第8話 なんで失礼な奴に限って鋭いことをズバズバ言うのだろう
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「ふふ……『ありがとうございます、美鳥さん』だって」
帰りのタクシーの中で、運転手に聞こえないくらいの声量で独りごちる。
家族以外の人に名前で呼ばれたのなんていつぶりだろう?
高校時代以来?
いつもはあっちの名前——ひなちゃんとかひなたんとか呼ばれてるし、自分の名前なんて意識したことなくて。
だから呼ばれた時はびっくりしちゃった。
大倉さん、私の下の名前覚えてたんだなーって。
実は、この前から気づいてた事がある。
大倉さんは私じゃなくて、私ではない何かを見ているって。
それが何かは分からないけど。本当に女の人……というか、「人」に興味がなさそうで。
結婚願望がなかったってのは本当なんだなって。
だから私もムキになって、今日は本気で楽しませる方法を考えてきた。
いろんなお酒飲み比べできるようにしたり、会話のレパートリーをたくさん増やしてきた。
この交際を通して結婚というものを考えたいって言ってたから、それを考えさせるのは私の使命だー! ……って。
でもその必要全然なくて。
大倉さんはちゃんと楽しみに来てくれてた。
それどころか、私を楽しませようと色々考えてくれてたのが分かった。
おさかな食べられなくてごめんねって感じだけど。
すごい慌ててたのが逆に面白かったし——楽しかった。
だから私も必要以上に張り切って……大倉さんがお酒を呑み過ぎたのは私のせい。
だったらいいなってほんの少し思ってる。
だって不公平だもん。お金だって半分出されちゃったし。あのお酒ほとんど私が飲んだ分だよ。
「着きましたよ」
「あ、はーい」
そうそう……このタクシー代だって——、
「料金は18560円になります。お連れ様から10000円お預かりしておりますので、残り8560円ですね」
「なんか高くないですか?」
「深夜料金も入ってますので……」
これは払ってもらって良かったね。うん。
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「二日酔いだ」
二日酔いである。
もう当たり前というか予定調和というか。
起きようとした時にはもう「起きる」という概念が死んでて、ベッドから動けずうつ伏せで頭を抱えたまま動かない状態を丸々6時間。
流石に喉が渇いたし、薬を飲みたくなったので適当なカップ麺を取り出した。
想像以上に悪酔いである。
「……ペースおかしかったもんなぁ」
鶴山さんが、ではない。
鶴山さんのペースはもう逆におかしくない。
問題はそれについて行こうとしてしまった俺にある。
流石に反省しないといけない。30にもなってお酒との付き合い方を知らないわけがなく。
それであろうことか婚活相手に迷惑をかけるなど、幻滅もいいところだ。
……そのはずなんだけど。
「なんでか、笑ってたんだよな」
嬉しそうに。
……なんか可愛かったとか言われたし。
一体俺はあの時、何を言ったのだろう?
具体的なことは何も分からない。あの時、まるで夢を見ているかのような感覚だけがあって……その時、俺は大事なことを知った気がする。
「確か……鶴山さんが耳元で何かを……囁、い……て……」
?
囁いて?
それって。
生 A S M R だ っ た の で は ?
「——」
痛みが引かない頭を両手で抱えて唸る俺。
なんで……なんで覚えてないんだよ!!
なんかめちゃくちゃ気持ち良かったもん!
すごい、なんかすごいなんかが!
幸せ? 的な! なんだおい! 語彙力!
「…………」
残ったのは虚無と、30歳男性のキモい姿であった。
そうなると、もしかしたらとてつもないことを呟いたのかもしれない。
ひなたん好きーとか?
