魔王の砦
朝の砦を、悟は一人で歩いていた。
以前ならこの時間、砦の中はもう少し静かだった。見張りが交代し、夜行性の者は眠り始め、早起きの者が食料庫から何かを持ち出す程度の動きしかなかった。今は違う。廊下のあちこちで声が聞こえ、外から金属を叩く音が響き、食料庫の前では順番待ちの列ができている。
砦が、生きている。
悟はまず外壁の内側を歩いた。城壁の上では見張りが交代で立ち、遠くまで目を配っている。以前は死角だらけだったが、今は飛行できる個体複数が交代で常に上空を巡回しているおかげで、砦の周囲数キロは常に監視下に置かれていた。
中庭を抜けると、砦の東棟に新しく作られた区画がある。人数が増えるのを見越し、使われていなかった棟を順番に整備していった。その一角に、悟が視察に向かう工房があった。
扉を開けると、金属を叩く音と革を縫う音が混ざり合って出迎えた。
工房を仕切っているのはトラ獣人の個体で、生前は鍛冶職人だったらしい。縞模様の毛皮を持つその体は、並みのモンスターを凌駕する力があり、鉄を叩く腕力も並外れている。しかしそれ以上に、この個体が持っているのは技術だった。人間用の武具をモンスターの体格や骨格に合わせて作り直す、という作業を黙々とこなしていた。
「調子はどうだ」
「問題ありません。ただ、素材が足りない。鉄と革の補充のペースを早めて貰わないと生産に追いつきません」
「次の遠征で優先して調達させる」
「ありがたい。それと、これを見てください」
ゴーレムは作業台の上に置かれた一揃いの装備を示した。四足歩行の個体向けに作られた胴鎧で、通常の鎧とは根本的に構造が違う。脚の付け根の可動域を確保しながら、腹部と側面をしっかりと守る設計だ。
「テストした個体の評判は良かったです。動きが阻害されないと言っていました」
「良い仕事だ」
悟は鎧を手に取り、重さと作りを確かめた。丁寧に作られている。人間から奪った装備を流用していた頃とは比べ物にならない質だった。
「機械を使わない鍛治にはまだ慣れませんが、いずれサトル様の為の最高品質の鎧や武器も私めがお作りいたします」
「そうか、期待しているぞ」
工房を出て、隣の区画に向かった。こちらは薬草の処理と治療を担当する場所で、仕切っているのは生前に薬剤師だったというコボルトだ。小柄な体で棚の前を飛び回りながら、薬草を分類し、乾燥させ、調合している。
「負傷者の回復は?」
「先週の遠征で出た怪我は全員処置済みです。ただ、一体は傷が深くて完全回復まで安静にしてもらう必要がありますね。無理に動かすと、後遺症が残ります」
「分かった。他に必要なものは」
「包帯と清潔な布を。それと、あの森の東側にしか生えない薬草があります。おそらく地球になかった品種ですが、止血効果が高い。標本はあるので、同じものを採取してきてくれると助かります」
「なら標本を預けてくれ。次の斥候に持たせる」
コボルトはサンプルを箱から取り出し、悟に預けた。こういう者達がいるおかげで、砦の維持が格段に楽になっていた。生前の知識や技術を持つ個体は、それだけで大きな戦力になる。
視察を続けながら、悟は砦の変化を改めて感じていた。食事の質が上がり、寝床が整備され、怪我をしても治療を受けられる。以前は質の低い原始人や獣のような生活だったが、今は少しだけ文化的な生活を送れている。
それでも、課題は山積みだった。
視察の途中で、部下の一人が駆け寄ってきた。
「報告があります。人間の斥候を五人捕らえました」
「どこで」
「砦から二キロほど東の森の中です。こちらに向かっていたようで、装備から見て正規の軍ではなく、民間のハンターかと」
「連れてこい」
捕らえられた五人は、砦の一角に縛られて並んでいた。年齢は様々で、若い者から中年まで。全員が武装しており、偵察目的で動いていたのは明らかだった。
サイラが悟の隣に立った。
「どうしますか」
「生かしておく理由があるか」
「交渉の材料にはなりませんね。言葉が通じない以上、尋問もできない。情報を引き出す手段もない」
「砦の場所は既に知られている。この五人を生かして返せば、こちらの戦力や内部を詳しく報告される」
「ええ」
悟は五人を見た。
「××××××! ××××××××××!!」
一人が何かを叫んでいた。何を言っているのか分からない。恐怖か、命乞いか、あるいは虚勢か。
悟は担当の者に目を向けた。
「処分しろ」
短く言い、その場を離れた。背後で声が上がり、それが途切れた。悟は振り返らなかった。
午後の会議は長くなった。
以前の幹部に加え、新たに三人が加わっていた。オークのハオランは筋骨隆々の体格で、生前は軍人だったという。口数は少ないが、防衛に関する意見は的確だった。ドライアドのジャニタは木の精霊に似た外見を持ち、植物の知識が豊富で食料問題の担当を自ら買って出た。スプリガンのソフィアは小柄だが鋭い目を持ち、砦の内部の治安管理を任せる事にした。
まず居住区の問題が議題に上がった。
「今の居住区では獣型の個体と直立歩行の個体が混在していて、互いに不便が出ている」
悟が問題提起する。
