた。雨の中を歩き続け、人の気配どころか動物の気配すらない湿地帯を彷徨った。食べられそうなものは何もなく、悟は雨水を飲ませる事しかできなかった。優香は何度も「おなかすいた」と言い、悟は「もう少ししたらご飯食べような」と答え続けた。その「もう少し」がいつ来るのか、悟自身も分からなかった。

 二日目になると、優香はほとんど喋らなくなった。疲労と空腹で、悟の胸にぐったりともたれかかり、それでも小さな指で悟の服を掴み続けていた。悟の思考も、じわじわと追い詰められていった。弁護士として頭を使う事には慣れていたが、こういう状況での判断力は全くの別物だ。このまま歩き続けて事態は良くなるのか、止まって休むべきなのか、それすら分からなくなってきた頃だった。

 悟がハンターに囲まれたのは、二日目の夕方だった。

 気配に気づいた時には、すでに四方を囲まれていた。武装した人間が五人、弓を構え、杖を向けている。悟は優香を抱えたまま動けなかった。

「待ってくれ。攻撃するつもりはない」

 言葉は通じなかった。人間達は互いに何かを話し合い、そして一斉に動いた。悟は優香を庇いながら抵抗したが、二日間ほとんど食べていない状態で複数のハンターの攻撃を同時に受け、あっという間に膝をついた。

「優香、大丈夫か」

「パパ……」

 意識が遠くなる寸前、優香の小さな声が聞こえた。そして、優香を抱く自分の腕が引き剥がされる感触があった。

「優香!!」

 叫んだが、そこで意識が途切れた。

 目を覚ました時、優香はいなかった。

 石造りの部屋。鉄の拘束具が両手首と足首を繋ぎ、壁に固定されている。力を込めてもびくともしない。食事は与えられず、一日に一度、水だけが運ばれてきた。外の音は聞こえない。優香がどこにいるのか、生きているのかすら分からない。

 何日経ったのか分からなかった。三日か、四日か。時間の感覚が失われていき、ただ優香の事だけを考え続けた。どこにいる。無事でいるか。泣いていないか。怖い思いをしていないか。自分が助けに行かなければと、何度も拘束を引き千切ろうとして、手首がボロボロになるだけだった。

 そして数日後、扉が開いた。

 複数の人間が入ってきて、悟の拘束を繋ぐ鎖を壁から外した。引きずられるようにして連れて行かれた先は、石造りの通路の奥にある部屋だった。扉を開けられた瞬間、鼻を突く鉄の匂いが充満していた。

 部屋の中央に、小さな身体が横たわっていた。

 エメラルドグリーンの鱗は全て剥がされ、剥き出しになった皮膚は痛々しく赤く、変色していた。小さな角も、翼も、体から切り落とされ、近くの台に大量の鱗と共に置かれていた。再び横たわる小さな体に目を向ける。彼女はもう動いていなかった。

 悟は一瞬、世界が止まったように感じた。

 その後の事は、断片的にしか覚えていない。拘束が弾け飛んだ事は分かる。周囲にいた人間達が何かを叫びながら逃げ出した事も、何となく覚えている。しかし自分が何をしたのかは今となっては推察する事しかできない。気がついた時には身体が膨張していて、意識は遠いのに止められなかった。

 建物が崩れる轟音。人間達の悲鳴。自分の口から放たれた炎が、石造りの壁を溶かして崩していった。

 気がついた時には、廃墟の中に一人で立っていた。焦げた瓦礫が散乱し、黒く染まった地面が広がっている。雨はまだ降っていた。悟は獣人の姿に戻り、崩れ落ちた建物の前で、空に向かって叫んだ。竜の咆哮が雨の中に消えていった。

 岩の裏で震える少年が、悟を見上げていた。

 悟は自分にまだこんな感情が残っていたのかと驚いた。しかし、モンスター達の命を預かるボスである悟にその感情は不要なものだと判断し、深呼吸して振り払った。悟は表情を変えず、斧を振り下ろした。

