アース旅団
夢を見ていた。大雨の森の中を走る夢だ。ぬかるんだ地面に足を取られながら走り、振り返れば殺意のこもった目をした狩人と魔法使いが追いかけてくる。とうとう泥に足を滑らせて倒れ、大勢に囲まれ、無数の矢と閃光が降り注いで、背中に激痛が走った瞬間に目が覚めた。
十秒ほど天井を見つめ、夢だったと結論づけかけた。しかし視界がはっきりしてくるにつれ、倫太郎は嫌というほど現実に引き戻される。
石造りの部屋。所々崩れた壁、あちこちに張った蜘蛛の巣、カビの匂い。廊下側の壁は一面が鉄格子の檻になっているが、扉は開け放たれていた。監禁されているわけではないらしい。そんな部屋の隅で、倫太郎は藁の上に敷かれたカビ臭い毛皮に横になっていた。灰色の毛に覆われた巨大な身体のまま、獣の姿のまま。
夢じゃなかった。大きな手のひらの肉球を目元に押し当てる。上半身には包帯が巻いてあった。誰かに手当てをしてもらっている。
状況を整理しようとした時、裸足が石を踏む音が近づいてきた。一人ではない。倫太郎は素早く上体を起こし、身構えた。何が来ても即座に動けるように。
足音は躊躇なく近づいてきて、倫太郎の目の前に姿を現した。くすんだ緑色の小さなモンスター。ぱっと見でそれがゴブリンだと理解できた。唐突に視界に現れるモンスターに、倫太郎の巨大な体が飛び跳ねた。
「バ、バケモノッ!? く、来るなッ!!」
情けない声が出た。腰を抜かして尻餅をつき、部屋の隅まで這いずって小さくなった。二人のゴブリンはきょとんとして互いの顔を見合わせ、それから声もなく頷き合い、にやりと笑った。次の瞬間には二人揃って両手を顔の横に掲げ、牙を剥き出しにして叫んだ。
「ギャオオオオ!! 喰ってやるゥ!!」
倫太郎はきょとんとした。そして気がついた。自分も化け物だという事に。ゴブリン達も自分と同じだという事に。彼らの芝居がかったからかいに、ふつふつと羞恥心が込み上げてきた。倫太郎は耐えきれずに部屋の隅で小さくなったが、この巨体でどれだけ縮こまっても大して小さくはなれなかった。
「ぶははははっ!」
二人同時に笑い転げる。倫太郎は逃げ出したいのを何とか堪えた。
「す、すみません。取り乱しちゃって」
「いやいや、こっちこそからかって悪かった」
「ついやっちゃうんだよな」
「悪気はない」
「嘘じゃない」
二人は文章を区切って交互に喋るという器用な真似をしていた。観察してみると、二人は何もかもが寸分違わず同じだった。一メートルをわずかに超えるくらいの小柄な体格、頭の脇からひょろりと伸びた長い耳、ギョロッとした目、くすんだ緑の肌、魔女のように尖った鉤鼻。二人が同じ種族だから似ているのかと一瞬思ったが、さっきの話し方のおかげで双子なのだと分かった。
「自己紹介が遅れたな」
「こいつがトニーで」
「こいつがディーン」
二人は位置を入れ替える。
「俺がディーンで」
「俺がトニー」
もう一度位置を入れ替える。
「見ての通り」
「双子の兄弟だ」
「覚えやすいだろ?」
「絶対間違えるなよ?」
彼らなりのジョークで和ませようとしてくれてるのは分かった。悪い連中ではなさそうだと分かり、倫太郎は少しだけ息をついた。言葉が通じている事が気になった。人間の狩人達とは一言も通じなかったのに、欧米系の名前を持つゴブリンと普通に会話できている。疑問ではあったが、自己紹介に自己紹介で返さないのも失礼だ。「どうも、倫太郎です」とそう返した。
「そうか、リンタロって言うのか」
「よろしくな、リンタロ」
名前の発音に少し違和感があったが、気にしても無意味だと思った。倫太郎は一旦座り直し、咳払いをする。
