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俺は人間だ!!  作者: 野狐


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12/14

炎上

 ベルタンの宿は小さかった。

 二階建ての古い木造の建物で、廊下は軋み、窓の建付けが悪くて隙間風が入る。それでもオレリアには気にならなかった。旅の途中で得られる屋根と寝台は、それだけで有り難かった。

 夕食は宿の一階の食堂で全員一緒にとった。アルベールとガストンが今日の道中の話をしている横で、オレリアはトマと向かい合わせに座っていた。

「さっきの森道、あんた足元おぼつかなかったね。平らな道に慣れちゃったんじゃない?」

「うっせー、一回躓きかけただけだろ」

「転びそうだった」

「転んではない」

「間抜けな声出てた」

「それを言うならでかい虫がお前の肩に止まった時の絶叫の方がよっぽど凄かったな」

「ああっ、その事は忘れてって言ったでしょ!」

「いいや、一生無理だね」

 言い合いながらも、二人は笑っていた。少し前ならもっとギスギスした雰囲気になっていただろうが、今はその中に温かみがある。食事を終えてそれぞれの部屋に戻る時、トマが「おやすみ」と言った。オレリアは「寝坊しないようにね」と返した。

 部屋に向かう廊下で、コレットがオレリアの隣に並んだ。アルベールはすでに先を歩いていて、聞こえない距離にいる。コレットは少し声を低くした。

「最近、トマくんと仲良くなったんじゃない?」

 その一言で、オレリアの顔には瞬時に熱が集まった。

「なっ、なってないわよ! 何言ってるの! 別にそんなんじゃないし! 全然違うし!」

「ふうん、そう」

 コレットはそれだけ言った。しかしオレリアがちらりと横を見ると、コレットはいつもとは違う表情をしていた。普段の引き締まった顔ではなく、ふっと力が抜けたような、柔らかい笑みだった。オレリアはそんな母の顔を滅多に見た事がなかった。

「パパには黙っといてあげる」

 コレットは静かにそう囁き、先に自分の部屋へと入っていった。

 オレリアはしばらく廊下に立ったまま、どうしようもない気恥ずかしさを持て余した。壁に背をつけて、両手で自分の頬を押さえた。熱い。いつまで経っても冷めない。

「なってないし」

 誰もいない廊下で、オレリアはそう言った。


 翌朝、アルベールは仕入れた荷物の確認と整理をしていた。オレリアは手伝いながら、荷物を一つ一つ運んだ。宿の小さな倉庫に香辛料の袋や薬草の束を積み重ねながら、二人は黙々と作業を続けた。

 荷物の半分ほどを片付けた頃、アルベールがふと手を止めてオレリアを見た。

「オレリア」

「何?」

「大きくなったな」

 唐突な言葉に、オレリアは荷物を持ったまま首を傾げた。

「一緒にいるから気が付かなかったけど、こうして改めて見ると、本当に大きくなった。大人っぽくなって、顔つきも変わって……ママに似て、綺麗になったよ」

 オレリアは何も言えなかった。荷物を棚に置いて、視線を逸らした。顔が熱くなるのが分かった。

「な、何よ急に。変な事言わないでよ」

「本当の事を言っただけだよ」

「荷物、早く終わらせましょ」

 そう言って次の荷物を取りに向かったが、唇の端が緩んでいるのをどうしても止められなかった。綺麗になった、とアルベールは言った。ママに似て、と。オレリアはその言葉を、心の中でもう一度繰り返した。

 アルベールはその背中を見てにっこりと笑ったが、オレリアには見えていなかった。


 夜、寝台に横になったオレリアは、枕元に置いたオルゴールを手に取った。

 ゼンマイを刺して数回回すと、小さな旋律が部屋に満ちた。トマが作ったという音楽が、静かに流れていく。初めて聴いた時と同じ、不思議と胸の奥が落ち着く音だった。窓の外からかすかに虫の声が聞こえ、オルゴールの音と混ざり合った。

 オレリアは天井を見上げながら、その音に耳を傾けた。今日のアルベールの言葉を思い出した。コレットの柔らかい笑顔を思い出した。夕食の時のトマの横顔を思い出した。

 音楽が終わると、静寂が戻った。

 オレリアはオルゴールをそっと枕元に置き、目を閉じた。しばらくして、眠りについた。


 最初に気づいたのは音だった。

 遠くで何かが叫んでいる。夢の中の音かと思ったが、次第に鮮明になってくる。怒鳴り声、悲鳴、何かが壊れる音。それに混じって、何か重いものが地面を叩くような振動が、寝台越しに体に伝わってきた。

 オレリアが目を開けた瞬間、扉が勢いよく叩かれた。

「オレリア! 起きなさい! 今すぐ!!」

 コレットの声だった。普段のコレットからは想像できないほど、切迫した声だった。オレリアは飛び起きた。扉を開けると、コレットとアルベールが立っていた。二人とも外套を羽織り、杖を手にしている。アルベールの顔が強張っていた。

