10話 大乱闘
右足を引きずるようにして歩き、路地裏から脱出した。カウボーイともマジシャンともはぐれてしまい、一人だ。
ニコチンに撃たれた右足がズキズキと痛んでいる。想像以上の痛みだった。今はアドレナリンが出ていて多少マシなのだろうが、明日が怖いな……。無事明日を迎えられればの話だが。
ニコチンは平然と銃を撃ってきた。あれは脅しではない。完全に殺すつもりだった。それに、さっきはニコチン含め四人しかいなかったが、奴らは全体のごく一部のはずだ。
この近くには《トキシポイズ》の地方支社が設置されている。そしてボスは【曇町のウグイス】の存在を、最優先して解決するべき重大な問題であると位置づけている。
そのことを考えると、通常業務に差し障りのない程度の人員は、惜しげもなく《百鬼夜行》へと投入されることであろう。ざっくりと見積もると、数十人程度……三十人から五十人の間くらいだろうか。
それだけの人数に邪魔されながら計画を遂行するのは至難の業だ。イブプロ先輩が準備をしている間に、俺がなんとかニコチンを行動不能にしておかなければならない。
しかし、容赦なくこちらの命を狙ってくる相手に一人で立ち向かうのは無謀だ。誰でもいいからウグイスたちと合流したかったが、思えば俺には彼らとの通信手段がない。
どうにかして彼らと合流しなければ。俺は周囲を見渡した。通りかかる全裸の男は一人としていなかった。なんでこんな時に限って誰もいないんだ。
ふと、森林公園の入り口があるのを発見した。……少しベンチにでも座って休憩するか。いい加減、撃たれた足が限界だ。
〇
ハチミツ森林公園では赤く色づいた紅葉が少しずつ散っているところだ。この分だと、あと一か月もすれば全て散ってしまうだろう。
丸太で作られたベンチがあったので、腰掛けた。周囲を木に囲まれたこの空間は、自然を満喫することができる。
遺伝子に刻み込まれた動物としての本能なのか、こういう場所にいると普段よりも感覚が鋭敏になる気がする。
俺は背後から足音を殺して近づいてくる気配があることに気づいた。しかし、気づくのが少しばかり遅すぎたようだ。振り返った時には、その相手は十メートル程度の距離にまで迫ってきていた。
「よう、裏切者。また会ったな」
ニコチンだった。例によって銃を構えている。仲間を連れている様子はない。……やはり感覚が研ぎ澄まされている気がするな。奴の持っている銃が俺のものではないことに気づいた。
マジシャンが入れ替えたため、ニコチンが持っているのは俺の銃であるはずだ。奴自身の銃はマジシャンが所持している。では、あの銃は誰のものだ?
「お、早速気づいたか。そうだ。残念ながら、俺は二丁持ってきてたんだよ。こいつはテメェが支給されたおもちゃみてぇな弾の入ったもんじゃねぇ。撃たれたら普通に死んじまう。試してみるか?」
銃口を向けたままニコチンはニヤニヤしていたが、引き金を引くことはなかった。
「撃たないんですか?」
俺は精一杯虚勢を張って、強気に煽ってみせた。しかし、実際は足の痛みを忘れるほど緊張して、口から心臓が飛び出そうだった。
「なぁ、お前さ。本当は組織を裏切ってなんていないんだろう? そうだよな?」
「──え?」
ニコチンが唐突に言った言葉に、俺は一瞬反応できなかった。こいつは何を言っているんだ?
