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俺は人間だ!!  作者: 野狐


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13/14

 新しい魔王の演説が終わり、中庭に歓声が満ちていた。

 咆哮、叫び声、翼を打つ音が重なり合い、砦の石壁が震えた。新入りも古株も、四足の者も直立する者も、皆が同じように沸き立っている。

 倫太郎だけが、黙って立っていた。

 悟の言葉は分かった。安心して暮らせる場所を作る。脅かされずに生きていける世界を。それ自体は間違っていないと思う。しかし倫太郎の目には、壇上に立つ悟が別の何かに見えた。

 百を超えるモンスターが熱狂している。その全員が、あの男の一言で動く。あの男が戦えと言えば戦い、殺せと言えば殺す。熱狂の中にいる者達に、自分で考える余地はあるのか。

 まるで独裁者だ、と倫太郎は思った。

 きっとこれからも人間との戦争は続く。悟は持ち前のカリスマで皆を従え、大勢の人間を殺していくのだろう。先日の村のように。焼き尽くされた兵士達のように。それが正しいのか間違っているのか、倫太郎には判断できなかった。しかし、その流れの中に自分も組み込まれているという事実が、胸の奥にじわりと沈んでいった。

 自分はここにいて良いのか。

 その問いが頭の中でぐるぐると回り、歓声の中でひとり取り残されたような気分だった。そしてその問いの裏側に、もう一つの問いが滑り込んでくる。

 いつか自分も、今ここで叫んでいる者達と同じになるのか。

 倫太郎は自分の手を見た。灰色の毛。黒い肉球。爪。これはまだ自分の手だと言えるか。周囲の歓声が、どこか遠くから聞こえてくるような気がした。


 その日は月が雲に隠れている。だが、ウェアウルフの倫太郎には暗闇だろうが視界は良好だ。前は人間の常識に倣って昼に狩りをしていたが、最近は夜に狩りをした方がずっと効率的だと気がついた。初めてそれを知った時は、なんでこんな簡単な事に気付かなかったのだとカルラと笑ったものだ。

 倫太郎とカルラは暗闇で動きの鈍くなった鹿を容易く仕留めた。それからそれぞれが仕留めた鹿を抱えて砦に向かって歩いていた。

 数日前と比べると、二人の装いは全く変わっていた。砦でモンスターが増えたおかげで、服の仕立てができるようになっていた。倫太郎は今、腰巻き一枚だった頃とは比べ物にならない、ちゃんとした毛皮の上着と丈夫な麻のズボンを身につけている。カルラも動きやすい上下を着込んでいた。二人とも鹿を一頭ずつ担ぎ、夜の森を歩く。今日の狩りは上々だった。

 しばらく黙って歩いてから、倫太郎は口を開いた。

「昨日の演説、どう思った」

「サトルの?」

「ああ」

「なんで急に?」

 倫太郎は少し黙って、そして答えた。

「正直複雑なんだ。俺とあいつは完全に正反対だ。何もかも違い過ぎて、正直ついていける気がしない」

「なるほど」

 カルラは少し考えてから答えた。

「あいつが作ろうとしてる世界は、悪くはないと思う。モンスターが安心して暮らせる場所は必要だから」

「それは分かる。俺だってその恩恵に預かってるからな」

「でも、その為に人間を大勢殺すのは……正直、私も複雑よ。元は人間だったんだから」

 倫太郎は頷いた。

「作戦の為とはいえ、無実の村を襲うか?」

「それが正しいとは言わないけど、それはモンスターに限った話じゃないよ。人間だって昔は戦争の時に当たり前のように村を焼いてた」

「確かにそうか」

 しかし、まだ納得はできない。

「俺にはアイツが独裁者に見えた。あれだけの人数が、あの男の言葉一つで動く。自分で考えてる奴がどれだけいるか分からない」

「そうね、大体合ってると思う」

 カルラは鹿を担ぎ直した。

「でも、サトルは強制する奴じゃないと思う。少なくとも、嫌なら出て行けるし、戦いも志願制だよ。きっとこれからも自由を侵害するような真似はしないんじゃないかな。今まで見てきた限りでは」

「それは、そうかもしれないけど」

「全部に納得できなくても、ここが一番安全だって事は確かでしょ。多分、モンスターの唯一のコミュニティがここなんだから。仮に独裁者だとしても、十分恵まれてるよ」

 倫太郎は答えなかった。カルラの言葉は分かる。分かるが、納得し切れない何かが胸の中に残った。

 二人はしばらく黙って歩き続けた。木の葉が風に揺れ、コオロギの声がした。砦が見えてきた頃、倫太郎はもう一度自分の手を見た。灰色の毛と黒い肉球。いつになっても慣れない獣の手。この手を見る度に、母が迎えてくれた温かい家が恋しくなった。