「何が……」

「後で説明します。今は動いて」

 コレットに腕を引かれ、オレリアは咄嗟に枕元のオルゴールをポケットに押し込み、外套を羽織り、杖を持って廊下へ出た。階段を駆け下りながら外の音が一気に大きくなる。悲鳴、炎が燃える音、何か重いものが潰れる音。

 宿の扉を押し開けた瞬間、オレリアは足が止まった。


 村が燃えていた。

 北側の家屋から炎が上がり、その赤い光が石畳を照らしている。逃げ惑う村人が通りを走り、怒号と悲鳴が飛び交っていた。そして、その混乱の中を、モンスター達が動き回っていた。

「何よこれ……」

 人の胴体ほどもある黒いムカデが地面を這い、老人の脚を食いちぎる。グリフィンが屋根の上を通り過ぎた時、鷲掴みにしていた人間を上空で離し、オレリアの目と鼻の先に頭から地面に叩きつけられた。犬型のモンスターが民家の扉を壊して中に入り、中から悲鳴が上がり、窓から火が噴き出した。通りを逃げる人々の間を縫うように、大小様々なモンスターが動き回っていた。

 オレリアの頭が、一瞬真っ白になった。これが本当に起きている事なのか、判断が追いつかない。

「走れ、オレリア!!」

 アルベールに背中を押され、足が動き出した。


 宿の厩舎を通り過ぎる時、ラバ達の鳴き声が聞こえ、オレリアは足を止めた。

「まって、みんなが!!」

「駄目よ! 走って!!」

 コレットが腕を掴んだ。オレリアは振り返った。厩舎の扉が揺れ、中から動かなくなったラバを大きな口で咥えながら引きずるワニのようなモンスターが出てきた。毎日話しかけ、毎日世話をしてきたラバ達が、目の前でモンスターに殺されている。

「放して! お願い!」

「オレリア!!」

 コレットの声に、有無を言わさぬ力があった。オレリアは引きずられるように走り出した。涙が頬を伝った。何年もかけて築いてきた信頼が、一瞬で消えて無くなった。みんなを置いて行く事しかできなかった。

 三人は死体を避けながら、村の外へと向かう通りを走った。アルベールが後方に閃光を放ち、追ってきたモンスターを牽制する。コレットも杖を構えながら走り、飛びかかってきたモンスターを間髪入れずに叩き落とした。出口はもう見えていた。あと少しだ。

 その時、前方から低い唸り声がした。

 通りの中央に、それが現れた。

 灰色の毛に覆われた巨大な体。四足で地面に手をつき、鼻を空気に向けている。ウェアウルフだった。その口からは涎を垂らし、その白く濁った左目と黄色に光る右目は私達を獲物と認識していた。飢えた狼が、三人に狙いを定めた。

 アルベールが杖を向けた。コレットも同時に構える。二発の閃光がウェアウルフの胴体を狙うが、素早い動きに当たりもしない。

「オレリア、走りなさい!!」

 コレットが叫んだ。

「駄目! 一緒に行く!!」

「走れ!!」

 アルベールがオレリアの肩を掴み、強引に背を向けさせた。そして背中を思い切り押した。

「パパ!!」

 振り返ったオレリアの視界に、両親の背中が映った。二人並んで杖を構え、ウェアウルフの前に立っている。コレットの肩が、わずかに震えていた。アルベールの赤毛が、炎の光を受けて揺れていた。

「行け!!」

 アルベールが叫んだ。

 次の瞬間、ウェアウルフが飛びかかった。

 狼の凶悪な爪は、アルベールの肉体をいとも簡単に引き裂いた。そして、間髪入れずに、コレットに馬乗り、喉に噛み付いた。

 オレリアは走った。叫びながら、走った。後ろを見なかった。見られなかった。背後で何かが倒れる音がした。二人の声はもう聞こえてこなかった。

 それでもオレリアは走り続けた。止まれなかった。止まったら全部が終わりになる気がした。涙で視界が滲み、石畳が歪んで見えた。


 どこをどう走ったのか分からなかった。

 人の波に押されて、知らない通りに出ていた。逃げる人々が怒鳴り合いながら走っていて、オレリアもその中に紛れていた。混乱した頭の中で、両親の背中だけが繰り返し浮かんだ。並んで杖を構える後ろ姿。コレットの震える肩。アルベールの声が途切れる瞬間。

 足が絡まった。

 石畳の段差に爪先を引っかけ、体が前へ倒れた。手をつく暇もなく顔から落ち、石の上を転がった。起き上がろうとするも、逃げる人々に踏まれた。肩に、背中に、無数の足が当たり、蹴られた。立ち上がれなかった。声を上げる余力もなかった。

「オレリア!!」

 声が聞こえた。

 腕を掴まれ、引き起こされた。トマだった。顔に擦り傷があり、外套が破れていた。しかしオレリアの顔を見た瞬間、その目が険しくなった。

「立てるか! 行くぞ!!」

 オレリアは答えられなかった。トマに手を引かれ、走り出す。走りながら何度も転びそうになり、そのたびにトマが引っ張った。人の流れから外れ、建物の陰に飛び込んだ。崩れかけた石壁と荷台の間の狭い隙間に、二人で体を押し込んだ。トマが荷台を引き寄せ、外から見えにくくした。