「体格の違いもな。俺らなんて何度デカいのに蹴られそうになったか」
「あいつら足元見ねえからな」
トニーとディーンが言った。それに対してジャニタが発言する。
「骨格の違いで必要な空間の大きさも変わる。大型の個体が密集すると、小型の個体が圧迫されている」
「分けるべきだな」
悟は言った。
「東棟を獣型と大型の個体向けに改装する。西棟は直立歩行の個体に割り当てる。翼を持つ個体は上層を使え。改装の担当はハオラン、お前に任せる」
「承知しました」
ハオランは短く答えた。
次は食料の問題だった。ジャニタが挙手して発言する。
「人数が増えるにつれて、狩りだけでは賄えなくなってきた」
ジャニタが続けた。
「近隣の森の獲物が減り始めている。このままでは数ヶ月で枯渇する」
「代替案は」
「砦の周囲に菜園を作る事を提案したい。足りなければ先日焼いた村の畑も再利用出来る。野菜や果物を育てれば、肉への依存を減らせる。ただ、モンスターの中には植物食を好まない個体も多いので、狩りは今後も続ける必要がある」
「それならば、遠征の狩り範囲を広げる。近隣だけでなく、より遠い地域でも調達するようにしろ」
ソフィアが手を挙げた。
「遠征範囲を広げれば、ハンターとの接触リスクも増えます。斥候の数を増やすべきです」
防衛の問題では、ハオランが地図を広げた。
「砦の南側に死角がある。地形上、そこから接近されると発見が遅れる。石壁の補強か、あるいは罠の設置が必要だ」
「両方やれ。だが職人達とは上手く連携を取るように。無茶は質の低下につながるからな。完成までは見張の配置換えで対応しろ。ナターナエルと組んで死角を極力減らせ」
「了解です」
「わかった」
ハオランとナターナエルは視線を交わし、頷き合う。
「他には何かあるか」
ソフィアが挙手した。
「最近、新入りの個体が食料を巡って争う事が増えています。分配のルールを明文化していないのが原因でしょうね」
「ならばルールを作る。草案はソフィアに任せる。完成次第提出しろ。俺が確認する」
「それともう一点。新入りの中に、仲間の個体を一方的に傷つけた者がいました。軽傷で済みましたが、放置すれば繰り返します」
「会議の後にそいつを連れてこい。俺が直接話して罰則を決める」
その後も会議は続き、悟が決定を下してゆく。
会議が終わった頃には、外がすっかり暗くなっていた。新幹部達が部屋を出ていき、最後にサイラだけが残った。
「疲れましたか」
「少しな」
「顔に出ていますよ」
悟は苦笑した。
夜、悟の部屋は静かだった。
砦の中で悟に割り当てられた個室だ。石造りの部屋には豪華な装飾が並ぶ。正直趣味ではないが、質素な部屋に寝ていては威厳もありはしない。そして、この部屋は悟一人で使う訳でもなかった。
サイラが部屋に来たのは、部屋で一息ついてからすぐだった。ノックもなく扉を開けて入ってきたサイラは、いつものドレスではなく、薄手の寝間着を着ていた。長い黒髪が肩に落ちている。
悟は大きなベッドの端に腰を下ろしていた。サイラはその隣に座った。
しばらく、二人は黙っていた。
「最近、こうして二人でいる時間がなかったな」
悟は言った。
「ええ。あなたはいつも誰かと話しているか、どこかを歩いているか」
「仕方ないだろう。やる事が多い」
「分かっていますよ。ただ、たまにはこうしていたい」
サイラは悟の方を見た。白い肌が燭台の光を受けて、わずかに暖色に見えた。
「サイラ、いつも言ってるだろう。二人きりの時にそんな固い話し方をするな」
「そうだったわね。癖って中々抜けないのよ」
「まあ良いさ」
二人は小さく笑った。
「一つ聞いていい?」
「何だ」
「人の上に立つの、結構無理してるんじゃない?」
悟はすぐには答えなかった。しばらく天井を見て、それから言った。
「好きじゃない」
「そうよね」
サイラは少し笑った。普段は見せない、力の抜けた笑い方だった。
「知ってた。最初から」
「だろうな」
「サトルは誰かに命令されるのも、誰かに命令するのも、どちらも好きじゃない。一人で動いている時の方が、顔が落ち着いている」
「全くその通りだ。それなのに魔王なんてものになった」
「必要だったからそうしたのでしょう? そして、これはあなたにしかできないから」
悟はサイラを見た。
「うまくやれていると思うか」
「やれてるわ」
「根拠は?」
「今日の会議を見てた。誰の意見もちゃんと聞いていた。完全な解決にならなくても、ちゃんと無茶を言わず出来ることを指示した。それも即答で。それが出来る人はそういない」
悟は少し黙った。
「買いかぶりすぎだ」
「そうでもないわ。でも、ちょっと謙虚なサトルも悪くない……けど私以外にはそんな姿見せちゃダメよ」
「当たり前だ。サイラだから、だ」
サイラは悟の方へ体を傾けた。燭台の炎が揺れた。
悟は答えなかった。ただ、サイラの方へ向き直った。窓から風が吹き込み、蝋燭の火が消える。二人は月明かりに照らされる中、静かに口付けをした。そして背中に手を回し、柔らかいベッドに沈み込む。
部屋の空気がほんのり熱を帯び始めた。