「今なら俺がボスに進言してやる。カロナールは敵じゃないってな。その代わり」
ニコチンは持っていた銃を投げて寄越してきた。目の前の地面に、人を殺すことができる道具が落下する。
「イブプロを裏切れ、カロナール。その銃であのクソ野郎を撃つんだ」
……なるほどな。これは交渉だ。ニコチンたちは未だに先輩の目的が分かっておらず、それどころか今どこにいるのかすら知らない。俺のことをただ殺すより、利用してから殺す方がいいと判断したのだろう。
甘い言葉を囁いて先輩を裏切らせて、手柄を横取りするつもりだ。おそらく、断ればこの場で殺される。断らずに先輩を裏切れば、今回のことが片付いた後に殺される。
俺はまた痛み始めた右足を擦った。それを見たニコチンが眉をひそめる。
「なんだ、右足撃ったのを根に持ってるのか? 別にいいじゃねぇか。どうせゴム弾だ。多少痛いだけで大したことはねぇだろ。……で、どうすんだ。やんのか?」
仕方ない。ここは頷いておくしかないだろう。
「……はい。分かりました」
銃を拾って懐に仕舞う。ニコチンはそれを見てニッコリと笑った。
「それでこそ《トキシポイズ》の社員だ」
俺は拾った銃と、さっきマジシャンから渡された先輩の銃を入れ替えるように取り出しながら、ニコチンの下卑た笑みを見て、心の中で首を傾げた。
こいつは何を勘違いしているのだろう。本気で懐柔されたとでも思ってるのか? もう戻れないところまで来てるんだ。今更お前なんかの言うこと聞くわけねぇだろ。
懐から出した手に握られている銃を見て、奴はようやく状況を理解したらしい。俺は逃げられる前に、ニコチンの右足を狙って撃った。
奴は撃たれた足を押さえながら、俺のことを睨みつけてくる。俺は物理的に相手を見下しながら言った。
「なんだよ。文句あんのか? 指示通りだろうが。クソ野郎を撃ってっつったのはあんただぞ、ニコニコチンチン」
「テメェ……! 舐めた真似しやがって!」
「ハッ。さっきの仕返しだ馬鹿野郎。多少痛いだけで大したことはないだろ。所詮ゴム弾なんだから」
「おい……お前、自分が今何したか分かってねぇだろ。こんなことしてタダで済むと思ってんのか?」
ニコチンは仕事で人を脅す時の目をしていた。怖いので、目を逸らしながら俺は言った。
「あんたは借金をチャラにする手っ取り早い方法、知ってるか? 金を借りた相手を消しちまうんだよ。そうすれば返済する必要がなくなる。さて、ここで質問。……あんたを撃ったことをタダで済ますためには、どうすりゃいいかな?」
実弾の入った方の銃を蹲っているニコチンに向ける。奴は顔を引き攣らせた。
「じゃあな」
俺が銃口を額に突きつけると、ギュッと目を閉じて、ニコチンはプルプル震え出した。いい気味だ。
「……なんてな。冗談だよ。あんたなんかのために俺が殺人犯にならなきゃいけない理由がない」
ニコチンは目を開けると、恐ろしい形相で唾を撒き散らしながら吠えた。
「テメェ、ぶっ殺してやる! おい、お前ら! 来い! 早く来い!」
ニコチンの言葉を合図に、四方から人が押し寄せてくる音が聞こえてくる。
あ、マズいぞ。近くでスタンバってたのかよ。これは本当にマズい。調子に乗り過ぎた……。
「お、お前を人質にすれば」
慌てる俺を見て、ニコチンが不敵に笑った。
「テメェはさっき自分の方針を表明しちまったな。殺人犯にはなりたくねぇって。その時点で人質を取ることによる効果は無くなったんだよ。どうせ撃てねぇってことが分かっちまったんだからな」
ヤバいヤバい。完全に相手のペースに乗せられている。余裕を取り戻したニコチンは高笑いした。
「はっはっは! テメェは完全に終わりだ! 後悔しやがれ!」
「ち、畜生!」
助けを求めるように周囲を見渡すと、数十人の《トキシポイズ》社員がこちらを取り囲むようにして向かってきているのが分かった。
そして、その後方には全裸の男たちがいる。
「……ん? なっ!?」
迫りくるウグイスの群れに気づき、さっきまで余裕ぶっていたニコチンが愕然とした。
〇
