11話 馬鹿の川流れ
俺は左肩に、ニコチンは右脇腹辺りに弾が当たった。被弾箇所を手で押さえつつ、近くの木の陰に滑り込む。
向こうも同様に、十五メートル程離れている木の陰に隠れたようだ。撃たれた左肩はかなり痛いが、耐えられない程ではない。アドレナリンが痛みを誤魔化してくれているのだろう。
木から少しだけ顔を出して様子を窺う。大丈夫そうなので、斜め前の木へと素早く移動した。このようにして少しずつニコチンに近づく作戦だ。
また少しだけ顔を出して相手の方を見ようとした時、嫌な気配を感じて顔を引っ込めた。
次の瞬間、顔の高さのところに銃弾が飛んできた。もし顔を出していれば当たっていた軌道だ。いくらゴム弾だとは言っても、当たる場所によっては大ダメージだ。
危ないところだったが、無駄撃ちさせることに成功したのは大きい。これで相手の残弾は二発だ。
もう一度慎重に様子を見て、また前方の木へと移ろうと身を乗り出した時、今度は大胆にもニコチンが木の陰から飛び出してきた。
焦って勝負を急いだのだろう。この男は人を威圧することは得意だが、プレッシャーには割と弱いのだ。俺は冷静にニコチンの腹を撃つ。
「グェ……」
ニコチンは膝から崩れ落ちた。しばらくは動けまい。しかし、俺が発砲する直前に、ニコチンは俺に向かって大きめの石を投げていたようだ。
避けきれず、それが頭に当たってしまう。額が切れて、出血した。大したことがなくても、頭の傷は血がたくさん出てしまう。加えて衝撃で脳が軽く揺れた。クラクラする……。
ニコチンにトドメを刺したいところだが、俺は軽く脳震盪を起こしていて視界が定まらないし、相手は倒れてこそいるものの銃から手を離しておらず油断ならない。どうしたものか。
そこに、
「あんた、これ使いな!」
バーストお婆ちゃんが俺に何かをぶん投げてきた。
地面に落ちたそれを拾ってみると、石鹸などを入れる泡立てネットだった。ただし、中に入っているのは石鹸ではなく、ドライアイスのようだ。
これを一体どうしろというのか。患部に当てて冷やせとでも? そんなことをすれば凍傷は必至だ。俺が困惑していると、バーストお婆ちゃんは高圧洗浄機を持った社員を顎で指し示した。
俺は意図を理解して、額から垂れる血を拭うと、高圧洗浄機マンに向かってゆっくりと近づいた。体がフラついて倒れそうになるが、なんとか持ち堪える。彼は俺が向かってきていることに気づくと、放水してきた。今だ!
俺は飛んでくる水に向かってドライアイスを投げた。ドライアイスに水をかけると白い煙が発生する。突然目の前に現れた煙幕に面食らって、高圧洗浄機マンは一瞬固まった。
その隙に土手っ腹に一発ゴム弾をぶち込み、倒れ込んだ彼から高圧洗浄機を強奪する。地面に落ちたドライアイス入りネットを拾い、ニコチンが蹲っている方を見た。
奴は少しだけ回復したらしく、膝をついて立ちあがろうとしていた。そうはさせまいと、俺は雄叫びを上げながら奴に駆け寄った。
ニコチンは慌てて俺に銃口を向ける。しかしダメージが大きいのか、標準が定まらない様子だ。俺は奴からもっと余裕を奪うために、ドライアイス入りネットを奴に向かって投げた。
それは奴から一メートル程手前の地面に落ちた。奴は警戒した様子でドライアイスに視線を注ぐ。
「食らえー!」
俺はドライアイスに向かって高圧洗浄機で放水した。また白い煙が上がる。そして奴が混乱している隙に背後へと回り込んだ。完璧に死角を取った。
俺の勝ちだ。
「……終わりだ、ニコチン」
奴が驚きを顔に浮かべながら振り向く。こちらに顔を向けた瞬間、高圧洗浄機で水をかけ視界を潰し、鳩尾に一発撃ち込んだ。
「く、クソが……」
まだなんとか意識を保っているようだったので、奴の懐からスタンガンを探し出し、それで完全に気絶させた。
「フン。あんた、案外やるじゃないか」
バーストお婆ちゃんが遠くから俺に向かって親指を立てた。俺は軽く拳を上げて答える。なんとかニコチンを倒すことに成功した。
……ハァ。疲れた。頭から流れる血はまだ止まっていない。止血したいが、道具が近くに無さそうだ。仕方がないのでニコチンのスーツをビリビリ破り、頭に巻いた。
他のウグイスたちと社員たちの戦いもそろそろ終わりそうだ。結果から言うと、変態の圧勝だった。ウグイスたちはあまりにも身体能力が高い。