 しばらく、二人は荒い息をついたまま動けなかった。遠くで悲鳴が聞こえる。炎の音が絶えない。石畳に落ちる火の粉の音がした。

 息が整ってくると、トマが口を開いた。

「ガストンと逸れた。今どこにいるか分からない」

 オレリアは何も言わなかった。

「お前の親は……」

 トマはそこで止まった。オレリアの顔を見て、それ以上聞かなかった。

 沈黙が落ちた。炎の音だけが続いた。

 トマはオレリアの肩に手を置いた。そのまま、引き寄せた。オレリアはされるがままに、トマの胸に顔を埋めた。嗚咽が漏れた。止まらなかった。声を殺して泣いた。泣きながら、トマの外套を握った。

「絶対守ってやる」

 トマの声は低かった。震えていなかった。

「お前を必ず生きて出す。俺が約束する」

 オレリアは何も言えなかった。ただ泣いた。トマは何も言わずに抱きしめ続けた。炎の音が近づいてきても、しばらくの間、二人はそこにいた。


 熱が近づいてきた頃、トマが先に動いた。

 隠れていた建物の壁に火が移り始めていた。荷台の端が赤く光っている。

「動くぞ」

 トマが先に立ち上がり、オレリアの手を取った。隙間から外を覗き、人の気配がない事を確かめてから走り出す。

 村の外へ向かう道を探しながら、二人は路地を縫うように走った。炎が広がり、視界が赤く染まっていく。煙が喉を刺し、目が痛んだ。何度も咳き込みながら走り続けた。遠くで誰かの叫び声が聞こえ、そのたびに足が速くなった。

 角を曲がった瞬間、トマが急ブレーキをかけた。オレリアも続いて止まった。

 目の前に、白い巨体があった。

 全身が白い剛毛に覆われたトロールだ。身の丈は二メートル半を超え、丸太のような腕がぶらりと下がっている。こちらを向いた顔には小さな目があり、その目がトマとオレリアを見ていた。炎の光を反射して、白い毛皮がぼんやりと光っている。

「走れ!!」

 トマが叫び、方向を変えた。トロールの足音が追いかけてくる。重い地響きが石畳を揺らし、どんどん近づいてくる。

 角を曲がり、また曲がり、細い路地に入った。しかし行き止まりだった。高い石壁が行く手を塞いでいる。振り返ると、路地の入口にトロールの白い体が見えた。細い路地に巨体が入り込んでくる。逃げ場がなかった。

 トマがオレリアの前に立った。

「トマ、一緒に戦う! 私も魔術が」

「黙ってろ」

 トマはそう言って振り返り、オレリアの顔を見た。その目が怖がっているようにも見えた。それでも揺れていなかった。

 トロールが一歩近づいた。石畳が揺れた。

 トマはオレリアの頬に手を当て、そして唇が重なった。一瞬だけだった。

「もっと早くこうしとけば良かった」

 トマはそう言って少しだけ微笑むと、トロールへと向かって走り出した。

「待って!! トマ!!」

 叫んだが、トマは振り返らなかった。

「捕まえてみろよデカブツ!」

 大きく叫びながら、捕まえようとするトロールの股の間に飛び込み、そのまま走った。トロールの重い足音がそれを追っていく。地響きが遠ざかり、やがて静かになった。

 オレリアは石壁に背をつけ、その場に崩れた。立っていられなかった。膝を抱えて地面に座り込み、走り去ったトマの方向を見つめた。

 しばらくして、聞こえた。

 遠く、路地の向こうから、トマの声が聞こえた。何かを叫んでいた。何を叫んでいるのかは、聞き取れなかった。

 そしてそれが途切れた。

 オレリアは声を殺して泣いた。石壁に顔を押し付けながら泣いた。どれくらいそうしていたのか分からない。炎の熱が近づいてきて、ようやく動かなければという本能だけが体を動かした。

 足は動いた。頭は動いていなかった。気がついたら走っていた。炎を避け、人の気配を避け、ただ外へ向かって走った。

 村の出口が見えた。アルベールとコレットが殺された場所にはすでに何もなく、血の染みが地面に広がるだけだった。オレリアは歯を食いしばりながら走り、崩れかけた門を抜けた。


 街道から離れて森に入ると、急に静かになった。

 炎の音も、悲鳴も、遠くなった。木々の間の暗がりに、オレリアは膝をついた。そのまま地面に両手をついた。呼吸が荒い。何度か嘔吐しそうになり、最後には堪えきれずに吐いた。木の根に額をつけて、しばらく動けなかった。

 どれくらいそうしていたのか分からない。少しずつ息が落ち着いてきた頃、ポケットの中のものを思い出した。ポケットに手を入れると、指先に冷たい金属が触れた。トマのオルゴールだった。

 逃げる時にポケットに押し込んだまま、ずっと持っていた。小さな金属の箱が、体温で少しだけ温かくなっていた。

 オレリアはそのまま地面に座り込んだ。木の幹に背をもたれ、オルゴールを両手で抱えた。

 ゼンマイを巻く事は出来なかった。ただ、その感触だけを、ずっと握り続けた。

 夜明けまで、泣き続けた。

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