 血の滴る斧を握りながら振り返ると、そこにはサイラがいた。

「見ていましたよ」

 口元の血をペロリと舐めたサイラは、悟に近寄る。

「迷ってましたね、一瞬。てっきり呪いで人間性は消え去ったものだと」

「俺もそう思ってた。どうやら呪いも完全ではないらしい」

 言いながら、サイラに目を向ける。

「俺を批判したければ好きにすれば良い」

「私情に流されなかったサトルに説教出来るほど私は偉くありませんよ」

「いいや、お前は特別だ。むしろ思った事は正直に言ってくれ。俺にだってそういう奴は必要だ。それがお前だ」

サイラは妖艶に笑った。

「じゃあさっきの正直な気持ちを。あなたの人間らしさが垣間見えたの、少し可愛くてキュンとしました」

 悟は笑った。

「お前、変な奴だな」

 

 周囲では、戦闘を終えたモンスター達が思い思いに動いている。ナターナエルは満足げに鼻をすんすんと鳴らしながら、死体の山を見渡す。

 すると、双子が声をかけてくる。

「サトル、味方の死者は三体だけだ」

「今日は少なかったな」

「お前らの手際が良かったからな」

 悟はアース旅団がかつてないほど力をつけてきていると実感する。このまま順調に進めば、秘めた野望も夢の話ではないと思った。

「サトル、ニンゲン、もってかえるか」

「持ち帰れる分は持ち帰る」

 その声を聞いたウェアウルフの女が顔を顰めた。

「私は食べませんよ」

 悟は女を見る。彼女も一月前に入った新入りで、まだドルビニーの呪いの進行が少ないようだ。

「無理強いはしない」

 そうは言いつつ、もう一月後には獣同様になり、人の肉を欲するようになるのだろうと思った。同情心は沸かなかった。

 砦への帰路は、賑やかだった。

 戦闘が終われば、モンスター達のテンションは跳ね上がる。トニーとディーンは戦闘中の武勇伝を大声で語り合い、モンスター達は人間の死体を引き摺りながら獲物を仕留めた時の話で盛り上がり、ナターナエルは担いだ死体を見ながら涎を垂らしていた。

 悟だけが、静かだった。悟はサイラと並んで、少し遅れて歩いた。

 しばらく黙って歩いた後、サイラが口を開いた。

「考え込んでますね」

「まあな」

 悟は続けた。

「三年この世界にいて、人間を何人殺したか、最初の頃は数えていた」

 サイラは何も言わなかった。

「いつの間にか数えるのをやめた。それが正しかったのかどうか、俺には分からない」

「正しいかどうかに正解なんてありませんよ。人によって見え方は変わるものです」

 悟は足を止めた。夜明けの光が木々の間に差し込み始め、サイラの白い肌を薄く照らしている。その目は静かに悟を見ている。

「モンスターは皆が孤独だ。誰かが上に立って導いてやらなければ、いつか全員が死ぬ」

「そうですね」

 そして、数秒の沈黙が流れ、悟は口を開いた。

「俺は魔王になる」

 その野望を言葉にしたのは初めてだった。自分の中でずっと形になりかけていたものが、声に出た瞬間に輪郭を持った。

「人間に脅かされる事なくモンスターが暮らせる場所を作る。ハンターや他の人間に怯えず、毎日命を賭けずに生きていける場所を。そのためなら、俺は何でもやる」

 サイラはしばらく悟を見ていた。その表情に驚きはなく、かといって軽々しく賛同する色もなく、ただ静かにこちらを見ていた。

「随分と大きな話ですね」

「夢じゃない」

「そうですね」

 サイラは少し目を細めた。

「魔王でも神でも、どんな悟にだって私はついて行きます。最後まで」

「お前は俺が魔王になれると思うか」

「思います」

 迷いのない答えだった。悟はサイラを見た。三年間、ずっと隣にいた。何も聞かずに、ただ隣にいた。

 悟は何も言わなかった。前を向いて歩き出す。サイラがその隣に並ぶ。

 前方ではモンスター達の賑やかな声が聞こえた。

 砦まで、もう少しだった。

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