「あの、ところで、俺はどうしてここに?」
「ああ、そうそう。説明しようと思ってたんだ」
二人は急に真面目な顔になった。
「こう見えて、俺たちはモンスターハンターの一味さ」
俺は首を傾げた。モンスターハンター、それってつまり、モンスターを狩る奴って事だよな、と考える。そう疑問に抱いてる間も、彼らは続ける。
「仲間がリンタロを捕らえてきてね」
「商人に売っ払うまでここに閉じ込めてるって状況さ」
「いやあ、災難だったね」
「でも同情はしない」
「運が悪かったと諦めてくれ」
倫太郎はごくりと唾を飲んだ。冷や汗がじわりと額を伝うのを感じた。やっぱり俺は捕まってたのか。どうにかして逃げないと、と考え、力づくで行けるだろうかと頭が動き始めた瞬間。
「まあ嘘だけどね」
「騙された? ねえ騙された?」
俺は頭を押さえた。
「クソッタレが」
思わず口から普段は控えてる汚い言葉が出た。双子は腹を抱えて笑い、「悪い悪い」と謝った。
「本当は、ハンターに捕まったリンタロを仲間達と救出したんだ」
「これは本当だ」
「拠点に連れ帰って怪我を治療した」
「背中をひどくやられてたからな」
「地下牢に寝かせてたのは、場所が空いてたからだ」
「深い意味はない」
俺は弓を持ったハンターと魔法使いに殺されそうになったことを思い出す。
「……俺、あのハンター達に殺されそうだったんですか」
二人は倫太郎の目を見て、重く頷いた。
「殺されるか」
「もしくはもっと恐ろしい目に遭わされるか」
「少なくともドーナツと冷たいコーラをご馳走してくれるような待遇は期待出来ない」
「そうですか……なんというか、頭が追い付かなくて。すみません、命の恩人だってのにあんな失礼な態度を取ってしまって。本当にありがとうございます」
倫太郎は深々と頭を下げた。
「いやいや、俺たちはただ居合わせただけさ」
「それに、ちょっとした下心もある」
「半分は俺たちの目的の為に助けたようなもんだ」
「目的、ですか」
「ああ、俺らは孤独なモンスターを仲間に引き入れて、組織としての力の底上げを図ってる」
「詳しくは後で教えてやる」
「それより怪我は平気なのか」
倫太郎は肩甲骨のあたりを少し動かしてみた。火傷の跡から激痛が走るが、我慢できる範囲だった。不思議な事に、それ以外の矢傷は跡形もなく消えていた。
「まあ……大丈夫そうです」少し強がった。
「ウェアウルフは良いな」
「あっという間に傷が治っちまう」
「知ってたか? その肩、昨日は殆ど炭化して、溶けた肩甲骨が剥き出しだったんだぜ」
冗談かと思ったが、二人の顔にからかいの気配はなかった。
「まあ、傷も治りかけてるようだし、案内してやろう。仲間にも挨拶しとけよ」
「おまえもアース旅団として生きていく事になるんだからな」
地球旅団、という意味だろうか。変わった名前だと、倫太郎はその程度に思った。
「それはそうと、着られるものってあります? こっちに来てからずっと服がなくて……」
「服かあ」
「あんま沢山は置いてないんだよなあ」
それは薄々分かっていた。二人自身が継ぎ接ぎだらけの毛皮の腰巻きしか着ていない。ある程度の覚悟はしていた。それでも、渡されたのがカーテンを引きちぎったような腰巻きだったのには絶句しかけた。
「こ、これだけですか?」
「おまえデカイんだよ」
「安心しろ、みんなこんなんだし、すぐ慣れる」
渋々身につけた。ないよりはずっとましだ。
「これどう見ても変態じゃないですか」
「人間ならな。だが俺達はモンスターだ」
「むしろガッツリ服着てた方が違和感ありそう」
「お前の骨格は狼ベースだからな、人間の服がそもそも似合わない」