 ある日の夜、倫太郎は砦の広場でカルラを待っていた。今日も一緒に日課の狩りに出る予定だった。空は雲一つなく、砦の石壁に月の光が当たっていた。

 カルラがいつものように「お待たせ」と言いながら姿を現した。倫太郎は二度見をし、思わず絶句した。

 カルラは服を着ていなかった。

 一切、何も。毛皮の上着も、麻のズボンも、全て脱いでいた。毛皮のおかげで細部はよく見えないからと言って、正気の沙汰ではない。カルラは何の気もなさそうに広場を歩いてくる。その足取りは軽く、特別な事など何もないといった雰囲気だった。

「カルラ、なんで裸なんだ」

「ん?」

「服はどうした」

 カルラは首を傾げた。

「服なんてただの装飾でしょ?動きの阻害にしかならないのに、着る意味無いって」

「いや、意味とかじゃなくて……」

「そもそも服は人間の習慣であって、私達には必要ないものでしょ。リンタロウもいい加減そんなみっともない勝手やめなよ、別に無理は言わないけどさ」

 倫太郎は目をカルラから逸らし、眉間を押さえながら言葉を選んだ。

「カルラ、女のお前が人前で簡単に裸になるもんじゃ無い。冷静に昨日までのことを思い出してくれ、一度だって裸のまま外に出た事無いはずだ」

 カルラは本当に分からないという顔で首を傾げた。

「服を着るオオカミはいない」

「俺達はオオカミじゃ……」

「何でそんな当たり前のことを聞くの?」

 逆に聞き返された。カルラの目は真剣だった。悪ふざけをしているわけではない。本心からそう思っている。疑問を持つ側がおかしい、とでも言いたげな顔だった。

 考えるまでもなく、これはドルビニーの呪いだ。先日の生肉の件然り、また新たに人間性が消えていった。

「カルラ、これは呪いの進行だ」

 倫太郎は真剣に言った。

「約束を覚えているか。変化に気づいたら指摘し合うと」

「変化じゃない。これが正しいと気づいただけ」

「気づいたんじゃない、変わったんだ」

「うるさい」

「カルラ、人としての尊厳を見失うな」

「うるさいって言ってるじゃん」

 カルラの声に棘が出てきた。倫太郎は引かなかった。自分の上半身の服を脱いで押し付け、「今すぐこれを着ろ」と言った。カルラはそれを払ったが、倫太郎は再度差し出した。カルラの目が険しくなった。

「いらない! そんな小さな事で私に構わないで」

「全然小さく無い! 頼むから人間だった時の感覚を思い出してくれ!」

「あんたの常識を押し付けないで!」

「人間の常識だ!!」

 カルラが倫太郎を押しのけた。

「聞け、カルラ!」

「うるさい!」

 カルラが倫太郎の顔面に掴み掛かる。爪が皮膚に食い込んだ。その腕を咄嗟に掴み、振り解く。その時に倫太郎の爪でカルラの腕の皮膚が裂けた。

 二人は互いに掴み掛かる。互いの爪が肉に食い込み、血が流れる。二人の口から言葉は出てこなくなった。代わりに、歯茎と牙が剥き出しの口から出た獣の唸り声が互いを威嚇する。

 カルラが低い唸り声を上げながら倫太郎に爪を振り下ろす。腕で防いだが、血は飛び散る。倫太郎も唸り声を上げ、カルラの肩を掴んで押し倒そうとする。カルラは体を捩って逃れ、逆に倫太郎の背中に回り込み、噛みつく。それを倫太郎が手で押さえ、逆に噛みつき返す。

 何度も石畳を転がり、爪や牙を互いの肉に突き立てながら激しく絡み合う。カルラは体格差をものともしない素早さで倫太郎の傷を増やしていく。倫太郎は力で押し返そうとするが、カルラは素早い動きで崩してくる。石畳の上を転がりながら、二人の唸り声が広場に響いた。