ウグイスたちは社員たちを追い越し、素早く俺とニコチンの周囲を円になって取り囲んだ。通常個体、特殊個体含めて二十余名。どうやらイブプロ先輩以外の全てのウグイスがこの場に集結したらしい。
ウグイスに遅れて社員たちが到着し、ウグイスたちよりも更に大きな円になって俺たちを囲む。ウグイスと社員たちで二重丸を作った形だ。
二重丸の中心にいるのは俺とニコチン。俺たちは互いに睨み合っていた。
ウグイスが二十数名であることと、二つの円の大きさから推測するに、社員の数はおおよそ四十名。こちらの倍はいそうな感じだ。
敵味方関わらず、この場にいる全員が動き出すタイミングを見計らっていた。辺りに緊張感が満ちる。風に揺られた木の葉が立てる音以外、何も聞こえない。
その深海のような静寂を打ち破ったのは、変態紳士マジシャンであった。
「Ladies and gentlemen! Are you ready? ……Let's go ahead」
瞬間、全員が一斉に動き出す。ある者は刺股を持ち出し、またある者は水鉄砲を構えた。
「合戦だァ! ヒィーハァー!」
カウボーイが先陣を切るように暴れ出した。そのカウボーイに対して、一人の社員が放水する。どうやら高圧洗浄機を持ってきたらしい。
「ああああ!? 冷たい! 寒い! ヒィーハァー!?」
物凄い勢いで冷水を浴びせられたことで、カウボーイはいきなり瀕死になった。
体温が急激に冷えたのだ。全裸であることが仇となってしまった。なんとか落馬してはいないが、今にも転げ落ちそうになっている。
「トドメだ!」
追い打ちの放水をしようとした社員に、「キィー!」と鳴きながら鷹のミカヅキ君が襲い掛かった。
「遅れたね」
バビブ三姉妹、現る。
「買ってきたよ、ほれ」
バーストお婆ちゃんがマジシャンに何かを放った。どうやらそれは手持ち花火セットであったらしい。
「Thank you.マダムバースト」
マジシャンはどこからかライターを取り出すと(全裸だから本当にどこから取り出したのか不明だ)花火の一つに火をつけた。火花が散る。
マジシャンは手に持った花火を振り回し始めた。
「大変危険な行為なので、絶対に振り回してはいけない!」
当の本人が注意喚起をしても説得力がないが、マジシャンはそう言って花火を振り回し続けた。
「危ない! このような行為は人に火傷を負わせたり、火事になったりするかもしれない! 絶対に手持ち花火を振り回してはいけませんよ!」
「お前が言うな!」
ツッコミを入れながら、社員の一人がスタンガンを手にマジシャンへと突撃する。
注意喚起しているにも関わらず、マジシャンは向かってくる社員に向かって平然と花火を向けた。社員はぎょっとして立ち止まる。
「危ないので、花火を人に向けたり、追い掛け回したりしてはいけない!」
そう言いながら逃げ惑う社員を追い回し始めた。どうやら彼は無敵らしい。
「うわああ!」
向こうの方で悲鳴が上がった。刺股を持った社員が変態に襲われている。パルクールタイプを相手にしているようだ。
「や、止めろ! うっ……オェ、オェエエ!」
社員が吐きそうになっている。
「フハハハ! 俺の動きについてこれるかな?」
パルクールタイプの変態は社員の周りを跳んだり跳ねたりしながら、社員に向かって何やらスプレーを噴射していた。
「これは『くさや』エキスを抽出した特製スプレーさ。最高だろ?」
「止めろ! 止めてくれ! 俺は匂いフェチなんだ! うぅ、鼻が曲がる……。鼻が曲がっちまうよ!」
どこもかしこも激闘が繰り広げられている。そんな中、俺の前にニコチンが立ちはだかった。
「決着つけようや、カロナール」
「望むところだ」
俺は銃を持った。使うのは先輩の銃、弾はゴム弾だ。ニコチンも銃を取り出す。あれは俺が支給された銃だ。つまり、あちらの弾もゴム弾である。
残弾は俺が五発、向こうが四発のはずだ。
お互い、相手を観察する。先に動いた方が負けであるかのように、俺たちはじっと見つめ合っていた。緊張から汗が止まらない。
──やがて、額の汗が頬を伝い、顎へと移動し、それが地面に落下した。その瞬間、示し合わせたように俺とニコチンは同時に発砲した。