「ウェアウルフなら大層な服なんていらないだろ」
「俺はウェアウルフでも化け物でもない。人間です」
茶化されると思ったが、二人は少し困ったような、同情するような目を向けてきた。
「なあリンタロ。フェリックス・ドルビニーと会ったのはいつだ」
聞き覚えのある名前に、倫太郎は思わず身を乗り出した。
「知ってるんですか、その男を!」
「おいおい落ち着け」
「おまえデカイから気迫がすごいんだよ、ちびっちまうだろ」
二人が三歩下がった。
「知ってるもなにも、この世界のモンスターは皆ヤツに出会ってる」
「それってまさか……」
「そのまさかだ。この世界に存在するモンスターは全員元人間だ。だが一旦それは置いといて、まず質問に答えてくれ」
倫太郎は息を吐き、毛皮の上に座り込んだ。
「お前はいつこの世界に来た」
「昨日です。こっちに来た時にはもうこの姿に……」
「なるほど、こっちに来て早々に命を狙われるとは災難だったな」
「でも、来て一日ってんならリンタロの人間臭さも納得だ」
「どういう意味です」
倫太郎は眉をひそめたが、二人はもったいぶって答えなかった。
「口で説明するより実際に見た方が早い。ついて来いよ」
立ち上がってみると、改めて自分の規格外ぶりを実感した。直立すると頭が天井に当たり、トニーとディーンの頭が倫太郎の腰より低い位置にある。頭をぶつけないよう背中を丸めながら、二人の後ろをついて歩いた。
「そう言えば、ウェアウルフって言いましたよね」
「まあな」
「多分合ってるだろ」
「ウェアウルフって、普段は人間の姿ですよね。俺も人間の姿に――」
「無理だ」
「仲間に他にウェアウルフはいるが、変身できるやつは一人もいない」
「フェリックスにそんな優しさを期待するだけ無駄だな」
俺はがっくしと項垂れた。
廊下に出ると、背中を九十度に折り曲げた老人のような男が箒で床を掃いていた。腕が四本あり、二本で大きな箒を持ち、一本はちり取りのようなものを、残りの一本は酒の瓶を握っている。「目が覚めたかい、新入りくん」黄色い歯を剥き出しにして笑った。倫太郎は「どうも」と会釈した。
「俺らはリンタロに団員になってほしいとは思うが、強制はしない」
「食住の保証されたアース旅団の一員になるか、ハンターに命を狙われながらサバイバル生活をするか、選ぶのはリンタロ次第さ」
選択の余地など、どこにもなかった。三人は裏口から外へ出た。そこで初めて、今いるのが廃棄された砦だと分かった。苔むした外壁は半分以上が倒壊していて防壁としては機能しておらず、地面は背の高い雑草に覆われ、今にも崩れそうな監視塔が傾いている。それでも倫太郎の耳は、砦の中から生活の音を拾い上げた。かなりの数の者がここで暮らしているらしい。だが、モンスター達とすれ違う時に違和感を感じる。仕草に人間らしさは感じられず、鹿の足を生のまま齧り付くモンスターさえいる。
「どういう事ですか? みんな人間だったんじゃ……」
「元は、な。みんな変わったんだ。ほとんどの奴は完全に別物になった。俺らも含めてな」
倫太郎はまだうまく理解できずにいた。
「あの古井戸が見えるか」
双子の一方が背の高い雑草の向こうにある苔むした井戸を指差した。
「中を覗いてこい。それだけできっと理解出来る」
倫太郎は二人と井戸を交互に見てから、言われた通り歩いた。五メートルほど近づいたところで立ち止まった。井戸から何か、強烈な匂いがする。鼻は答えを教えようとしていたが、倫太郎は慌てて手で鼻を塞いだ。
「どうした」
「酷い匂いですよ」
「だろうな。そこは枯れ井戸でな、ゴミ捨て場として転用してる」