言ったこと無いけど、言ったら終わりなんだよな。
いやでもそれでニコニコしてたらおかしいしな。
今の俺は爆弾を抱え過ぎている。鶴山さんに対して迂闊なことは絶対言えない。
細心の注意を払って……その上で鶴山さんの迂闊な発言を拾わないようにして……婚活を進めていかなければならない。
ハードモードすぎるわ。
幸い、向こうから拒否はされていない。だからゲームオーバーにはなっていない。
「教訓……記憶を失うほど酒を呑まないこと」
これに尽きる。
「……ん?」
PCからぽこんっとメッセージが来た音がした。
『ひま?』
つるきちからのメッセージ? だ。
要は通話の誘いである。
『アホみたいに頭痛くて死んでる以外は何もしてない。という意味では暇』
かかってきた。
「大丈夫なん?」
「二日酔いの二日目だから明日になれば大丈夫だろ」
酒飲んだ日を一日目と数えるのならば。
「ふーん。そんなキツいんだ」
「お前なったこと無いの? 酒強いのか?」
「いやぜんぜん吞まない」
最近の若い奴それ多いよな。まぁ酒は呑まないなら呑まない方がいいらしいし。
「身内は酔っぱらったりとかしてないのか?」
「いや?」
「酒呑まない家族か」
「酒呑んでるけど酔っぱらったところを見たことがない」
そんな人鶴山さん以外いるんだ。
「じゃあお前も強いんじゃないの?」
「そうかもしれないけど、普通にまずいよね」
「ガキ舌がよー」
「そうだよ。辛いのも苦いのも苦手だから全く飲めない。ビールとか呑むやつ頭おかしい」
まぁ気持ちはわからんでもない。初めて呑んだ時はなんでこんな苦いの呑むんだと思ったものだ。
「二日酔いってことは、デート上手く行ったの?」
「う~ん……デートは成功なんだろうけどな」
「何その奥歯に引っかかったような言い方」
「実のところ、帰りの記憶がない」
「襲ったのか?」
「するかボケ」
俺は猿じゃないはずだ。
「いや記憶がないんじゃ証明のしようがなくね?」
「タクシーに乗って気がついたら家の前だったよ」
「ああそういうこと」
そのタクシー内で生ASMRを愉しんだらしいことは伏せておく。どちらにせよほとんど記憶にないし。
「で……そこで俺は妙なことを口走ったらしいんだが」
「妙なこと?」
「寝言で」
「寝言」
「何を言ったかわからんくて怖い」
「乙女か」
ちゃうわ。
「何言ったの?」
「だから分からんて」
「アレじゃない? 雛坂日奈子推しなんですーって」
「もうそれ答えやん。向こう平静保てないだろ」
「じゃあ。ボクは死にましぇ~ん。とか」
「なんでネタ走ったん。てかお前それ知ってんの?」
「知らん」
俺も知らんのよ。
「いい匂い~とかは言いそう」
「偏見か? お前俺が本当にそれ言いそうだと思ってんの? 今度覚えてろよな」
ぶちのめすから。
「まぁでもアレやろ? 別に変な感じじゃなかったんやろ? 引いてるとか」
「多分違う」
「じゃあ気にしなくていいんじゃない?」
まぁ俺もそう思うけど。
「相手がどう思ってるかとかどうせわかんねーんだからさ。自分がどうだったのか思い出した方がいいんじゃないの?」
「いつもどおりの正論助かるわ」
若いくせに頼りになるよ。
……自分がどうだったか。それは。
「……楽しかったんだよな」
楽しかった。
自分がどうだったかって、それでしかない。
「自分でセッティングしたデートでそれなら、じゃあまごう事なく成功なんじゃね」
——自分でセッティングしたデート。
そうだ。
相手から連絡されるのを待つなんて男らしくない……なんて動機でも。
俺は自分でデートを決めて、場所も考えて、どうやって楽しませようか考えた。
それが結果的に成功したことを……嬉しいと思っているのか。
それって、つまり——。
「俺さ」
「ん?」
「思ってたより積極的な人間なのかもしれねえわ」
「そうでもないんじゃない?」
……。
めっちゃ気づきを得たー! って感じだったのに。一蹴されるとは。
「別に陰キャじゃないけどさ。積極的だったらもうファンだって打ち明けてるんじゃない?」
……結局そこになるか。
俺が物事を進められない一番の理由。
もしそれが枷になっているなら。
今、俺は「もし打ち明けていたら」と考えて怖くなった。
その勇気がまだ足りないことが……今の自分の立ち位置ってわけか。
「まぁなんとかなるよ。多分」
つるきちの楽観的な反応に。
消極的で弱虫な俺は「そうだったらいいな」と返すことしかできなかった。