人数の差などものともしない大立ち回りで、社員たちを殲滅していた。さて、俺の仕事はここまでだろう。後は先輩に任せて、昼寝でもしたいところだ。
──そんな呑気な考えは、けたたましいサイレンの音によって掻き消された。騒ぎを聞きつけた警察が到着したのだ。……勘弁してくれよ。
もう走る体力なんて残ってないぞ……。
〇
「ヘイ! 注目!」
カウボーイが声を張り上げた。ブーストお婆ちゃんが買ってきたバスタオルに体を包まれ、体温も戻り、すっかり元気になったようだ。
しかしそれではウグイスとしてのプライドが許さないのか、カウボーイは「バサッ!」とバスタオルを脱ぎ捨てた。
「【曇町のウグイス】からの指示だ。俺は『最終目的地』を教えられてる。全員俺についてきな! バビブガールズは別行動だ。詳細は聞かされているか?」
「ああ、駆ちゃんの手伝いさ。じゃ、私たちは行くよ」
バーストお婆ちゃんが代表して答える。それから台車にバースト、ビーストお婆ちゃんが乗り、ブーストお婆ちゃんがその台車を押すという毎度お馴染みのスタイルでバビブ三姉妹は走り去った。
それにしても、最終目的地? 何だろうそれは。俺はそんなの聞かされていない。しかし、ついていくしかないだろう。悠長にしていれば警察に包囲される。
「皆の者、行くぞ! これが最後の全裸爆走だ! ヒィーハァー!」
カウボーイの先導で、俺たちは満身創痍の体に鞭打って最終目的地へと走り出した。
〇
「待てゴラァ! ふざけんじゃねぇぞボケェ! あああああ!」
後方で警察が発狂している。俺たちは一つの塊のようになってカウボーイに付き従っていた。傍から見れば、さぞや不気味な光景であったことだろう。
公園での戦闘から三十分程度走り回っている。おそらく、時間稼ぎをしているのだろう。
ずっと走っているというのに、エンドルフィンでも出ているのか、一周回って疲れが消えていた。多分ランナーズハイってやつになってるのだろう。
ちなみに、一人だけ服を着ていたら目立ってしょうがないので、俺もとうとう全裸になっていた。町中で裸を晒しているというのに、不思議と恥ずかしくもなく、俺はただただ居心地の良さを感じていた。
なにせ、周りには俺と同様に全裸の奴しかいない。
『赤信号、みんなで渡れば怖くない』とはこういうことなのだろうか。
「あとちょっとだぜ、もうひと踏ん張りだ! ヒィーハァー!」
カウボーイが奇声を上げる。俺たちはリンゴ川方面へと走っていた。時刻は日没の迫る午後五時半。斜めに差し込む夕日に照らされて、カウボーイの乗っている馬の優美な毛並みが輝いている。
やがて、俺たちはリンゴ川にかかる《曇町大橋》へと差し掛かった。
「はっはっは! 馬鹿め! とうとう追い詰めたぞ!」
後ろの方にいる警察が歓声を上げる。それがどういうことなのかは、すぐに分かった。前方に警察が待ち構えている。つまり挟みうちにされたわけだ。
カウボーイは速度を落とし、橋の中央辺りで立ち止まった。それに伴い、俺たちも立ち往生する。背後の警察は一定の距離を保って止まった。警戒しているようで、距離感を保ったまま近づこうとはしない。
カウボーイは馬から降り、馬の顔を慈しむように優しく撫でた。
「お前はこれから自由に生きるんだぜ……」
それから俺たちの方に振り返ると、大声で叫んだ。
「野郎共! 最後の大仕事だ! 度胸見せろよ……行くぜ! 俺に続けー!」
カウボーイは欄干によじ登り、止める暇もなく川へと飛び降りた。俺たちは驚愕し、一瞬誰も動けなかったが、すぐに第二の人物が欄干の上に立った。
「I'll be back」
マジシャンがシルクハットを押さえながら川へと落下する。触発されたようにパルクールタイプが軽い身のこなしで柵を超え、次々に落下していく。
ライダータイプは自転車を止めてから欄干に立ち、水泳の飛び込みのような動きをしながら川に吸い込まれていった。
チータータイプが勢いをつけてハードル走のように柵を跳び越える。ハイエナタイプは跳び箱を跳ぶように柵を超えた。
俺は何が何やら分からなかったが、流れに乗るように、どさくさに紛れて川に飛び込んだ。
〇
この事件は後に【馬鹿の川流れ】と呼ばれる大事件となった。全裸の男たちが、どんぶらこどんぶらこ、と川を流れていく様子はテレビ中継された。それはそれは啓蒙が高められる光景であったという……。