「ゴミ? なんでそんなものを……」
言いながら俺は中を覗き、ギョッとして尻餅をついた。中にあったのは、大量の人間の死体。それも、恐らく喰われた後の余りの部位のみ。
倫太郎は慌てて匂いの届かない場所まで離れ、大きく深呼吸をした。そして振り返った。
「まさか……ここの連中は人を喰うんですか」
「主食にしてる訳じゃないが、殆どの奴が人を喰ってる」
「そしてあの井戸に食い残しを捨ててる」
思わず吐き気が込み上げた。
「頭おかしいんじゃないのか」
「ああ、まさにその通りだ」
「何がその通りだ……俺を馬鹿にしてんのか」
怒りで肩が震え、拳を固く握った。
「ドルビニーの呪いだ」
「あ?」
「俺たちはそう呼んでる。最初はみんなお前と同じなんだよ。体は変わっても、心は人間だと信じる。」
「でも変わってくんだ。時間が経つごとに、心がどんどん本物のモンスターになって行く。」
「喧嘩なんてした事ない奴が日に日に凶暴になり、人間を友達だと思ってた奴が日に日に人間を食料と認識するようになる。」
「人間性がどんどん失われて行き、モンスターによっては言葉すら喋れなくなる。」
「そして最後は、見た目通りの本物のモンスターに成り果てる」
怒りがどんどん引いていくのを感じた。代わりに、深いところから恐怖が湧き上がってくる。
「どう足掻いても無駄なんだ。抵抗しようにも、自分自身の変化に気づく事すら出来ない。」
「人を絶対喰わないと宣言した奴が、ある日当たり前のように人の肉に喰らいつく光景を俺たちは何度も見てきた」
足から力が抜けて、地面に尻をついた。
「ただ、理解して欲しい。俺たちはリンタロを怖がらせたくて言ってる訳じゃない。ここにいる皆は、好きでこうなった訳じゃないんだ。」
「 皆が自分の理性を守ろうと戦った。だから皆の事を嫌悪しないでやってくれ」
倫太郎は震える手で口を押さえる。
「フェリックス・ドルビニー。奴は自らが殺した人間を口車に乗せ、呪いをかけて野に放ち、高みの見物をして楽しんでいる」
「たったそれだけの為に、俺を余興の駒にするために、殺して呪いをかけたって事ですか」
二人は頷いた。
「あいつは神なんかじゃない。性根腐り切った悪魔さ」
急激に気持ちが悪くなった。胃の中身が逆流し、長く何も食べていなかったので出てきたのは胃液だけだった。
「大丈夫か?」
「早めに伝えておくのが一番だと判断した」
二人は手を差し伸べた。
「大丈夫……少し休ませてください」
「ああ、戻ろうか」
立ち上がると、いつの間にか周囲にモンスター達が集まっていた。皆が同情するような目を向けてきて、居心地が悪い。その中に、倫太郎と同じ灰色の毛皮のウェアウルフがいた。体つきから女性だと分かった。倫太郎は目を伏せ、二人に続いて裏口から戻った。
昨日から何も食べていないのに、食欲は湧かなかった。水差しごと中身を飲み干してから、地下牢の毛皮の上に横になった。
母親と弟の顔が浮かんだ。二人の事を思えば思うほど、両目から涙が溢れてきた。
「母さん……俺、帰りたいよ。こんなの嫌だ。モンスターなんかになりたくない」
いつかは必ず訪れる、人間性の終焉。心まで本物のモンスターになって、人を喰らう。倫太郎は毛皮の毛布に爪を立てた。いとも簡単に引き裂けてしまったが、そんな事には構わなかった。
「そんな事……あってたまるか。俺は絶対に化け物になんてならない。呪いだか何だか知らないが、絶対に耐えてやる。見てろよフェリックス・ドルビニー」
倫太郎は肉球に食い込むほど強く拳を握りしめた。
「俺は必ず人間に戻る。そして、元の世界に帰るんだ」




