名前は稲川②
私だって、可愛いと言われて嫌な気はしない。でも、だから泊まらせてほしいと言われると、それは一気に不埒な理由になってしまう。
「いや……え?」
「どうしてもだめ?」
「どうもしなくても、無理」
早く戻ってこないかな、担任。これ以上絡まれると、私がどうかなってしまいそうだった。
稲川はそんな私を意にも介さず、鼻歌を口ずさんでいる。たぶん、まだ粘れると思っているんだろう。呑気に揺れる顔が、やけに憎たらしかった。
「あ、じゃあ連絡先だけでもさぁ」
「まぁ……それなら」
正直それすらも断りたかった。でも、私にも情くらいはあったから、渋々スマホをポケットから取り出して、二次元コードを読み取ってもらった。
アイコンには茶トラ猫が映っていて、『いなかわ』とだけ書いてある。稲川と髪の色がそっくりで、猫は可愛かった。
「かわいいでしょ」
「うん。猫は」
「わたしは?」
「……ノーコメント」
稲川は泣く演技をして、背もたれに突っ伏していた。いかにも態とらしい。
「宇田のは……どここれ?」
私のアイコンは、家族旅行をした時に撮った長野にある橋だった。稲川のに比べたら、全然面白くないし、可愛くもない。なんか、恥ずかしい。
「どっかの、橋」
「へー」
ちゃんと説明するのは負けた気がしたから濁したけど、稲川は大して興味なさそうだった。自分から訊いてきたくせに。
帰ったら、飼ってる金魚にでも変えておこう。
「で──」
稲川がまた何か言いかけた時、教室のドアが勢いよく開いた。担任が戻ってきたみたいで、教室の視線は一斉に教卓へと向けられた。
稲川もすぐに姿勢を戻して前を向くと、何事もなかったかのように頬杖をついていた。変なところで、潔い。
「今日から一年このクラスを──」
担任の自己紹介と今後の予定が話されている間も、稲川は頬杖をついたままだった。
背中まで伸びた茶髪は、そのがさつな中身とは違って真っ直ぐだった。私が髪を染めたら、もっと傷んでしまいそうだ。ただでさえ枝毛の目立つ自分の触角を持ち上げながら、少しだけ稲川を羨んだ。
担任の話が一段落すると、すぐに休み時間になった。教室はさっきよりも活気づいて、どこもかしこも友達が出来始めている雰囲気だった。皆仲良くなるの、早いなぁ。
「でさ、宇田」
「……はい」
そんな私の目の前で友達面をしていたのは、相も変わらず稲川だった。