 最終的に、倫太郎は顔から地面に叩きつけられた。カルラが頭を地面に押さえつけ、動けなくなった。

 荒い息が出た。二人の腕に、身体に、顔に、爪や牙の傷が幾つもある。石畳の冷たさが頬に伝わった。

 カルラは倫太郎の頭から手を離し、立ち上がった。

「もう構わないで」

 それだけ言って、どこかへ歩いていった。足音が遠ざかり、広場に静寂が戻った。

 倫太郎は地面に伏せたまま、しばらく動けなかった。


「いやあ、やられたな」

 聞き慣れた声だ。トニーとディーンが壁際に寄りかかって、こちらを見ていた。いつからいたのか分からない。

「見てたのか」

「最初から」

「面白かったぜ」

「……笑い事じゃない」

「そうか?」

 トニーが壁から離れ、倫太郎の近くにしゃがんだ。ディーンも反対側にしゃがんで、倫太郎の顔を覗き込んだ。

「呪いってのはそういうもんだよ。少しずつ変わっていく。止められない」

「何か方法があるはずだ」

「無いね。何十人も見てきたが、結果は同じだ」

「だとしても……」

 それ以上は言葉が出なかった。倫太郎は起き上がる。身体中の傷がズキズキと痛む。

「一つ聞いていいか、リンタロ」

「何だ」

「お前、自分はまだまともだと言い切れるか」

 倫太郎は答えようとして、止まった。

「まともじゃない、と?」

 少しの沈黙が流れる。

「さっきの喧嘩、人間の喧嘩だったか?」

「牙を剥いて、唸り声上げて、爪で引き裂いて。あれは獣そのものだったぞ」

 倫太郎は言葉を失った。指摘されて初めて気がついた。自分の体を見下ろすと、爪や牙の傷が幾つもある。あの取っ組み合いの間、自分が何を考えていたか。言葉は出ていたか。思い返すと、途中からほとんど唸り声しか出ていなかった気がした。カルラを止めようとしていたのか、それともただ狼の本能のまま暴れていたのか、自分でも分からなくなっていた。

「俺は……」

「いいよ、答えなくて」

 ディーンが立ち上がった。

「ただ、覚えておけよ。カルラだけじゃなくて、お前も変わってる」

 二人は去っていった。倫太郎は一人、広場に残された。石畳の上に座ったまま、しばらく動けなかった。


 翌朝、倫太郎は砦の外に出た。

 広場の向こうで、遠征に向かう一団が集まっていた。武装したモンスター達が列をなし、出発の準備をしている。声を掛け合い、荷物を確認しながら動いている。その中に、カルラがいた。

 昨日と同じく、服は着ていない。他のモンスターと並んでいるが、誰も彼女が服を着ていない事を変に思っている様子はない。

 目が合った。カルラはすぐに視線を外した。倫太郎も何も言えなかった。何か声をかけたかったが、出てこなかった。

 一団が出発していくのを、倫太郎は見送った。カルラの背中が列の中に紛れ、小さくなってゆく。

 倫太郎はその場で長い間考えた。昨日の自分は正しかったのか。服を着るよう強制しようとした。約束を盾にした。カルラが変わっていくのが怖くて、その変化を否定しようとした。

 しかしカルラはカルラだ。呪いで変わっていっても、それでもカルラだ。倫太郎が変えようとするのは、変わっていく彼女を受け入れたくないという、自分自身の恐怖から来ているのかもしれない。

 変わっていくカルラを、そのまま受け入れる事が友というものではないか。変化を指摘する事は続けていい。でも、変わった姿を否定するのは違う。

 倫太郎は決めた。

 帰ってきたら謝ろう。そして、これからどんな姿になっても、カルラはカルラだと伝えよう。


 遠征隊が帰ってきたのは、翌日の夕方だった。

 倫太郎は砦の門の近くで待っていた。満足気な様子のモンスター達が次々と戻ってくる。怪我をしている者も多い。倫太郎はカルラの姿を探した。

 見当たらなかった。

 最後の一人が門を通り過ぎても、カルラはいなかった。倫太郎は帰ってきた者の一人に声をかけた。

「カルラは」

 相手は少し間を置いてから答えた。

「死んだ」

「……は?」

 倫太郎は動けなかった。

「ハンターに囲まれてな。助けに行く間もなかった。死体は置いてきた」

 それだけ言って、その者は砦の中へ入っていった。

 倫太郎は門の前に立ったまま、しばらく何も考えられなかった。頭が処理を拒んでいた。死んだ。カルラが死んだ。三日前まで一緒に狩りをしていた。そして二日前に喧嘩した。謝ろうと決めた。帰ってきたら伝えようと決めた。

 しかし帰ってこなかった。

 倫太郎は森へ向かって歩き出した。砦から遠ざかり、木々の間に入り込み、誰もいない場所まで歩いた。夕暮れの光が木の間から差し込んでいて、葉が赤く染まっていた。

 そして叫んだ。

 言葉ではなかった。獣の咆哮だった。木々が震え、鳥が飛び立った。叫んだまま地面を殴り、幹に体当たりし、暗くなった森の中を意味もなく走り回った。爪で木の幹を引き裂き、頭突きをし、それでも何も変わらなかった。カルラはもういない。謝れなかった。伝えられなかった。

 やがて体が動かなくなり、倫太郎は地面に倒れた。荒い息が収まらない。地面に顔を押し付けたまま、涙が地面に染みた。

 ずっと泣いた。

 そうしながらも、倫太郎は心のどこかで確かめていた。自分はまだ泣ける。まだ悲しいと感じている。まだここに残っている。

 それだけが、今夜唯一の確かなものだった。

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